田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、旅行、映画」

坂口恭平 著『徘徊タクシー』より。わかりあえないことから。

 「ばあちゃん、どっちね?」
 大声をあげて尋ねると、彼女は右の人差し指をまっすぐに伸ばした。そこは小さいころ従兄弟たちとよく歩いていた道であった。トキヲを背負った僕は彼女の指を道標に少しずつ歩きはじめる。
 トキヲをおんぶしたのはこれが初めての経験であった。同時に、四歳のときに彼女におんぶされて花火を見に行ったことを思い出し、あのとき花火を見たいと言ったのはもしかして自分だったのではないかと考えた。
(坂口恭平『徘徊タクシー』新潮文庫、2017)

 

 子育てをしていると、自分が子どもだった頃のことを折にふれ思い出します。大掃除をしたり、初詣の計画を立てたり。昔、父や母と一緒によくやったなぁ、両親もこんな気持ちだったのかなぁ、って。思い出すと同時に、坂口さんが《あのとき花火を見たいと言ったのはもしかして自分だったのではないかと考えた》と書いているように、記憶がリライトされることもあります。未来が過去を書き換えるってやつです。

 

 リライトといえば。

 

 昨夜、「この画面の向こう側にいる人」に会ってきました。そういうことは過去にほとんどなかったので、次女は「パパ、やめなよ。怖い人かもしれないよ」と心配していましたが、幸いにして怖い人ではありませんでした。この画面を通して勝手に想像していた人柄が、実際に会って話したことでリライトされて、一風変わった色合いの、味わい深い夜になりました。徘徊人生、まだまだやめられそうにありません。

 

徘徊タクシー (新潮文庫)

徘徊タクシー (新潮文庫)

  • 作者:坂口 恭平
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2017/03/01
  • メディア: 文庫
 

 

 坂口恭平さんの『徘徊タクシー』を読みました。表題作を含む三編と、養老孟司さんとの特別対談を収めている、多元多重空間を徘徊するに相応しい一冊です。

 巻末に収録されている養老孟司さんとの対談を先に読んでから、坂口さんの運転する徘徊タクシーに乗り込みました。《恭平タクシーのご利用ありがとうございます。安全運転を心がけ、ゆっくり目的地へ向かいます》。アキレスと亀の寓話でいえば、目的地は「亀」のいるところです。

 

 認知症は、マイナスの意味での「病気」ではなく、プラスの意味での「新しい世界の入り口」である。

 

 発達障害は、マイナスの意味での「発達してない障害」ではなく、プラスの意味での「発達し過ぎ障害」である。

 

 認知症の人も、発達障害の人も、私たちが認識している世界とは全く別の地図をもっているにすぎない。徘徊タクシーの運転手である坂口恭平さんは、認知症や発達障害をそのように認識しています。そしてマイナスの意味でカテゴライズして切り離すのではなく、プラスの意味で受容した上で、小説では「徘徊タクシー」を通して、実生活では「いのっちの電話」を通して、認知症の人や発達障害の人の隣にソッと座り、わかりあえないことからコミュニケーションをはじめます。100%の理解は無理だけど、アキレスが亀を追い続けるように、相手が求めている「目的地」に向かって併走することはできる。たとえそこが異世界であっても、です。

 

 まるで松井さんみたいだ。

 

 4年生の国語の教科書に出てくる、あまんきみこさんの『白いぼうし』に、松井さんというタクシー運転手さんが出てきます。思いやりとやさしさと、ちょっとしたいたずら心をもった主人公で、徘徊タクシーではありませんが、現実と非現実を行ったり来たりしながら、お客さんを目的地へと運んでいきます。《徘徊しているじいさん、ばあさんを車に乗せて、彼らの行きたいところに連れて行くというバック・トゥ・ザ・フューチャーみたいな仕事》をしている、恭平タクシーと同じです。物語に「蜜柑」が登場するところもよく似ています。

 

 坂口さんと松井さん。

 

どんなに手を伸ばそうとしても決して届くことがない時間が、身近な空間の中に漂っている。自分が今感じている世界だけが事実ではない。祖母には祖母の、母ちゃんには母ちゃんの、そしてトキヲにはトキヲの、この家への視線と時間の堆積がある。見えている風景は同じようで、実は全く違うのかもしれない。祖母は手を叩くと、僕に笑顔を向けた。

 

 アキレスは亀に追いつけないということ、そしてコミュニケーションは「わかりあえないことから」はじまるということが、よく伝わってきます。

 

 もしも一人ひとりの人生が絵画だったとしたら。

 

 今夜「紅白歌合戦」に登場する official髭男dism 風にいえば、時間を重ねることでしか出せない色を、誰もがもっているといえます。世界でたった一つのインク。そのかけがえのないインクに、坂口さんも松井さんも自然と敬意を払っているところが、二人の佇まいに共通していて、だから二人とも笑顔を向けてもらえるし、よかったね、よかったよって、お客さんとその家族に喜んでもらえるのだろうなぁと、そう思いました。

 

 そんな先生がいたら、いいなぁ。

 

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そんな先生が、いた!

 

 オリジナルのカクテルが好きです。亀を追いかけるバーテンダーさんの姿が思い浮かぶからです。アキレスは亀に追いつけない。でも追いかけ、追い求め続けることはできる。令和2年のコミュニケーションも、そんなふうにありたい。そう思った昨夜の出逢いでした。

 

 さぁ、大掃除の続きだ。

 

 

車のいろは空のいろ 白いぼうし (新装版 車のいろは空のいろ)

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  • 出版社/メーカー: ポプラ社
  • 発売日: 2000/04/01
  • メディア: 単行本
 
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