そんな世界で、わたしたちはどう生きていくのか。それが最後の問いになる。
(橘玲『裏道を行け ディストピア世界をHACKする』講談社現代新書、2021)
こんにちは。そんな世界というのは、一部の富めるものと大多数の貧しきものに二分される、グラフでいうとロングテール(べき分布)で表されるディストピアのことを指します。橘玲さんが言うにはかつての世界は分厚い中間層が特徴的なベルカーブ(正規分布)のユートピアだったとのこと。なるほどな、と思います。10年後、20年後にそんな世界の真っ只中を生きることになる子どもたちには、どう生きていくのかを含め、しっかりとこの変化を伝えていかなければいけません。
ユートピアからディストピアへ。
左側の恐竜の頭(ショートヘッド)の部分にたくさん集まっているのが貧しきもの、右側の恐竜の尻尾(ロングテール)の先の部分に極少数存在しているのが富めるものです。
左側 ≒ 二級国民
右側 ≒ 一級国民
真面目に努力すれば正規分布の右側に移ることのできたベルカーブのユートピア世界と違って、ふつうの努力では左側から抜け出せないというのがロングテールのディストピア世界です。ではどうすればいいのか。
ハックする。
橘玲さんの『裏道を行け ディストピア世界をHACKする』を読みました。橘さんの本を読んだのは初めてですが、この一冊だけで脳をHACKされた気分です。ベストセラーになっているという『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』や、前作『無理ゲー社会』も読んでみたい。
目次は以下。
プロローグ
PART1 恋愛をHACKせよ
PART2 金融市場をHACKせよ
PART3 脳をHACKせよ
PART4 自分をHACKせよ
PART5 世界をHACKせよ
あとがき
プロローグからあとがきへと至る流れが絶妙で、気持ちよく脳をHACKされます。ベルカーブからロングテールへ(ユートピアからディストピアへ)というクリアカットなプロローグでつかみはOK。恋愛格差という万人受けしそうなPART1で引き込み、でもやっぱり「男はカネ」でしょ、という結論からPART2の金融市場へ。二分されたディストピアの「例」として引き合いに出された恋愛も金融も、パーシャルには依存症で説明できるところがあって、それはつまり脳がHACKされているということなんだよというのがPART3。PART4では「自分探し」が始まって、これまた万人受けしそうな展開に、気持ちよさが加速していきます。学校教育にも馴染み深い自己実現やマインドフルネスやエンカウンターなどの言葉が出てくるPART4が終わると、今度はHACKの対象がエヴァンゲリオンの如く「自分→世界」へと跳躍して、世界の中心でアイを叫びつつ冒頭の引用でいうところの最後の問いに答えるという、
橘史観。
口当たりがよく、正直、酔います。小学校の教科書には載っていない、もう一つの近代史。展開の魅力もさることながら、社会科の歴史の授業でいうところの英雄史観よろしく人物にまつわるエピソードがふんだんに盛り込まれているところが「酔いやすさ」の理由でしょうか。
例えば PART1 に登場するニール・ストラウス。
30代半ばをすぎて、ニールが生き方を変えようとあがくようになったのには理由がある。20代、あるいは30代の前半までなら、パーティーやバーで女の子をピックアップする日々も楽しいだろう。だがそれをいつまでも続けていれば、病気(セックス依存症)と見なされて社会から排斥されていまう。
小田急線刺傷事件の犯人は30代半ばで、非正規の仕事が続かず、生活保護を受けながら家賃2万5000円の1Kアパートで暮らし、食品・生活必需品を万引きしていたという。これではどんなナンパ・テクニックをもっていても、誰からも相手にされないだろう。「負け犬」の人生がこれから何十年も続くと思えば、自暴自棄になってすべてを破壊しようと考えるのも無理はない。
非モテだったニールがPUA(Pick Up Artist)の技法を駆使することで恋愛格差を克服し、モテになるというエピソードです。日本では恋愛工学(By 藤沢数希)という呼称で知られていて、もしかしたら小田急線刺傷事件の犯人も、恋愛工学に溺れた残念な人だったのかもしれません。とはいえ、女性に見向きもされない男性がショートカットでモテるようになるためには、裏道を行くしか他に方法はなく、ニールはPUAの技法を使って、つまり恋愛をHACKして、モテへと生まれ変わります。
しかしPUAの技法には致命的な欠陥があった。
わかりますよね。男女関係も教員の働き方も「持続可能性」抜きには語れません。結局カネ(教育予算)、やっぱり生き方。そんなわけで、PART2には金融市場のHACKに成功した、ジョージ・ソロスをはじめとする有名人が多々登場します。
例えばウォーレン・バフェット&エドワード・ソープ。
評伝を読むと、子ども時代のバフェットとソープはとてもよく似ている。2人とも子どもの頃から数学の天才で、新聞配達をして貯めたお金でビジネスを始め、中学生になる頃には自力で(いまの価値で)100万円以上の資産をつくった。大学の授業は、好きな教科書をいちど読んだだけですべて暗記していた。
バフェットとソープは、たんに金融市場を攻略する方法が異なるだけで、出会った瞬間に自分たちが同類だとわかったのだろう。
すごいなぁ。ルーレットをHACKしたり、ブラックジャックの必勝法を編み出したり、それだけでは飽き足らず、カジノから金融市場へとHACKの対象を変えてみたり、昔も今も、天才たちは(悪意なく)やりたい放題&稼ぎたい放題です。一方、小学校や中学校の教員は、
定額働かせ放題。
えらい違いです。PART3には「フロー」や「ゾーン」という言葉で知られるチクセントミハイが登場します。「ゾーンに入る」という意味では、セックスやギャンブルや喫煙やSNSなどと同じように、教員の残業麻痺も《デザインされた依存症》に分類されるかもしれません。
だが喫煙者の脳をfMRIで調べると、タバコの警告ラベルを見たとき、報酬系の側座核が活性化していた。警告表示を見ると、喫煙者の「意識」はタバコをやめようと思うが、無意識ではタバコを吸いたいという衝動が増している。タバコと病気のつながりが喫煙者を不安にし、その不安に対処するために脳がニコチンを欲したのだ。
皮肉なことに、タバコのパッケージの警告表示は、タバコ会社にとって格好のマーケティングツールになっていた。健康被害を周知させることにタバコ業界がさしたる反対をしないのは、ちゃんと理由があったのだ。
このロジック、知りませんでした。興味深い。2学期の保健の授業で「喫煙の害」について学習したので、発展的な内容として、クラスの子どもたちに紹介しようと思います。PART1~PART3を総括して、橘さん曰く、
いまやすべてのビジネスが、あなたの脳の報酬系をハックしようとしのぎを削っているのだ。
恐ろしい。冗談ではなく、ディストピアです。冒頭に戻ります。そんな世界で、わたしたちはどう生きていくのか。子どもたちにはどんな力をつけさせればいいのか。この最後の問いに答えるのがPART4とPART5です。マズローが出てきます。マズローが《この国の最も重要な教育機関》と呼んだエスリンも出てきます。それから話題沸騰中のメタバースも出てきます。他にも山ほど出てきます。全て子どもたちの未来にかかわる内容です。教育関係者のみなさん、
是非、お読みください。
きっと、酔います。