田舎教師ときどき都会教師

テーマは「小学校教員の働き方」&「読書、旅行、映画」

沢木耕太郎さんの『青春の言葉たち』より。青春の子どもたちに贈りたい一冊。

沢木 最近、気がつくと、吉行さんが僕らにしてくれていたようなことを、僕たちは若い人たちにしてこなかった。彼らが望まなかったのかもしれないけど。僕たちが吉行さんたちと付き合っていた時のようには、向こうもこっちに来なかったしね。先日、V6の岡田准一君と会って話したとき、岡田君に「酒場は学校だった」という話をしたら「そんな感じは僕たちにはない」と言われた。文士だけじゃなくて、ミュージシャンにも俳優にもジャーナリストにも、昔は、そういう学校じみた酒場があったわけじゃないですか。いま僕らの世代は先輩たちのように「教師」として下の世代に対応しているかな、と思ってね。
(沢木耕太郎『青春の言葉たち』岩波書店、2020)

 

 おはようございます。来週末に10年前の教え子たちに「あう」予定です。4年生のときに教えた子どもたちです。この10年間にどんなことがあったのか、いま何をしているのか、そしてこれからどこへ向かおうとしているのか。教室ではなく酒場で、そんなことを「きく」予定です。


 20歳になった子どもたちとのクラス会。


 心の底から楽しみにしているものの、もしかしたら延期になってしまうかもしれません。理由はもちろん猛威を振るっている新型コロナウイルスです。ちなみに10年前はインフルエンザウイルスが猛威を振るっていて、子どもたちはあっという間に集団感染&学級閉鎖へと追い込まれました。32クラス中、2位を大きく引き離してのトップ通過。子どもたち曰く、

 

 仲のよい証拠ですね!

 

 そうです。ものすごく仲がよくて、主体的で対話的なクラスだったんです。朝方から夕方まで濃厚に接触し続け、考えや意見をシェアすると同時にインフルエンザウイルスまでシェアしてしまったあの子たち。

 だから心配です。新型コロナウイルスが猛威を振るう中で、新学習指導要領が謳う「主体的・対話的で深い学び」を追求していいのかどうか。サークルになって話し合ったり、グループやペアで話し合ったりしたら、すぐに感染が拡大してしまうような気がします。連絡帳が積み上がっていく、10年前の悪夢(?)再び。このままだと「主体的・独話的で深い学び」を追求せざるをえなくなりそうです。ダイアローグではなく、モノローグを主とする授業づくり。退屈です。ダイアローグのない学校なんて、青春のない人生と同じです。 

 

 

 沢木耕太郎さんの新刊『達人、かく語りき(セッションズ Ⅰ)』に続いて、昨日は『青春の言葉たち(セッションズ Ⅱ)』を読みました。年上の対談相手が多かったセッションズ Ⅰ に対して、セッションズ Ⅱ では同世代の対談相手が多く登場します。達人に「あう」セッションズ Ⅰ と、青春を「きく」セッションズ Ⅱ の違いが反映されているといえるでしょうか。

 以下は対談相手とタイトルです。ビッグ・ネームがズラッ。故・尾崎豊さんまで名を連ねています。

 
 長谷川和彦「アクション・ターゲット」

 武田鉄矢「貧しくても豊かな季節」

 立松和平「事実の力、言葉の力」

 吉永小百合「いくつもの人生を生きて」

 尾崎豊「見えない水路」

 周防正行「みんなあとからついてくる」

 先崎学「陶酔と憂鬱」

 福本伸行「ソウルで話そう」

 大沢たかお「あの旅の記憶」

 上村良介「帰りなん、いざ」

 

 冒頭の引用は、青春時代に「天井桟敷」(寺山修司が主催)と深い関わりをもっていたという、劇団主宰者の上村良介さんとのセッションからとったものです。それにしても、寺山修司といい、引用に出てくるV6の岡田准一君といい、セッションズ Ⅰ に登場する吉本隆明さんといい、沢木さんって、あらゆるジャンルの大物と接点をもっていますよね。きっと「人間としての力量」が凄まじいのでしょう。

 

 私と相手。二人のあいだに言葉の水路がつながれば、自然と言葉は流れてくるようになる。相手に、自分のこの話を私に聞かせたいと思ってもらえればいいのだ。それは自分のことを理解してもらいたいという願望を抱いてもらえればいいということと同義のことでもあった。
 つまり、水路がつなげられるかどうかはこちらの人間としての力量そのものの問題だったのだ。

 

 あとがきの代わりに書かれている「『きく』ということ」からの引用です。小学校の先生もよく話題にする「きく」ということについて、沢木さんはそのように結論づけています。「きく」ということは、人間としての力量につながっている!

 

 「きく」って、大事ですよね。

 

 学級づくりや授業づくりの「要」といってもいいと思います。5年生の国語に『きいて、きいて、きいてみよう』という単元がありますが、これなんかはセッションズの副題である「聴いて、訊く」とほとんど同じ関心をもったものに思えます。ちなみに沢木さんは、対談を重ねていくうちに《よりよく「訊く」ためには、そしてその話をよりよく「聴く」ためには、まずこちらから「話す」ことが必要だということに気がつくようになったのだ》と書いています。この気づきを『きいて、きいて、きいてみよう』にミックスさせるとしたら『訊いて、話して、聴いてみよう』となるでしょうか。

 

「あう」ことは、人間としての力量を高める。
「きく」ことも、人間としての力量を高める。

 

 セッションズ Ⅰ & Ⅱ を読むと、やはり「あう」と「きく」をセットにした対話的な授業づくりが、小学校や中学校には必要だなぁと思います。義務教育段階で《私と相手。二人のあいだに言葉の水路がつながれば、自然と言葉は流れてくるようになる》という感覚をもつことができれば、人間としての力量を高めるチャンス、すなわち学校じみた酒場のような場所での「おもしろい大人」との出会いを逃さずにすむと思うからです。

 

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学校じみた酒場

  

 知っていますか。尾崎豊さんがずっと学級委員長だったってこと。それから不登校を経験していたってこと。そんなことも知ることができた『青春の言葉たち』でした。来週末、学校じみた酒場で、20歳になった子どもたちにも勧めたいと思います。  

 

 青春の子どもたち。

 

 楽しみだなぁ🎵