田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、旅行、映画」

内田樹、岩田健太郎 著『コロナと生きる』より。学校の労働環境の当たり外れもストカスティック。

 なぜ、対談が好きかと言うと、「他者の言葉」に興味があるからです。
「他者」というのは、「自分とは同じようなことを言わない、考えない」人のことです。内田先生のお言葉は(あるいはその著書でも)「そうか、そういう考え方もあったのか」という驚きをしばしばもたらします。なんというか、思考の行き着く距離が長い感じがありまして、「そんな遠くまで届いてしまうのか」と驚かされるのです。あるいは、その距離感すらうまくつかめないまま、「いったい、どのへんの話をされているのだろうか」と首を傾げてしまうこともあります。
(内田樹、岩田健太郎『コロナと生きる』朝日新書、2020)

 

 こんばんは。東京書籍の「Edutown プログラミング」というページ(https://tosho.proguru.jp/)を開くと、プラグラミングで公倍数や平均値などを学ぶことができます。知らなかった。早速、今日の授業で活用。その存在を教えてくれた算数少人数の先生と、それから民間から派遣されているICTの支援員さんと、私。教室に、大人が3人。数年前まで働いていた県では考えられない状況です。当時は担任をしながら給食の食材の発注までしていたのに。県をまたいでの異動(再受験)は「そうか、こういう自治体もあったのか」という驚きをしばしばもたらします。なんというか、教育にかける予算が全然違う感じがありまして、「そんなことまでやってくれるのか」と驚かされるのです。

 

 田舎教師ときどき都会教師。

 

 なぜ、わざわざ試験を受け直してまで異動するのかと問われれば、つまりそういうことです。冒頭の引用でいうところの、他者の言葉と同じ。

 

コロナと生きる (朝日新書)

コロナと生きる (朝日新書)

 

 

 内田樹さんと岩田健太郎さんの『コロナと生きる』を読みました。新型コロナウイルス感染症をテーマに、2020年5月14日、6月10日、そして7月6日の3回にわたって行われた二人の対談が収められています。対談場所は内田さんのアジトである合気道凱風館。後に内田さんが Twitter で岩田さんの《未来予測がほとんど当たっていた》と呟いていたそうですが、まさにその通りで、第2波のまっただ中にいると噂される現在、岩田さんの慧眼には驚かされるばかりです。さすがは感染症医のプリンス!

 
第1章   リスクとともに生きる(5月14日)

 5月14日(木)は39県で緊急事態宣言が解除された日。勤務校はまだ臨時休校中だったとはいえ、全国的には、新規感染者数が100人を切り、いわゆる「事実上のロックダウン」の効果が現れていた時期です。

 

内田 コロナは本当に、日本人の生き方を変えるかもしれませんね。「固まるな」「同調するな」「お互いに距離をとれ」「なるべく人と違うことをして暮らせ」と勧めているわけですから。いわば日本人の伝統的な生き方を止めろということです。日本人がそうやってライフスタイルの転換を受け入れることができたら、それはけっこう結果的にはいいことじゃないかなと僕は思うんですけどね。

 

 掃除がなくなった。出張がなくなった。大人数での会議がなくなった。行事が精選された。或いはスリムになった。履修主義から習得主義になって標準時数をそれほど気にする必要がなくなった。短縮時程となり、6時間授業であっても15時前には子どもが下校するようになった。おかげで授業準備の時間がこれまでよりもとれるようになった。授業を中心に学校が回るようになった。

 

 コロナ禍転じて福となす。

 

 コロナという外圧によって、学校は随分と変わりました。少なくとも勤務校は、もともと「いい感じ」だったのが「さらにいい感じ」になったように思います。この変化を肯定的にとらえ、揺り戻しに負けずにワークスタイルの転換を受け入れることができたら、それはけっこう結果的には素晴らしいことじゃないかなと私は思うんですけどね。マスクはちょっとしんどいのですが。

 
第2章   葛藤とともに生きる(6月10日)

 6月10日は分散登校が始まって2週目の水曜日。1週目はクラスを3分の1に、2週目はクラスを2分の1に分けての登校&授業でした。40人近くいるクラスなので、そのあまりの「やりやすさ」に、もうこのままずっと分散登校でもいいなぁ、なんて思ったことを覚えています。

 

岩田 コントロールの件もそうですし、アベノマスクに関して一番ショックだったのは、内閣からも厚労省からも誰一人「こういうバカなことはやめたほうがいいですよ」と声を上げる人間がいなかったことです。

 

 教員は給料の出ないサービス残業を法的に決めた日本で唯一の仕事であるだとか、岩田さんの別の本の表現を借りれば「11人だけのサッカーチーム」みたいになっている教員定数だとか、そういったことに関して内閣からも文部科学省からも誰一人「こういうバカな状況は放置しないほうが国の将来のためですよ」と声を上げる人間がいないことに、いるのかもしれないけれどビジブルにはなっていないことに、働き始めてからずっとショックを受け続けています。

 

 アベノマスクに使われたお金で、12人目の教員を雇えたのでは? 

 

 蛇足ですが、内田さんが《スウェーデン政府はコロナの集団免疫を獲得するという方針を採用したわけですが、結果的に感染者数、死者数が制御できないレベルに達した》とあるのは、おそらくは誤解というか誤報と思われます。そのことに関しては以下のブログにて。

 

www.countryteacher.tokyo

 


第3章   偶発性とともに生きる(7月6日)

 第1章はリスク、第2章は葛藤、そして第3章は偶発性です。本のタイトルが『コロナと生きる』なので、この本に別のタイトルをつけるとすれば『リスクと葛藤と偶発性と生きる』となるでしょうか。

 

 コロナ=リスク&葛藤&偶発性

 

判断するのが仕事なんですから、判断の基礎になる事実に勝手に変更を加えちゃいけないんです。データは解釈される前の生のものでなければ、意味がない。

 

 勤務時間の過少申告の横行だけでなく、改竄の指示まであるという学校現場こそ、この内田さんの言葉を肝に銘じてほしいなと思います。改竄なんてしていたら、意味がないんですよ、意味が。コロナと同じで、命に関わりますから。リスク&葛藤&偶発性に対峙するためには、現場の生のデータが必要不可欠です。岩田さん曰く《コロナウイルスは、ストカスティックなウイルスであるとは言えるんです。”確率的な”ウイルスである、という意味です》云々。

 

 学校の労働環境の当たり外れもストカスティック。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 寝不足と生きる。

 

 おやすみなさい。

 

 

新型コロナウイルスの真実 (ベスト新書)

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