田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、旅行、映画」

若狭蔵之助 著『子どもと学級』より。自由からの逃走。歴史は繰り返す。

 彼らは、身近な自然や社会にはたらきかけ、そこに興味を見出し、それを書いていくことに慣れていない。彼らはつねに、彼らの内からではなく外から課題を与えられてきた。したがって、彼らに課題を与えてきた教科書やドリル帳やプリントを取り除かれると、よりどころを失って不安に陥り、キョロキョロと周囲を見まわすしかない。そして教師から、「何か」に興味を見出してそれを書くように言われると、彼らは、自分の経験とは切り離されたいわば借りものの興味を写すことになる。
(若狭蔵之助『子どもと学級』東京大学出版、1986)

 

 おはようございます。中高大と、洋楽のハードロックとヘヴィメタルにはまっていました。中学生のときに友人の兄から借りた、プリティ・メイズというバンドのアルバムがきっかけです。カッコよかったなぁ。愛読していたのは「BURRN!(バーン)」というヘヴィメタル専門誌で、本屋で見かけると今でもページをめくってしまいます。洋楽にはまったことで英語の成績はバッチリだったものの、もしかしたら父親は戸惑っていたのかもしれません。なんでこんなやかましい音楽に興味をもつんだ(?)って。

 

SIN‐DECADE

SIN‐DECADE

 

 

 高校生の長女と中学生の次女が「Seventeen(セブンティーン)」にはまっています。『性的人間』に収録されている大江健三郎の「セブンティーン」ではなく、ファッション雑誌の「Seventeen」です。読者モデルにでも応募するつもりでしょうか。大江健三郎の「セブンティーン」にはまるよりはすこぶる健全な感じがするものの、完全にアナザーワールドで、パパは戸惑っています。なんでこんなチャラいファッションに興味をもつんだ(?)って。歴史は繰り返す。先人は実にうまいことを言います。

 

 

 自身の受けもつ小学校4年生の子どもたちとその父母とのやりとりを記録した、若狭蔵之助さんの『子どもと学級』を再読しました。いわゆる「学級づくり」の本です。現在でいうともと教員の岩瀬直樹さんの『クラスづくりの極意』みたいなものでしょうか。

 著者である若狭蔵之助さん(1929ー)は、フレネ教育の実践家として名を馳せた先生です。初版は1986年。私が小学生だった頃に「担任」をしていたということになります。えっ、フレネ教育ですか(?)。フレネ教育というのはフランスの教師であったセレスタン・フレネ始めた教育のことで、ウィキペディアには次のように書かれています。

 

 子どもたちの生活や興味から出発した自由な表現による学習を重視しており「自由作文」「学校印刷所」「学校間通信」などの実践が行われている。学習は個別化されており自分で計画を立て協働しながら学習を進めるという方法を取っている。また学年ごとにクラスが分けられているということはなく、子どもたちが異年齢集団の中で助け合ったり学び合うことを学ぶ。

 

 自由とか個別化とか。
 協働とか異年齢集団とか。

 

 これらのキーワードと『子どもと学級』の内容から想像するに、フレネ教育は現在でいうところのイエナプラン教育(大日向小学校、他)や、岩瀬直樹さんや哲学者の苫野一徳さんらによってこの4月からスタートしている軽井沢風越学園と理念のベクトルが似ています。イエナ・プラン教育も軽井沢風越学園も知らない(!)という人に、ウィキペディアに書かれているこのフレネ教育の説明をそのまま伝えたとしても、細部は異なるものの、ほぼ「正解」なのではないでしょうか。それくらい似ています。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 40年前のラディカルな実践と現在の尖った実践が似ているということは、歴史が繰り返されているということです。

 

 彼らは、教科書のなかから課題を出されたり、宿題としてプリントを与えられたときは、きちんとやりとげてくる子どもたちである。あるいは学校から帰っても塾で勉強している子どもたちであるから決して勉強が嫌いな子どもたちではないのだが、自由に勉強しなさいといわれると、自分からは課題を見つけることができない。

 

 自由に勉強しなさいといわれた途端によりどころを失ってキョロキョロとしてしまうような子。そういった彼ら彼女らを学校がつくってしまわないようにする。そのために学校や学級の在り方を変える。昔は若狹蔵之助さんが、数年前までは岩瀬直樹さんが、担任のトップランナーとして取り組んでいた課題です。

 新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、岩瀬直樹さんが《既存の学校の授業や仕組みをいかにオンラインに載せるか?》ではなく、いま考えるべき問いは、例えば《子ども自身が、自分自身のコントローラーを自分で操作して、わたしらしい充実した1日をつくれるようになるためにできることはなにか?》ではないでしょうかとブログに書いています。その通りだと思います。だってオンラインでの授業って、使い方によってはこれまで以上に子どもたちを受け身に、すなわち「キョロキョロ」にしてしまう可能性があるからです。自由からの逃走に拍車がかかるということです。

 

iwasen.hatenablog.com

 

 歴史は繰り返す。

 

 昔から続いている、子どもたちの「自由からの逃走」という課題。若狹蔵之助さんや岩瀬直樹さんが学級づくりの課題としていたことが似ているのだとしたら、それはもう既存のシステムや固定観念にメスを入れなければダメだということですよね。構造的な問題なのですから。そうだとすると、岩瀬直樹さんも書いているように、現在のコロナ禍はそのシステムや固定観念にメスを入れるチャンスです。ステイホームを続けている子どもたちが「外から」ではなく「内から」の興味をもとに学ぶことができるように、「教師ではなく、子どもが学びのコントローラーをもつ」ことができるように、私たち教員にできること。外出自粛要請が続く今だからこそ、広く深く考えていきたいなと思います。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 

 外出自粛要請なのに出勤です。

 

 ロックな感じです。

 

 行ってきます。

 

 

性的人間 (新潮文庫)

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