田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

下川裕治 著『日本を降りる若者たち』より。日本では人に出会えない。昔も、そして今まさに。

 「ゲストハウスの人間関係が好きなんです。長くいる人もいるけど、基本的に旅行者でしょ。あるとき、宿で一緒になって、いろんな話をして、そしてそれぞれの目的地に旅立っていく。そういう関係っていうのかな。近づきすぎず、遠すぎずっていうような関係、日本じゃできないんです。だからここにいると、いろんな話ができる。私、名古屋に住んでるんですけど、そこにいるより、なにか心を開いて話すことができるような気がするんです。不思議なんですけど」
 日本では人に出会えない……。いまの若者、とくに就職する前の大学生がよく口にする言葉だ。そんな若者が、海外旅行に出、安宿街を経験すると、日本での人間関係の希薄さを痛感するらしい。
(下川裕治『日本を降りる若者たち』講談社現代新書、2007)

 

 おはようございます。2000年からずっと Excel を使って日記をつけています。日記といっても、ブロガーのちきりんさんが推奨している「思考の記録」のような立派なものではなく、思考も行動も読書記録もごっちゃになった雑記にすぎませんが、それでも長いあいだ続けていると見えてくることがあります。それは、どのような日にしあわせを感じているかということです。なぜ見えてくるかというと、単純に、今日はしあわせだったなと思う日は文字の色を朱色にして記録しているからです。だから朱色の日だけを追って読み返すとしあわせのパターンがすぐにわかります。いくつかあるパターンのうち、最も多いのが「人に出会った日」です。やっぱり「人」なんですよね。

 

 結局、人。やっぱり、生き方。

 

 

 

 下川裕治さんの『日本を降りる若者たち』は、外こもりをしている日本の若者の「生き方」に迫った本です。外こもりというのは、日本に引きこもるのではなく、外国の都市、例えば物価の安いタイのバンコクなどに引きこもることをいいます。どちらにも共通しているのは、日本での生活に「生きづらさ」を感じているということ。違いは、冒頭の引用にもあるように、日本では人に出会えないのに、外国では人に出会えるということでしょうか。その「外国では人に出会える」という感覚は、私も(なんちゃって)バックパッカーだったので、とてもよくわかります。外国では、鴻上尚史さん言うところの「世間」を感じることなく誰とでもフランクに話すことができるからです。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 

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バックパッカーの聖地(2001)

 

 写真は、かつてバックパッカーの聖地と呼ばれたタイのバンコクにあるカオサンロードです。世界的に有名な安宿街で、01年の頃は日本円にして300円から500円程度で泊まれるゲストハウスが無数に集まっていました。今では「カオサンはもはや観光地」(By 旅仲間)とのことですが、当時はそれこそ「外こもり」したくなるくらい居心地がよくて、カオサンをスタート地点にしてマレー半島を一周したり、インドシナ半島を一周したりして戻ってくると、ただいま(!)とでも言いたくなるようなホーム感を覚えるほどでした。それはたぶん、そこで出会った旅人たちとのコミュニケーションが愉快で、冒頭の引用にもあるように、ゲストハウスの人間関係も日本では得られないようなものだったからだと思います。

 

 時代は少し遡るが、冷戦構造が世界を席巻していたとき、東南アジアのいくつかの国は社会主義に傾いていった。ベトナム、ラオス、カンボジア、ビルマ(ミャンマー)などで、これらの国はバックパッカースタイルの旅は制限されていた。マレーシアは自由主義圏に属していたがイスラム色が強かった。そうなるとバックパッカーはタイに集まることになり、バンコクにはゲストハウス街が形成されることになる。

 

 下川裕治さんが同書で取材している日本人は、みなカオサンに外こもっている若者たちです。バンコクのカオサンロード以外にも、カルカッタのサダルストリートやカトマンズのタメル地区、ホーチミンのデタム通りや香港のチョンキンマンションなど、アジアにはバックパッカーの集う安宿街がいくつもあります。その多数の選択肢の中から下川裕治さんや日本を降りた若者たちが敢えてカオサンを選んだのは、その歴史的な成り立ちからして、やはりカオサンが別格に魅力的だったからでしょう。

 

 ところがカオサンに来ると、時間だけはあまるほどある人が多い。話し相手はすぐにみつかるのだという。そしてその多くが、日本という社会に生きづらさを感じている若者なのだから、ベーシックな部分で生き方を共有している。話が合うはずだった。

 

 外こもりのひとり、《日本で稼ぎ、その金でカオサンですごすという生き方》をしているジミー君の話です。年齢は四十代半ばとのこと。それって若者(?)というつっこみはさておき、当時、ベーシックな部分でジミー君の生き方に共感する若者がたくさんいたというのは特筆すべきことだと思います。一様に生きることを強いられ、勤勉な労働と協調性を求められる日本から、敢えて降りた若者たちです。

 

 2020年の今は、どうなのでしょうか。

 

 新型コロナウイルスの感染拡大によって、おそらくは1年から2年くらい、若者たちは外こもりどころか、バックパッカースタイルの旅すらできないのではないかと思います。海外はおろか、他県に行くことすらためらうようなご時世。大学生や20代の若者にはきついだろうなぁと思います。留学等を含めて、日本を発つ日を待ち望んでいた若者も多かったのではないでしょうか。

 このままずっと外出自粛要請が続くと、人に出会うこともなく、朱色の文字を使って日記を書くことも少なくなりそうです。非常事態宣言が出されてからはずっと、黒。日本を降りる若者たちとは違った意味で、人と出会うことができません。中高生の我が子も、小学生の教え子たちも、少しずつきつくなっていくだろうなぁ。

 

 最後に、村上龍さんの『歌うクジラ』より。

 

 生きる上で意味を持つのは、他人との出会いだけだ。そして、移動しなければ出会いはない。移動が、すべてを生み出すのだ。 

 

 結局、人。

 

 やっぱり、移動。

 

 

 
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歌うクジラ(下) (講談社文庫)

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