思えば、私は子供の頃から、よく何かに追いかけられていた。
それは人そのものであったり、人の声であったり、視線、噂、不安、死、罪、とにかくありとあらゆる何かだった。
「お母さん、何か怖いのがくる」
私はそれらをうまく形容できなくて、何か、とか、怖いもの、としか説明できなかった。母はそういうとき、ただ何度も、大丈夫だと繰り返してくれる。
「大丈夫よ、何もないわ。私たちが感知しなければ、何もないのと同じなのよ」
(上畠菜緒『しゃもぬまの島』集英社、2020)
こんばんは。今日は3月3日です。桃の節句です。ひな祭りです。とはいえ、臨時休校ゆえ、ひな祭りにちなんだスピーチをする女の子も、桃の節句と聞いてニヤニヤする男の子も教室にはいません。もしもコロナウイルスが存在しなかったら。そう考えると、もう一人の自分が教室で授業をしているような、不思議な気分になります。『しゃもぬまの島』の主人公・祐(たすく、♀)のように、私は《存在するはずもない時間、いるはずもない場所》にいるのかもしれない。満員電車の中で読み始めた上畠菜緒さんのデビュー作がおもしろくて、今朝、ついついそんな気分になってしまいました。で、続きが気になるので午後は年休を取ってとっとと帰りました。午前の仕事を挟んで、しゃもぬまの島に再上陸です。
「ゼミの後輩がすばる新人賞をとった! もしよかったら読んでみて! 宮部みゆきさん爆推しだって!」という友人の勧めで購入した『しゃもぬまの島』。しゃもぬまというのは中型犬くらいの大きさの馬のことで、ロバに似た生き物のことをいいます。馬とはいえ、荷を引いたり、人を乗せたりはしません。その代わりに、死んだ島民を弔うという重要な役を担っています。しゃもぬまが自宅にやって来たら、それは家族の中の誰かをお迎えに来たということ。しゃもぬまと一緒に天国へ。しゃもぬまの住むその島では、古くからそう言い伝えられています。
あれだな、しゃもぬまっていうのは、伊坂幸太郎さんの『死神の精度』に出てくる「死神」みたいなものだな。人の死を見届けるためにわざわざ出向いてくるってわけだ。
読みながらそう思いました。だからしゃもぬまは死神の幻獣(?)バージョンです。しかしそのかわらしいネーミングに騙されてはいけません。伊坂幸太郎さんの『死神の精度』に《死神だからといって、髑髏の絵がジャケットに描かれたヘヴィメタルしか受け付けないというわけでは、決してない》とありますが、しゃもぬまだからといって、手を抜いてくれるわけではないんです。死神同様、しゃもぬま来るところ死の気配あり。そういう怖い生き物です。
「お母さん、何か怖いのがくる」
ある日、一頭のしゃもぬまが、本土で一人暮らしをしていた祐のアパートにやってきます。しゃもぬまが島を出ることはないはずなのに。なぜしゃもぬまは、わざわざ島を出てまで祐のところにやってきたのか。その「なぜ」が物語をゆっくりと動かしていきます。
その問いを解くにあたって足がかりになるのが、冒頭に引用した祐の母親の「大丈夫よ、何もないわ。私たちが感知しなければ、何もないのと同じなのよ」という台詞です。これは小説の前半に出てきます。
母親の「感知しなければ、何もないのと同じなのよ」というのは、コロナでいえば「検査しなければコロナじゃない」という話と同じであり、ちょっとおかしい。さらに「感知って何?」と聞かれた母親は「考えるってこと」と答えています。すなわち考えなければいいということ。ちょっとというか、かなりおかしい。考えさせる授業をよしとする教員としては、受け入れがたい。
祐はやがて《自信も、野望も、大志も、やる気も、とにかく何かするために必要だと思われるものが、私には欠けているのだ。それらはいくら探しても、私の中には一つとしてないようだった》と自分を低く見るような大人になります。自己肯定感の低い大人。いわゆる「毒親」に育てられた子によく見られるパターンです。
けれど私と紫織は、しゃもぬまについて、強いて話そうとはしなかった。それは問題を先延ばしにしているだけだとは、わかっていたけれど。
この引用は小説の真ん中あたりです。紫織というのは、祐の異母姉妹です。祐も紫織も、追いかけてくるものを感知せずに、すなわち問題を先延ばしにしたまま大人になった結果、しゃもぬまに付け入る隙を与えてしまいます。そしてしゃもぬまがそこにいるということについても、なかなか真剣に考えようとしません。
そして小説の後半。
それはもう、とにかく仕方のないことなのだった。私はとうとう、逃げてきたあらゆるものに追いつかれた。先送りにしてきた問題を感知して、精算しなければいけないとき。
しゃもぬま(死神)の精度。
しゃもぬま(死神)の精算。
さて、どうなるのでしょうか。問題の先送りっていうのは、ちょっと日本社会のようでもありますね。祐に負けずに、戦え、日本。私が勝手に解釈したプロットは以上です(物語の細部の豊穣さは本を手に取ってみてのお楽しみ🎵)。
しゃもぬま!
上畠菜緒さんのデビュー作『しゃもぬまの島』は、全体として、夢を見ているかのような空気感が印象的な作品です。似ているというわけではありませんが、川上弘美さんが『死神の精度』をモチーフにした小説を書いたらこんな感じになるかもしれないなと思いました。読むと、引き込まれます。だってしゃもぬまですよ、しゃもぬま。合い言葉は「しゃもぬま!」。しゃべり場みたいで、一度聞いたら忘れられません。ちなみにしゃもぬまの島の果樹園には夏みかんがなっていて、4年生の国語の教科書に載っている、あまんきみこさんの『白いぼうし』がしばしば頭をよぎりました。こちらもどこか夢を見ているような作品で、夏みかんが物語の中で素敵な味を出しています。子どもたちも喜んで読んでいたなぁ。臨時休校中に、子どもたちがたくさんの物語(小説)に出会いますように。
今夜はひな祭りパーティーだぁ。
しゃもぬま!