田舎教師ときどき都会教師

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米澤晋也 著『指示ゼロ経営』より。環境を整えた上で、リーダーが「何もしない」とうまくいく。

 自律的という性質を考えると「作る」ではなく「なる」と考える方が自然です。
 これは料理で例えるとわかりやすいと思います。
 例えば「今夜の晩ごはんは野菜炒めを作る」と決めたとしましょう。そのために必要な食材を買ってきてレシピ通りに作ると野菜炒めができます。誰がやってもできるし品質にもさほど差はありません。これが作るという発想です。ビジネスパーソンが得意とする戦略的な発想です。
(米澤晋也『指示ゼロ経営 リーダーが「何もしない」とうまくいく。』内外出版社、2019)

 

 おはようございます。先日、米澤晋也さんのオンラインでのセミナーに参加する機会がありました。我が意を得たりという内容だったので、早速、アマゾンで上記の本をポチッ。リアル書店であれば、ビジネス書のコーナーではなく、教育書のコーナーにも置いてほしい一冊です。

 米澤さんのこの本を学校向けに改題すると『指示ゼロ学級経営 担任が「何もしないと」うまくいく。』、あるいは『指示ゼロ学校経営 校長が「何もしないと」うまくいく。』となるでしょうか。指示がなくても、子どもたちが主体的かつ対話的に学ぶクラス。指示がなくても、先生たちが主体的かつ対話的に働く職員室。そんな自律型のクラスや職員室になったらいいなと願っている教員は、ざっと見積もっても50万人以上いるのではないかと思います。

 

 もっと多いかな。

 

 

 米澤晋也さん(新聞販売店のもと社長、現在は株式会社たくらみ屋の代表)の『指示ゼロ経営 リーダーが「何もしない」とうまくいく。』を読みました。米澤さんが指示ゼロ経営を勧めるのは、これからの時代に必要なのは他律型組織ではなく自律型組織だと考えるからです。

 

 なぜ今の時代に指示ゼロ経営(自律型組織)が求められるのか。

 

 それは以前から言われているように「答えのない時代」だからです。米澤さんのような社長も、管理職や指導主事も正解をもっていません。だから組織のメンバーが無批判に社長の指示を仰いだり、管理職や指導主事の指示をボーッと待っていたりすると、組織がバカになっていく。

 

 銀だら事件。

 

 組織がバカになった例として、米澤さんは「信州味噌で漬けた銀だらの西京漬け」を通販で売ろうとしたときの自社の黒歴史を紹介しています。

 社長である米澤さんの鶴の一声で開発された「信州味噌で漬けた銀だらの西京漬け」という商品。期待に反して1件しか注文が来なかったとのこと。米澤さんが当時社長を務めていた会社は長野県にある新聞販売店ですからね。海のない県なのに銀だらって、おかしい。信州味噌と西京漬けという組み合わせも、おかしい。何もかもおかしい。そして何よりおかしいのは、45人ほどいたというスタッフが誰も反対しなかったということ。リーダーがひとりで突っ走っていたために、部下は何も考えなくなり、集団がバカになっていたというわけです。教師ががんばればがんばるほど、子どもはがんばらなくなるという、あれです。

 

 以下、冒頭の引用の続きです。

 

 対し「なる」というのは発酵食品です。発酵食品は乳酸菌の作用で旨味が出ます。中略。ウチのカミさんは毎年12月になると野沢菜を漬けます。農家から安く買った新鮮な野沢菜をしっかりと洗い、樽に入れ塩を振り昆布と鷹の爪を散りばめます。そして重石を乗せて・・・「あとは待つだけ」とカミさんは言います。
 そう、待つと「なる」のです。

 

 環境を整えて待つ。

 

 これが指示ゼロ経営の秘訣だそうです。作るではなく、なる。これって学級経営と同じです。正確には、過去に「学級経営がうまいなぁ」と思った先生たちに共通している姿勢です。環境を整えて待つことができれば、学級は自律型のチームに「なる」。環境を整えずに待ったり、待つことができずに指示を出して作ろうとしたりすると、学級は他律型のチームに「なる」。発酵食品の例が秀逸すぎるので、引用を続けます。

 

 カミさんはこの道15年以上のベテランですが初めて漬けた年は大変でした。重石を乗せて1週間も経たないうちに心配になり蓋を開けてしまうのです。
 ちょっと舐めてみて「塩分が足りないかも?」とまた塩を振ってしまう。また1週間もするとまた開けて「発酵が進んでいない」と言ってザラメを振りまくのです。
 作るという意識が強いと待てずにあれこれと手を加えてしまうのです。
 これから頑張ろうと思っている乳酸菌は大パニックですよね。そしてとても食べられたものではない代物ができあがるのです。

 

 料理の例え、わかりみが深くて耳が痛いなぁ。ついつい手を加えて、否、口を出してしまう場面って、学校にはたくさんありますから。いわゆるカーナビ状態です。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 教師のコントロール欲求はなかなかにやっかいです。どれくらいやっかいかというと、米澤さんも書いていますが、運動会で勝ったときの喜び方まで指示してしまうくらいに、やっかい。映画『鬼滅の刃』でいうところの「上弦の参の猗窩座」くらいに、やっかい。

 担任がコントロール欲求を手放すことができないから、子どもたちは自分で考えることを放棄し、自分たちで学び合うことも放棄し、教師に依存するようになります。例えば《10人の部下がいた場合、個々の指導では10に対し学び合いでは90になります 》とあるように、指示ゼロ経営にして子ども同士の協働に任せれば、計算上、学びの機会は飛躍的に増えるのに。もったいない。担任が不安ベースでコントロール欲求を手放すことができないから、一斉指導や個々の指導に終始してしまうというわけです。では、どうすればいいのか。

 

 米澤さんの『指示ゼロ経営』を読めばいい。

 

 ちなみに指示ゼロ経営セミナーの質疑応答の場面では、米澤さんは答えを出さないそうです。先日参加したオンラインのセミナーでもそうでした。なぜなら正解はひとつではないからです。その代わり、米澤さんは次のように答えます。

 

「それは私ではなくチームに相談してください」

 

 なるほど。ここまで読んで気づいた人(学校関係者)もいるかもしれませんが、米澤さんのこの『指示ゼロ経営』は、上越教育大学の西川純さんが提唱している『学び合い』に似ています。似ているというか、実際に参考にしているそうです。だから『指示ゼロ経営』には、西川純さんの名前や『学び合い』のキー概念である「ひとりも見捨てない」、そして《どんな時代になっても、どこに行っても仲間と協働するという最も汎用性の高い力を身につけてほしいという切実な願いがありました》という、西川純さんの本でよく目にする「願い」がしばしば登場します。さらに米澤さんが実際に学校に行って、指示ゼロ経営の授業、すなわち『学び合い』の授業をする場面も描かれています。

 

一番後ろの席に座っているのが蜂谷社長です。じつに指示ゼロ経営的な光景です。

 

 この場面は学校ではありませんが、教室に置き換えると「じつに『学び合い』的な光景です」となります。担任は、後ろに立って、あるいは座って、指示ゼロで子どもたちが協働して課題を解決するのを見ていればいい。もちろん、最初に適切な課題を出したり、事前に、あるいは継続的に『学び合い』を活性化させるための手立てを講じるなどして、環境を整えた上での話です。この環境を整えるっていうところがポイントかもしれません。詳細は『指示ゼロ経営』に。

 

 環境を整えるには、授業準備のための時間が必要です。

 

 労働環境を整えて、待つ。

 

 教育委員会さん、宜しく。