田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

マーシャ・ガッセン 著『完全なる証明』より。教え方はひとつではない。挙手も板書もほどほどに。

「それが私の最大のノウハウなんですよ」とルクシンは言った。「三十年前に発見したのは、要するにそれなんです。子どもたちはみんな、解いた問題のひとつひとつについて自分の話を聞いてもらわなければなりません」。別の数学クラブでは、教室で子どもたちに答えを発表させていた。しかしそれは、誰かが最初に正解を出したところですべてが終わることを意味する。どの子にも、その子だけの成功があり、障壁があり、失敗がある。それを語らせてやるというのが、ルクシンの方針だったのだ。おそらくこれは、これまでに考案された中で、もっとも労力のいる指導法だろう。生徒も教師も、誰ひとり楽をする暇がない。「つまるところ、子どもたちには、話をすることを教えるのです」とルクシンは言う。
(マーシャ・ガッセン・著、青木薫・訳『完全なる証明』文藝春秋、2009)

 

 これが解けたら100万ドル。俗に言う「ミレニアム懸賞問題」のひとつ「ポワンカレ予想」の証明をやってのけた、ソ連(ロシア)の数学者グリゴーリー・ペレルマンの評伝より。そうだよなぁ、と思えるところを引用しました。著者のマーシャ・ガッセンは、ペレルマンと同時代に旧ソ連の数学教育を受けたジャーナリストとして知られています。白眉は《どの子にも、その子だけの成功があり、障壁があり、失敗がある》というところでしょうか。

 

 みんな違って、みんないい。

 

 40人いれば40通りの「わからなさ」があるし、40通りの理解の仕方があります。その「わからなさ」や理解の仕方を一人ひとりにきちんと語らせることが、ペレルマンの先生であったセルゲイ・ルクシンの方針です。

 

 自分の成功や障壁、或いは失敗を言葉にして表現しない限り、進まない授業。

 

 音楽と図工でいえば、自分が歌わなかったとしても進んでいく合唱活動と、自分がつくらなかったら進んでいかない造形活動の違いといえるでしょうか。もっと大きなくくりでいえば、日本の小学校のオーソドックスな授業スタイル、いわゆるブロガーのインクさんいうところの挙手を前提とした一斉授業(引用でいえば「別の数学クラブ」)と、自学をベースとするオランダのイエナプランとの違いといえます。ルクシンの指導法に近いのはもちろん後者です。

 

 

 私は授業のときに挙手をほとんど求めません。板書をすることもほとんどありません。子どもたち全員が、一人残らず「自分の成功や障壁、或いは失敗を語ること」にプライオリティーを置いているからです。

 ルクシンとの違いは、《生徒も教師も、誰ひとり楽をする暇がない》ではなく、子どもたち同士をつなげることによって、教師は少し楽をした方がいいというところでしょうか。さすがに40人もいると、いくら労力をかけても、担任一人で全ての子どもたちの話に耳を傾けることはできません。


 3時間目の算数で分度器を使って角度を測ったり三角形をかいたりしました。昨日はAさんに教えてもらったけど、今日は一人で全部できました。Bさんに説明することもできたので嬉しかったです。Aさんのおかげかなって思いました。Aさん、ありがとう。聞いてくれたBさんも、ありがとう。

 

 子どもの振り返りより。私ができることは、子どもたち同士をつなげて、そのつながりの中で、振り返りにあるような「話す・聞く」を機能させること。よくある話ですが、子どもたちが当事者意識をもちやすいように、グループサイズ(一人、ペア、4人グループなど)をうまく変えていくことによって、その中で「自分の話をすること」&「友達の話を聞くこと」を促しています。

 
 今日だれかの助けを得てできたことは、明日は一人でできるだろう。

 

 類似的な話を、同じく旧ソ連の心理学者レフ・ヴィゴツキーがしています。いわゆる「発達の最近接領域」と呼ばれる有名な概念です。発達の最近接領域とは、子どもの「現時点での発達水準」と「潜在的な発達可能水準」の間に存在する領域(のびしろ)のことで、ヴィゴツキーは共同作業(コラボ)を通してこの2つの水準のズレを解消しつつ新たな発達可能水準を生じさせることが教育であると言っています。ルクシンの「語らせてやる」は、発達の最近接領域をつくることにつながるなぁと、上記の子どもの振り返りを読んだときに、そんなことを考えました。

 

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カンボジアのシェムリアップにて、休日の小学生(01)

 

 今日は土曜参観でした。6連勤。ホント、疲れました。休日は遊ぶべきですよね、子どもも大人も。ただ、授業参観のときに、普段はあまり顔を見ることのできないパパたちとたくさん話をすることができたのは、よかった。一斉授業というスタイルをとっていないので(挙手も板書もほどほどなので)、授業中に保護者と話をすることができます。

 このブログと似たようなことを書いている学級通信(タイトルはコラボ)について、パパさん曰く「コラボ、いつも楽しみにしています🎵」。

 

 ホント、ありがたい。