「私自身、報われなかったのはがんばらなかったからだという考え方に納得がいかないからです。才能や実力のない人に到底たどりつけない目標を与えてがんばらせるのは、人間を不幸にすると思う。できる、できないという基準ではない価値を築けるかどうかを、小説を通じて考えてみたかった。報われなかったからといって、絶望する必要はないんじゃないか、と」
デビュー以来、著者の変わらぬ姿勢だろう。
(三浦しをん『風が強く吹いている』新潮文庫、2006)
おはようございます。朝夕、通りをジョギングする人が増えてきました。廊下を走る子どもたちと同じように、皆、体が走ることを欲し始めたのかもしれません。わたしもときおりにわかランナーのひとりとして彼ら彼女らに続きます。前後左右のランナーの動向を気にしつつ、ソーシャル・ディスタンスを守って走るコロナ時代の私たち。マスク着脱もお手のもの。近くに誰もいないときにはマスクを外す。他のランナーの気配を察する能力に関しては、箱根駅伝を走る学生にも負けていないかもしれません。
三浦しをんさんの『風が強く吹いている』を再読しました。07年の漫画化を皮切りに、ラジオドラマ化、舞台化、実写映画化、そしてテレビアニメ化と、各メディアに襷をつないだ駅伝小説の金字塔です。この作品に感化されて箱根を目指すようになった読者もたくさんいるのではないでしょうか。箱根とまではいかなくても、良質の授業のように、行動変容を促す風をもった小説であることは間違いありません。読むと、走りたくなりますからね。
走るの好きか?
リーダーシップを絵に描いたような主人公・灰二(ハイジ)が、もう一人の主人公・天才ランナーの走(カケル)と出会い、竹青荘という同じ学生寮に住む、陸上部でも何でもなかった住人たちを巻き込んで箱根駅伝を目指すというのが『風が強く吹いている』のプロットです。よくある例でいえば、野球部のなかった高校に天才バッテリーが入学し、仲間を増やしながらぎりぎりの人数で甲子園を目指すみたいな話です。いわば王道。いわば鉄板。おもしろくないわけがありません。
十人十色。
野球は9人、箱根駅伝は10人。だからこの十人十色という言葉がこの小説にはぴったり当てはまります。ハイジやカケルを含む竹青荘の10人のユニークさといったらそれはもう、見事という他ありません。冒頭の引用(最相葉月さんによる解説より)にもあるように、三浦しをんさんは《できる、できないという基準ではない価値を築けるかどうか》をこの10人の走りに託します。村上春樹さんの言葉をもじれば、長距離を走ること、すなわち生きることについて語るときに僕の語ること。10人それぞれの走りに、そして語りに、十人十色の価値が描かれるというわけです。
どの価値に共鳴するのか。それも人それぞれ。
子育てにまみれているからでしょうか。再読となる今回は、次の描写に涙腺が緩んでしまいました。10年くらい前に読んだときにはあっという間に後景に退き、とりたてて記憶に残らなかった場面です。経験の幅の広がりが想像力の射程を伸ばし、ユキやユキの母親の感情の背中をとらえることができたのかもしれません。
宮ノ下温泉郷に入り、富士屋ホテル前を通過したユキは、思いがけないものを目にして短く声をあげた。
「うわ」
ホテルのまえには宿泊客が大勢出て、箱根駅伝の旗を振っていた。浴衣に丹前を羽織っただけの軽装で、寒さに身を縮めながらも声を嗄らすひともいる。ユキはそのなかに、母親と、半分だけ血のつながった妹、そして母の再婚相手の姿を見つけたのだ。
「雪彦ー!」
と母親は大声で呼びかけ、
「お兄ちゃん、がんばって!」
と幼い妹は身を乗りだし、その妹を抱えてやっている義父は、しきりとうなずいていた。
「むちゃくちゃ恥ずかしいんですけど……」
10人の中で、ユキとカケルだけは親とうまくいっていなかったんですよね。伏線として、竹青荘にテレビ取材を入れるかどうかを話し合う場面で、ふたり以外の8人が「親に喜んでもらえる」と浮かれる中、取材に乗り気ではなかったユキが次のようにつぶやくシーンがあります。
「親を喜ばせたいやつばかり、ってわけでもないんだよ」
こういう感覚って、十人十色のメンバーをマネジメントしていかなければいけない担任には欠かせないものです。親を喜ばせたいやつばかり、ってわけでもない。100点をとりたいやつばかり、ってわけでもない。ドッジボールをしたいやつばかり、ってわけでもない。エトセトラエトセトラ。親を喜ばせることに価値なんてないという話ではなく、親を喜ばせたいと思っていない子もいるかもしれない、100点をとりたいと思っていない子もいるかもしれない、ドッジボールをしたいと思っていない子もいるかもしれない、だから常識はいったん括弧に入れて、全てはそこから考えようという、想像力についての話です。
あとは、ひたすら想像するのみでした。
この作品を書くにあたって、三浦しをんさんもそう語っています。もちろん周到な取材を重ねた上での話です。何せ執筆に6年もかけていますからね。その情熱足るや竹青荘のメンバーが箱根にかけたそれと変わりません。
できる、できないという基準ではない価値を築けるかどうかを、学級を通じて考えてみたかった。小説を学級に置き換えると、そうなるのではないでしょうか。時間的にも物理的にも、一人ひとりの距離が離れてしまう with コロナの時代だからこそ、これまで以上にクラスの子どもたちのことをひたすら想像してきたいものです。
ちなみに『風が強く吹いている』を再読しようと思ったのは、通りを走っているランナーたちを見たからではなく、インクさん(id:taishiowawa)のブログを読んだからです。インクさんのお父さん、会ったことも話したこともないけれど、この本をお子さんに勧めてくれてありがとうございます。人気急上昇の息子さんを通じて、わたしにも襷がつながりました。私の娘にもつながるかもしれません。感謝です。
風が弱く吹いています。
走ってこようかな。