ミドルエイジが人生の一大転機であるという捉え方は、決して新しいものではない。
心理学者のユングは、四十歳前後を「人生の正午」と呼んだ。
正午を過ぎたあとは、ただ日が暮れるのを待つだけ、すべてが下降線をたどるというイメージに捉えがちだが、ユングの真意は違う。
ユングは「午前の太陽の昇る勢いはすさまじいが、その勢いゆえに背後に追いやられたもの、影に隠れてしまったものがたくさんある。それらを統合していくのが四十歳以降の課題だ」と語っているように、人生の正午を過ぎると、それまでとは違う景色がみえはじめるのである。
(成毛眞『40歳を過ぎたら、三日坊主でいい。』PHP研究所、2013)
一昨日のランチタイム、長女が保育園に通っていた頃のパパやママたちと久しぶりに集まって、子育てやミドルエイジ・クライシスの話に花を咲かせました。ちなみに「ミドルエイジ・クライシス」という言葉を教えてくれたのは、パパ友の一人、売れっ子の絵本作家さんです。
ミドルエイジ・クライシス = 中年の危機。
仕事のことや働き方のこと、思春期(反抗期)の娘との衝突のことなど、人生の正午を迎えた大人たちが語り合うこと数時間。売れっ子の絵本作家さんのように、傍目には記念碑的な成功譚として映る人生も、本人は「夢は叶ったけど、しあわせってそういうことじゃないんです」と感じていたり、一見すると順調そうな家庭も子育てに悩んでいたり。結局、隣の芝生は思っているほど青くない、だから力を合わせて一大転機を前向きに乗り切りましょう、という話に落ち着きました。
クラスの子どもたちにもつながりの大切さを説く毎日ですが、同じ年頃の子どもを育てている大人同士のゆるやかなつながりも大切だと感じます。ミドルエイジについていえば、我が子とのかかわり方を見直そうとか、働き方を見直そうとか、ときおり会って話をすることで、ユングいうところの「背後に追いやられたもの、影に隠れてしまったもの」に目を向けるきっかけとなります。
子「パパはなりたいものになれた?」
父「こんなはずじゃなかったよなぁ。」
祖母「なんで男は今を愛せないのかねぇ。」
映画『海よりもまだ深く』(是枝裕和 監督)に出てくる台詞です。夢見た未来と違う今を生きる、もと家族の物語。ミドルエイジ・クライシスに見舞われている、もと作家&父の役を、阿部寛さんが演じています。私も「人生の正午」のまっただ中にいるためか、上記の子と父と祖母の会話が印象に残りました。傾向としては、男性よりも女性の方が、大人よりも子どもの方が、過去や未来にとらわれず、今を愛する力、或いは今を楽しむ力に長けていると感じます。がんばれ、パパ(俺)。
その日の夜には、友人とともに6弦フレットレスベースの名手である服部龍生さんのソロライブを観に行きました。ハーフ&ハーフと梅酒、それからオリジナルサラダを味わいつつ、最前列での鑑賞。これも残業と持ち帰り仕事にまみれた20代と30代の過労死レベルの労働によって「背後に追いやられたもののひとつかもしれない」なんて思いながら、これまでとは違う景色を楽しみました。
どんなに忙しくても&がんばったとしても、
仕事とプライベートは、ハーフ&ハーフで。
JAZZ FIRST = PRIVATE FIRST。