田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

沢木耕太郎 著『オリンピア1936 ナチスの森で』より。歴史をつなぐために。

 サッカーの堀江忠男は、同じくサッカーに出場した東京帝大の種田孝一と、帰りの船の中で「もうすぐ鉄と血の時代が来そうだな」と話し合っていたが、それは予想以上に早くやって来た。翌年には中国との戦闘が本格化し、さらにその翌年には東京大会の中止が決定された。ベルリン大会の元代表選手たちも戦地に送られはじめ、一九三九年には陸上百メートルの鈴木聞多が華北戦線で戦死、一九四一年には棒高跳びの大江季雄がルソン島上陸作戦において戦死、というように次々と戦死者が出てくるようになった。
(沢木耕太郎『オリンピア1936  ナチスの森で』新潮文庫、1998

 

 こんにちは。昨日、一昨日と県外出張でした。これでコロナに感染したら労災になるのでしょうか。まぁ、でも海がきれいだったのでよしとします。85年前、サッカー日本代表の堀江忠男選手や種田孝一選手も、ベルリンからの帰路に同じ風景を目にしていたかもしれません。

 

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爽やかな風を感じつつ(2021.8.5)

 

 昨日は出張先からとんぼ返りして、東京五輪男子サッカーの3位決定戦を観ました。メキシコ、強かったなぁ。

 

 試合後、レアルの久保健英選手が大粒の涙。
 試合後、早稲田の堀江忠男選手が大粒の涙。

 

 久保選手の悔し涙、絵になります。堀江選手のそれは感極まっての喜びの涙ですが、久保選手と同様に絵になったことでしょう。

 サッカー日本代表が初めて参加した1936年のベルリン大会。第一試合で強豪スウェーデンと対戦した日本は、2点を先制されながらも逆転し、大番狂わせ(ベルリンの奇跡)を起こします。堀江選手の「涙」はそのときのもの。時代が時代だけに、画像検索をしても出てきませんが、もしかしたらレニはその「絵」をもっていたかもしれません。レニというのは、近代オリンピックの原点となったベルリン大会のすべてをフィルムに焼きつけ、記録映画の傑作『オリンピア』を産み落とした、レニ・リーフェンシュタール(1902-2003)のことです。

 

 

 沢木耕太郎さんの『オリンピア1936   ナチスの森で』を読みました。レニ・リーフェンシュタールの取材に成功した沢木さんが、日本人選手の証言をもとに、ナチスの森で行われたベルリン大会を再構築したノンフィクションです。

 

「本に書いてあるようなことは訊かないでくださいね」
 要するに、つまらない質問はするなというわけだ。それを聞いて、これは面白いぞ、と思った。私は、余計な廻り道などせず、単刀直入に『オリンピア』の話題に入っていくことにした。

 

 作文指導でいうところの「はじめ・中・おわり」の「はじめ」と「おわり」にレニの自宅で行われたインタビューの様子を載せ、「中」にベルリンオリンピックのエピソードを位置づけるという構成です。オリンピアシリーズの2作目『オリンピア1996   冠〈廃墟の光〉』では、近代オリンピックの創設者ピエール・ド・クーベルタンに光が当てられていますが、この「歴史上の人物+オリンピアン」という組み合わせが社会科の授業における「歴史的な背景+当時の人々」のようでわかりやすく、しかも《川本は、トーランのその「ミッドナイト・エクスプレス」、つまり「深夜特急」の向こうを張って、「サンライズ・エクスプレス」というような名前はどうかと考えた》なんて記述もあったりして、沢木ファンの教員にはたまりません。

 ついでにいうと、私は作家・猪瀬直樹のファンでもあるので、シリーズ3作目は猪瀬直樹さんに光を当てて東京オリンピックのことを書いてほしいな、と。タイトルは『オリンピア2020 欲望のメディア』でどうでしょうか。沢木さんと猪瀬さんは『星をつなぐために』を読む限り「いい関係」なので、ぜひとも期待したいところです。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 2学期が始まったら、ピエール・ド・クーベルタンに加えて、レニ・リーフェンシュタールのことも子どもたち(6年生)に話したいと思いました。冒頭の引用にあるような、平和の祭典であるオリンピックと第二次世界大戦の距離感であったり、以下の引用にあるような、ヒトラーという歴史上のヒールに対する当時の人々の距離感であったりを伝えることができると感じたからです。

 

「当時のニュース映画を見ればわかります。ドイツ人の九十パーセントがヒトラーの虜になっていたんだから。でも、いまはそれを言ってはいけないことになっているの。そう、彼はとてもとても人を魅きつける力を持っていました。日本で、サムライが国のために自分を犠牲にするというなら、日本の人々もそのサムライを愛するでしょう。ヒトラーも同じでした。彼はドイツを愛し、ドイツをひとつにまとめようとしただけなのです。世界征服を試みたわけではありません」
 レニは、いま、確実に、これまで心の奥に閉じ込めていた思いの丈を吐き出している。私はぞくっとするものを覚えた。
「歴史的事実はまだ現れてきていないのです。あまりにも嘘が多すぎます!」
 そう言うレニに、私はさらに訊ねた。ヒトラーが孤独な姿を見せた時、女として心が動きませんでしたか、と。

 

 ぞくっとする筆致です。 沢木さん、もてただろうなぁ。レニの撮った記録映画『オリンピア』は、その年のヴェネツィア国際映画祭で「金メダル」に相当する金獅子賞を受賞しています。それくらいインパクトがあり、それくらい映画監督としてのレニに力があったということです。しかしその才能と作品が禍して、戦後、レニはナチスの協力者として長らく非難、黙殺されることになります。映画がナチによる独裁を正当化し、国威を発揚させたというのがその理由です。五輪開会式ディレクターの小林賢太郎さんが解任されたのも、そういった歴史の延長線上にあるんだよって、歴史を学ぶってそういうことだよって、子どもたちに伝えたい。ベルリン大会のゴールドメダリスト、孫基禎(ソン・ギジョン)のことも伝えたい。

 

 だが、月桂の冠を頭にかぶせられると、場内には「君が代」が流れ、国旗掲揚台に「日の丸」が翻った。孫はうつむきながら、どうしてここで「君が代」が流され、「日の丸」が掲げられなければならないのだろう、と無念の思いで聞いていた。

 

 日本人男性として初めてマラソンで金メダルを獲得した孫選手が《無念の思い》を抱いたのはなぜでしょう。ベルリン大会以降、孫選手には二度とマラソンを走る機会が訪れなかったそうですが、それはなぜでしょう。ベルリン大会に出場したサッカー日本代表に、金容植(キム・ヨンシク)選手が選ばれた際、堀江選手はとあるサッカー関係者が「ひとりくらい連れていかないとうるさいので」と話しているのを耳にしたそうですが、それはどういうことでしょう。社会の歴史の授業だけでなく、道徳の人権の授業にも応用できそうです。さらには、国語のメディアリテラシーの授業にも。

 

彼女はその優れた編集能力を駆使し、さまざまなレヴェルの映像を混ぜ合わせた。その結果、『オリンピア』は単なるドキュメンタリーであることをやめ、ドキュメンタリーと劇映画のはざまに浮かぶものとなっていたのだ。

 

 さすがはノンフィクションのプロフェッショナルである沢木さんです。レニへの取材を通して、最後は方法論の話にたどり着きます。レニが産み出し、ナチのプロパガンダ映画として機能してしまった『オリンピア』は、純粋な記録映画ではなかった。観る側にメディアリテラシーの力があったら、受け取り方も、レニのその後も、もしかしたら歴史の流れさえも変わっていたかもしれない。それはちょうど、コロナ禍で行われている東京オリンピックにも当てはまるかもしれません。

 

 歴史をつなぐために。

 

 読書の夏。