父から昔そのままのやり方で仕込まれた私は、十数年の経験を経て徐々に一人前の寄木職人の域に近づく自覚のようなものが出来つつあり、周囲もそのように扱ってくれるようになった。厳しい父のこと、そんなことはおくびにも出すものではなかったが、仕事上の口出しは次第に減っていった。腕が上がるに連れて、それまでただひたすら木と格闘してきた私は「木は使い方によって生きる」ことを仕事の中で改めて実感し、使い方によって面白さを表現できることを知った。自然のものの持つ奥深い魅力に気づいた。
(本間昇『寄木に生きる』文化堂、2004)
以下、3年前の学級通信「コラボ」より。
年末に2回、箱根を訪ね、『寄木に生きる』の著者である寄木職人の本間昇さん(1931~)と、同じく職人の金指勝悦さん(1940~)にお話を伺ってきました。本間さんと金指さんは、寄木の美術館を建てたり、箱根駅伝のトロフィーを作ったり、それから社会科の教科書に顔を出したりもしている、わりとメジャーな職人さんです。
①本間さんは、飽きることなく、新しいことに挑戦し続けている。
②本間さんは、外国まで足を運んで寄木細工のよさをPRしている。
③本間さんは、責任をもって後継者を育てている。
④金指さんは、寄木細工を作るだけでなく、次の世代のことを考えて植林もしている。
⑤金指さんは、弟子を育てて、伝統を絶やさないように努めている。
⑥金指さんは、箱根駅伝のトロフィーを作って、寄木細工を全国にPRしている。
寄木細工の魅力に触れた後に、年表や資料、インタビュー動画などを使って、二人の職人さんの生き方に迫りました。上記の①~⑥は子どもたちが二人の生き方から見いだしたそれぞれの魅力です。
子どもたちは今日、調べたことをKP法(紙芝居プレゼンテーション)で伝え合い、その後に箱根寄木細工の未来について考えます。寄木細工の伝統は続いていくのか、否か。なぜそのように考えるのか。ちなみに今日の授業(研究授業)は、他の先生たちにも見てもらい、放課後に子どもたちの「学び」について、検討の場をもちます。
Q「職人さん同士で切磋琢磨するような場面はあるのですか?」
A「一ヶ月に一度、小田原に集まって、職人同士で技を披露し合っています。」
年末の2度目の訪問の折、旅のお供をしてくれた次女(4年生)にインタビューの仕方の手本を示しつつ、職業的好奇心から、金指さんにそう尋ねたところ、上記のような答えが返ってきました。一本一本違う木の「生かし方」について話し合う職人と、一人一人違う子どもの「伸ばし方」について話し合う教員。似ているな、と思います。木が使い方によって生きるように、子どもたちも、それぞれに合った学び方によって伸び、そして成長します。
今日、変形労働時間制の導入を含む教職員給与特別措置法(給特法)改正案が、衆院本会議で審議入りしました。木と同様に、教員も使い方によって生きると思うのですが、この改正案が通ってしまったら、もはや生きることすらままならなくなりそうだなぁと不安を覚えます。
教員も使い方によって、生きる。
そして使い方によっては、死ぬ。
冬休み(年末)に箱根まで行って教材研究をしても、もちろん自腹だし、もちろんただ働きです。吉田松陰の「かくすれば、かくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂」に倣えば、ただでやるほど無責任なことはないと知りながら、やむにやまれぬ教師魂ってところでしょうか。
そんな教師魂を逆手にとっての「変形労働時間制」です。ひどい話だなぁと、本当にそう思います。
忙しい時期の定時を延ばして、夏休みなどの閑散期は勤務時間を短くするという話ですが、夏休みなどの「など」に含まれているであろう冬休みも、私たちは寄木職人のもとを訊ねたり、その寄木職人の書いた本を読んで教材をつくったりしています。それって、仕事にはならないのですかね。それって、閑散期なんですかね。それってもしかしたら、
やりがい搾取?
生きがい搾取?
3年前の写真を探していたら、熱海の海岸に「生きがい」と書いていました。疲れているなぁ、3年前の俺。「生きがい」とか書いちゃっているパパを見て、次女はどう思ったのだろうなぁ。
仕事上の口出しは次第に減っていった。
仕事上の予算だけが毎年増えていった。
厳しい父たる文部科学省には、そうあってほしものです。「教育に生きる」とプライドをもって働いている現場の教員がよりよく「生きる」ことのできる審議を、政治家さんや官僚さんたちに期待しています。
教育に生きる!