英語には「過労死」に該当する単語がなく、「KAROSHI」と表記されるという。仕事は生活のためにすることなのに、なぜ日本人は仕事のために命を落とすのか、まるで理解できないと言われるが、返す言葉がない。死に至らずとも、ストレスから心身を蝕まれてしまう人が後をたたないのが日本社会の特徴だが、海外における人々の働き方やライフスタイルに触れると、このストレスと利便性は表裏一体の関係性にあることがよくわかる。
(乙武洋匡『ただいま、日本』扶桑社、2019)
バックパッカーあがりの教員にとって、乙武洋匡さんの『ただいま、日本』は、乙武さんの代表作である『五体不満足』と同じくらい読み応えのある本です。コルカタ(カルカッタ)にあるマザーテレサの施設の話も出てくるし、オランダのイエナプラン教育の話も出てきます。おもしろくないわけがありません。
元教師として驚いた自由すぎる授業。
オランダのイエナプラン教育について書いている、第2章のタイトルです。第2章の第1節の見出しは、「授業」とは何かを考えさせられたイエナプラン教育、続く第2節は、教師自身が「自ら学ぶ」、とあります。曰く《イエナプラン教育では、先生が教室にいないこともめずらしくないというから驚きだ》云々。
元教師として驚いた不自由すぎる授業。
自ら学ばない、学べない、日本の教師。
オランダの教師が日本の学校を見学して本を書いたとしたら、そんなタイトルをつけるのでしょうか。勤務時間外にただ働きを強いられる日本の教師に対して《また、オランダでは、教師に一人当たり年間十三万円という研修費が支給される》とあります。教室を留守にし、もらったお金で自己研鑽に励むことができるなんて、KAROSHIするまで働き続ける日本の教員には眩しすぎる働き方&ライフスタイルです。
インドについては、マザーテレサの施設(コルカタ)ではなく、ホーリー祭(ヴァラナシ)のことが中心に書かれています。曰く《その翌日、私は一週間滞在したコルカタを離れ、ヴァラナシへと向かった》云々。
サラッと書いてある一文ですが、その昔、私がコルカタからヴァラナシへと移動したときには、途中で電車が止まってしまい、大変な思いをしました。半日近く微動だにせず。アナウンスも聞こえてこず。でも、誰も怒ったりわめいたりしていないんですよね、インドの人は。単なる日常。乙武さんのいう、ストレスと利便性は表裏一体の関係性にあるっていうのはその通りで、利便性がほどほどだから、ストレスもほどほどで済んでしまうのだと思います。電車の1分の遅れにイライラしてしまうようなメンタリティは誰ももち合わせていません。
インドの真上にあるネパールではこんなことがありました。トレッキングの最中、登校途中の小学生と一緒に歩いていたときのことです。小学校に着いたところ、校長先生に呼び止められて「ちょっとこのクラスを見ていてください」というまさかの展開に。担任の先生がまだ来ていないからちょうどよかった、とのこと。1時間くらいでしたが、1年生くらいの子どもたちを相手に、アルファベットを教えることになりました。日本だったら、あり得ません。
日本だったら大問題になることが、外国では問題にならなかったり、外国だったら大問題になることが、日本では問題にならなかったり。だからこそ、定期的な「いってきます、日本」や「ただいま、日本」が大切で、価値観の相対化を繰り返しながら《これまでの自分には見えなかった面に光をあてる》ことに意識的でありたいと思います。とはいえ(もしかしたらこれも固定観念かもしれませんが)、パパが放浪するわけにもいかないので、できることといえば、本を読んだり人と会ったりすることくらい。今年の2月には、乙武さんに会えるチャンスだ(!)と、トークイベントの情報をキャッチし、1分刻みで正確に運行する電車を乗り継いで代官山まで足を運び、乙武さんの生声に耳を傾けてきました。
乙武さんの隣に座っている「黒い白衣」の男性、ご存じでしょうか。分身ロボット「OriHime(オリヒメ)」の開発者で、ロボットコミュニケーターを自称する、吉藤オリィこと吉藤健太朗さんです。小学校5年生から中学校2年生まで3年半、不登校を経験したというオリィさん。その甲斐(?)あってか、日本の教育に特有の同質性には全く染まらなかったようで、特注という「黒い白衣」からは傘が出てくるし、障碍のある人たちが社会で活躍するためのアイデアも次々と出てくるし、乙武さん目当てで参加した身としては嬉しい誤算。ちなみにこのトークイベントのテーマは次のようなものでした。
我慢強いことは良いことなのか?
乙武さんにしろオリィさんにしろ、ここ最近このブログで紹介してきた坂口恭平さんにしろ磯野真穂さんにしろ、みんな同じことを言っているような気がします。我慢強いことは良いことなのか。KAROSHIするまで働くことは良いことなのか。4人ともこう言っています。
良くない。
現実脱出して、幻想を捨てて、もっと自由に。