田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、旅行、映画」

沢木耕太郎 著『陶酔と覚醒』より。小学生は陶酔して「する」。教員は覚醒して「みる」。

 もしかしたら、「みる」に対する言葉は「みられる」なのかもしれない。しかし、私には「みる」の対語は「する」であるような気がする。そして、その「みる」という動詞を人と結びつけるとするなら、「みる者」と「みられる者」ではなく、「みる者」と「する者」になるのではないかと思うのだ。
(沢木耕太郎『陶酔と覚醒』岩波書店、2020)

 

 こんばんは。今更ですが、昨夜、はじめてプライベートで Zoom を使いました。東京にいる実家の両親に長女と次女の「顔」を見せるというのが目的です。はじめてというのはいいものですね。両親のリアクションも、娘たちのリアクションも「キャーキャー」と新鮮で、和やかなひとときになりました。コロナとの共生が求められるこのご時世です。Zoom という未来のインフラ、学校現場に取り入れることはできないのでしょうか。

 

 

 ① ズームで個別指導(双方向、1対1)
 ② オンラインで授業(一方向、1対多)

 

 With コロナの時代、一足先に①や②を経験している塾通いの子どもたちに訊ねてみると、ほとんどの子が「①がいい」と答えます。②は要するに、先生が一方的に喋っている授業と同じだからです。ただ「みる」だけでも集中力をキープできる中高生なら②でもいいかもしれませんが、ただ「みる」だけでは飽きてしまう小学生には、ちょっと厳しいものがあります。オンラインで「『最高の授業』を世界の果てまで届けよう」をかたちにした税所篤快さんも、著書に《小学生に、同じ理解力を期待するのは難しい》と書いています。

 

 小学生は「みる」よりも「する」。

 

 覚醒よりも、陶酔。

 

 

 沢木耕太郎さんの新刊『陶酔と覚醒』を読みました。3月に発売された『達人、かく語りき』と『青春の言葉たち』に続くセッションズの「Ⅲ」作目です。セッションズ Ⅰ の『達人、かく語りき』は「あう」ということ、セッションズ Ⅱ の『青春の言葉たち』は「きく」ということ、そしてセッションズ Ⅲ の『陶酔と覚醒』は「みる」ということが、作品をより深く味わうための補助線となっています。

 

 

 見る。
 視る。
 観る。

 

 以下は対談相手とタイトルです。「みる者」もいれば「する者」もいます。それら2つを「合わせもつ者」もいます。共通するのは能動的であるということ。「みる者」は覚醒し、「する者」は陶酔しています。能動的に「みる」。能動的に「する」。受動的な「者」はひとりもいません。

 

 山口瞳「スポーツ気分で旅に出ようか」

 市川崑「映画とオリンピック」

 後藤正治「スポーツを書くということ」

 白石康次郎「海があって、人がいて」

 安藤忠雄「すべてはつくることから」

 森本哲郎「最初の旅、最後の旅」

 岡田武史「サッカー日和」

 山野井泰史、山野井妙子「垂直の情熱について」

 山野井泰史「記憶の濃度」

 角田光代「拳をめぐって」

 

 海洋冒険家の白石康次郎さんとの対談と、登山家の山野井泰史さんとの対談が印象に残りました。「する者」としての二人を育てた「みる者」としての二人の「師匠」に、教員として、興味を覚えたからです。

  

白石 多田さんのすごいところは、「康ちゃん全部やれや」って、基本的には全部僕にさせるんですよ。普通だったらこんな素人に任せないじゃないですか。でね、僕がちょっとしたミスを犯したんですよ。そうしたら多田さんは酒を置いてバババッと走ってきて、バババッとリカバーして、また座ってスーッと酒飲んでるの。カッチョイイーんですよ。

 

 多田さんというのは、1982年に行われた史上初の世界一周単独ヨットレース「アラウンド・アローン」で優勝した、多田雄幸さん(1930-1991)のことです。白石康次郎さんは、その多田さんの愛弟子にあたります。沢木さんは多田さんのことを《私にとっては、名声や栄達を望まず、山の麓で遊ぶことの上手な人の生ける見本だった》と書いています。沢木さん、顔が広いなぁ。

 白石さんが多田さんのところに弟子入りするエピソードがおもしろいんです。ヨットでの世界一周を夢見ていた白石さんが、高校3年生のときに多田さんの『オケラ五世優勝す』を読み、「この人に会えばなんとかなる」と思って電話番号を調べてかけまくったのが2人の師弟関係の始まりだそうです。電話は、朝の5時にようやくつながったとのこと。まさに「する者」です。

 そして師匠になった多田さんは、上記の引用(二人でヨットに乗って海に出たときの話)にあるように、細かい指図をすることなく弟子に好きなようにやらせていざというときだけ助ける、という「教育者の鏡」のような振る舞いを見せます。これって、登山家の山野井泰史さんに山登りの楽しさを教えたという「叔父さん」がとっていた振る舞いと全く同じなんですよね。二人とも、まさに「みる者」です。

 

 サウイフモノニ
 ワタシハ
 ナリタイ 

 

山野井 叔父さんは山の中でいかにしたら遊べるかという術をよく知っている人でしたね。別にノウハウをきちんと守らなくてもいい。たとえば、君がまっすぐ行きたかったら、この山道を外れてもいいからまっすぐ行っちゃえよ、というような人だった。ギリギリのところは僕を守ってくれていたと思いますけども、何か遊び方っていうか楽しみ方をすごく教えてくれたような気がしますね。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 沢木さんはライターとして「みる者」の立場にいながらも、どこかで自分も「する者」でありたいと願い、あとがきに《小学生の頃のような「する」だけで満たされていた日々を獲得したかったのだ》と書いています。

 

 小学生は「する者」です。

 

 オンラインで一方的に授業を配信しても、子どもは「する者」にはなれません。教員も、多田雄幸さんや山野井泰史さんの叔父さんのような「みる者」にはなれません。だからせめて Zoom を活用して、普段の授業と同程度には、子どもたちが「する者」になれる余地を確保してほしい。普段の授業と違って「1対1」で対話することもできるのだから、もしかしたらより能動的になれるかもしれない。そんなふうに思います。Wi-Fi 環境の整備と Zoom の活用を軸にした公教育の構造転換、国の力で何とかならないものでしょうか。

 

 セッションズ Ⅳ の発売予定は6月11日です。

 

 臨時休校、その頃も続いていそうだなぁ。