その旅は私に大きな変革をもたらした。世界が広がり、多様な心の流れを知り、そして未知なる自分を多く見出した。自分の人生にとって、最も大きな出来事を挙げろと言われれば、私はこの世に生を受けたことと、この旅を挙げるだろう。前者は与えられたものであり、後者は自らが生み出したものである。
(竹沢うるま『ルンタ』小学館、2021)
こんにちは。その旅というのは、写真家の竹沢うるまさんが2010年から2012年にかけて行った「103か国」を巡る旅のことです。足かけ3年、正確には1021日。南米、中東、アフリカ、そしてユーラシア大陸の西端から東チベットへと至る旅の軌跡は、著書『The Songlines』という美しい装丁の本にまとめられ、対となる写真集『Walkabout』には、沢木耕太郎さんが「もし、私に確かな "腕" があったなら、世界をこのように撮りたかったという写真が存在している」と賛辞を寄せています。
興味津々。
興味を惹かれて『The Songlines』の出版記念トークイベントに足を運んだのは2015年の5月29日のこと。場所は代官山の蔦谷書店です。竹沢さんの『The Songlines』のPOPには、小田実さんの『何でも見てやろう』や、沢木さんの『深夜特急』の系譜に連なる作品(!)というようなことが書かれていて、わくわく。もとバックパッカーとしては、いやが上にも期待が高まります。
期待以上だ!
ソングラインの「サビ」でありトークの「ヤマ」でもあった、ペルーの奥地で体験したというシャーマンによる儀式の話や、旅を終えるきっかけになったという東チベットでの「暴力」と「祈り」にまつわるエピソードなど、非日常感が「圧」をもって瑞々しく伝わってくるトークで、よかった。その3年後、2018年6月22日に同じく代官山の蔦谷書店で行われた竹沢さんの「旅情熱帯夜-01 バングラデシュ編」の刊行記念トークイベントにも足を運んでしまうくらいに、よかった。さらに、先々週、2021年4月24日にキヤノンギャラリー銀座で行われていた写真展「Boundary | 境界」にも足を運んでしまうくらいに、よかった。
「ソングライン」とは、オーストラリア先住民のアボリジニの人々が歌う、歌の道のことである。
6年前に足を踏み入れた竹沢さんの「歌の道」が、3年後、そして6年後の今も続いている。キヤノンギャラリー銀座で竹沢さんにサインをしてもらいながら、そんなふうに感じました。
「竹沢さん、ですか?」
「そうです」
キヤノンギャラリー銀座にて。まさか本人がいるとは思っていなかったので、びっくり。帰り際、もしかしたらと思って訊ねなければ、ただの受付の「にーちゃん」くらいの認識で去っているところでした。それくらい自然体で、しかも3年前、6年前とは異なる雰囲気だったということです。
佇まいが変わったなぁ。
アイスランドで撮影されたという「Boundary | 境界」の写真を観て、そして竹沢さんが「『The Songlines』の続きです」と勧めてくれた『ルンタ』を読んで、その「圧」を感じさせない佇まいの意味が理解できたように思います。
竹沢さんにサインをしていただいた『ルンタ』を読みました。ルンタというのは「風の馬」を意味するチベット語です。
天を翔け、人々の願いを仏や神々のもとに届けるという、馬。
小学5年生の国語の教科書に載っている「なまえつけてよ」の授業で紹介したい(!)という私の願いはさておき、竹沢さんの願いといえば、それは前回の旅を終えるきっかけとなった東チベットでの気持ちと記憶を整理すること。その願いをルンタに託して、竹沢さんの旅が再開します。
そこで、私はインドのダラムサラを皮切りにチベット文化圏を巡ることにした。インド、ネパール、中国、ブータンなどに点在するチベット仏教を信じる人々が暮らす地域を旅する。そして最後に東チベットを訪れる。その間に気持ちと記憶を整理する。
竹沢さんは、チベット仏教徒が信仰の対象を時計回りに廻って祈りを捧げるように、東チベットでの記憶を中心に、チベット文化圏をコルラ(巡礼)します。
東チベットでの記憶とは何か?
私がこのとき出会ったのは、それまで見たこともなければ、想像もしたこともなかった暴力の瞬間だった。
検問所を通り過ぎるとき、係官が身分証明書の提示を求めて手を伸ばしてきた。そして、その手はするすると伸び、同乗していたチベット族の青年を突然車から引きずり降ろすと殴り始めた。青年はなすすべもなく、地面に体を伏せ、じっと暴力に耐えていた。どろりとした血が、薄く雪に覆われた地面に滴り落ちた。
東チベットで出会った暴力と、チベット族の青年パンツォの無抵抗の祈り。前回の旅に終止符を打った「記憶」というのは、この圧倒的な出来事のことです。
「ソングラインの続きです」
格好いいサインととともに、竹沢さんにそう言われて手渡された本だったことから、ソングラインと同じテンションの内容を勝手にイメージしていました。が、違いました。読後の感想を村上春樹さんの言葉を借りて表現すれば、
歌は終わった、でもまだメロディは鳴り響いている。
そんなふうに思いました。歌の道は続いていても、もう前回の旅のような《「生きている」という実感を得たい》という気持ちからくる「圧」は感じられない。そしてそれは決して悪いことではない。『ルンタ』は『The Songlines』の単なる続きではなく、前回の旅を供養する一冊のように思えたということです。
『ルンタ』の最後に、時計回りではなく反時計回りにマニ車(仏具)を廻し、お堂も反時計回りで廻る話が出てきます。
そして女性は、私に反時計回りで廻るように穏やかな表情で勧めた。
私は彼らの言うとおり、反時計回りでお堂を廻った。
一周して元の場所に戻ってくると、あたりをどれだけ見渡しても彼らの姿は見当たらなかった。
記憶を遡りながら、前回の旅を供養する旅。同世代である竹沢さんの佇まいが「見当たらない」くらいに穏やかだったのは、竹沢さんの願いをルンタが仏や神々のもとに届けてくれたからでしょう。アイスランドで撮ったという写真にも、その変化がよく表われていたように思います。いうなれば、
虫の目から鳥の目へ。
30代から40代へ。
3年後も「歌の道」が続いていますように。