田舎教師ときどき都会教師

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中村哲 著『わたしは「セロ弾きのゴーシュ」』より。〈世界〉に開かれた「ゴーシュ」という生き方。

 この土地で「なぜ20年も働いてきたのか。その原動力は何か」と、しばしば人に尋ねられます。人類愛というのも面映いし、道楽だと呼ぶのは余りにも露悪的だし、自分にさしたる信念や宗教的信仰がある訳でもありません。良く分からないのです。でも返答に窮したときに思い出すのは、賢治の「セロ弾きのゴーシュ」の話です。セロの練習という、自分のやりたいことがあるのに、次々と動物たちが現れて邪魔をする。仕方なく相手しているうちに、とうとう演奏会の日になってしまう。てっきり楽長に叱られると思ったら、意外にも賞賛を受ける。
 私の20年間も同様でした。

(中村哲『わたしは「セロ弾きのゴーシュ」』NHK出版、2021)

 

 おはようございます。先週末、仕事帰りにちょっと酔り道し、BtoB(Business to Business)の企業に勤めている友人と落ち合って控え目に道楽してきました。かに道楽ではなく、焼肉 DOURAKU です。

 

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焼肉DOURAKUにて

 容易に想像できる。

 

 友人曰く、教員は BtoC(Business to Consumer)みたいなものだから、その大変さは容易に想像できるとのこと。教員の大変さだって容易に想像できるのだから、いわんや医師・中村哲さんのそれをや。掘った井戸は1600本、拓いた用水路は25キロ以上、そしてつないだ人の命は、

 

 およそ65万人。

 

 凶弾に倒れるまでに、いったいどれだけの喜怒哀楽を彼の地の Consumer、否、持たない人々と共にしたのでしょうか。

 

 どこへ行っても「これは神の思し召しだから我慢しなきゃ」ということで、それは正しいかどうかは別として、ある種の、持たない人の明るさと言いますか、そういうのがあるんですね。それと、情の濃さ、人のよさというのがあってですね、これがなかなかの魅力なんです。

 

 これがなかなかの魅力なんです。

 

 中村さんが感じた魅力、すなわち持たない人の明るさも情の濃さも人のよさも、すべては贈り物です。贈与は、差出人ではなく、受取人の想像力から始まる。

 

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 これがなかなかの魅力なんですというところ、容易に想像できます。地方の漁師町にあった初任校の保護者がまさにそのような感じだったからです。 BtoC の「C」が明るく情に溢れていれば、「B」も輝くし、がんばれる。中村さんが自身をセロ弾きのゴーシュになぞらえるのも、彼の地の人々から受け取ったものにセンシブルだったからでしょう。世界は贈与でできている。そのこともまた中村さんが本当に伝えたかったことのひとつだと想像します。

 

 

 中村哲さん(1946ー2019)の『わたしは「セロ弾きのゴーシュ」』を読みました。中村さんがNHK「ラジオ深夜便」(96ー09)で語っていたことを再現した一冊です。えっ、中村さんを知らない(?)。Wikipedia(2021年11月14日現在)には次のようにあります。

 

 福岡県福岡市出身の脳神経内科を専門とする医師である。ペシャワール会の現地代表やピース・ジャパン・メディカル・サービスの総院長として、パキスタンやアフガニスタンで医療活動に従事してきた。アフガニスタンでは高く評価されており、同国から国家勲章や議会下院表彰などが授与されており、さらに同国の名誉市民権が贈られている。日本からも旭日双光章などが授与されている。また、母校である九州大学では、高等研究院にて特別主幹教授に就任した。2019年、アフガニスタンのナンガルハル州ジャラーラーバードにて、武装勢力に銃撃され死去した。死去に伴い、旭日小綬章や内閣総理大臣感謝状などが授与された。

 

 補足すると、医師なのに井戸を掘ったり用水路を拓いたりと、医療活動(命)の大元にある「水」の確保に力を注いだことでも知られています。要するにマザー・テレサのような人。

 はじめに(本書刊行の経緯について)に続く目次は、以下。

 

 第一章 ハンセン病根絶を目指して(49歳)
 第二章 もの言わぬ民の命を(55歳)
 第三章 アリの這う如く(57歳)

 セロ弾きのゴーシュ 宮沢賢治

 第四章 命の水(58歳)
 第五章 難民と真珠の水(60歳)
 第六章 開通した命の用水路(63歳)
 終 章 来たる年も力を尽くす(73歳)

 あとがきにかえて


 あとがきの次にペシャワール会会長/PMS総院長・村上優さんの「中村哲先生の声が聴こえる」が収録されています。
 どの章にも贈与、すなわちアフガニスタンの人々の魅力が綴られていること。それから、平行して読んでいた極地探検家・角幡唯介さんの『狩りの思考法』とのつながりを発見したこと。印象に残ったことがありすぎるので、とりあえずその2つについて書きます。

 

 現地の何もない状態で、人々が不幸せかというと、案外そうでもない部分がある。部分と言いますか、日本と日本人が失った幸せというのを、彼らは持っている。

 

 これは第一章から。その前に引用した《持たない人の明るさ》云々は第二章より。私たちが失った幸せであったり明るさであったりを、アフガニスタンの人々から思いがけず受け取り、その贈与に応えたのが中村さんというわけです。どのように応えたのかは『セロ弾きのゴーシュ』につなげるかたちで第三章に書かれています。

 

 中村哲 = ゴーシュ

 

 簡単に言うと、外部から「診てください」「治してください」と「やってくる」ものに対して開かれ、応えまくったという意味での「=」です。社会学者の宮台真司さんの言葉を借りれば《<世界>(の根源的未規定性)》に開かれている。角幡さんの言葉を借りれば、狩猟民の生き方である《モラルとしてのナルホイヤ》を体現している。えっ、ナルホイヤを知らない(?)。イヌイットの人たちがよく口にするという「ナルホイヤ」については、以下。

 

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 ナルホイヤ = わからない

 

 冒頭、なぜ20年も働いているのかという問いに対して、中村さんは《よく分からないのです》(= ナルホイヤ)と答えています。井戸を掘ったり、用水路を拓いたり。要するに農耕民的な生き方をしていた中村さんが、狩猟民的な生き方の価値(未来を計画しすぎない、ナルホイヤの思想、漂泊して外とつながる、等々)を説く角幡さんと重なるのはなぜでしょうか。そう思ったところ、なぜに対する「なぜならば」も書いてありました。これです。

 

 そうそう、生々しい。人間が生きて死ぬということが、非常に直に見える世界と言いますか。

 

 中村さんが生きたアフガニスタンの人々も、角幡さんが生きているシオラパルク(グリーンランド最北の地)の人々も、同じような死生観をもっているということです。生きるとは死ぬことと見つけたり。角幡さんはシオラパルクの集落のことを《死が傍らにある村》と表現しています。

 

 死が傍らにあるから、いまここにある生を愛しむことができる。

 

 日本と日本人が失った幸せというのは、おそらくそういったことです。未来予期にすがることなく現在を楽しむ幸せ。外から「やってくる」ものをおもしろがる幸せ。実際、中村さんが井戸を掘ったり用水路を拓いたりしたことで《トンボが来るわ、フナが来るわ、アメンボが出てくるわ、で、カエルが鳴くわ、魚が入ってくるわ、鳥が来るわ、おまけに人間もそこで一緒に仲良く暮らしていく里ができていく》って、まさにイーハトーブ的な幸せな世界ができあがったそうです。

 

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 中村さんが凶弾に倒れてからもうすぐ2年です。今朝のニュースに「寒さで子供100万人死亡懸念 厳冬近づき支援急務 アフガン」(時事通信社)とありました。その大変さ、容易に想像できます。

 

 彼の地にセロ弾きのゴーシュはいるのでしょうか。

 

 ナルホイヤ。