一度、ラマダン中とは知らずに野外調査に出向いたことがあるが、炎天下でもモーリタニア人は一口も水を飲まなかったので、熱中症にならないか心配していた。ただでさえ厳しい自然環境なのに、何ゆえ過酷な状況にその身を追い込むのか。答えを求めて自分も彼らに倣ってたった3日間ではあるが、ラマダンをしてみた。断食中は確かにつらいが、そこから解放されたとき、水を自由に飲めることがこんなにも幸せなことだったのかと思い知らされた。明らかに幸せのハードルが下がっており、ほんの些細なことにでも幸せを感じる体質になっていた。おかげで日常生活には幸せがたくさん詰まっていることに気づき、日々の暮らしが楽に感じられた。
ラマダンとは、物や人に頼らずとも幸せを感じるために編み出された、知恵の結晶なのではなかろうか。
(前野ウルド浩太郎『バッタを倒しにアフリカへ』光文社新書、2017)
こんばんは。もうすぐクリスマスですね。街の雰囲気がそれっぽくなり、何となく華やいだ気持ちになります。モーリタニアにクリスマスがあるのかどうかは寡聞にして知りませんが、転教することなくクリスマスの習慣だけを輸入した先人の知恵に頭が下がります。ちなみに我が家の長女はクリスマス・イブ生まれなので、バースデーとサンタクロースが連れだってやってきて、クリスマスの時期はいつも賑やかです。
贈り物がどんどん大人びていく。
そんなことからも娘の成長を実感することができます。もうすぐ高校生になる長女はパソコンがほしいようで、大人びるってそういうこと(高価)かと、サンタとのコラボを画策中です。もうすぐ中学生になる次女は、今年、特にほしいものがないようで、サンタクロースは忙しいだろうから、これまでのお返しにサンタクロースにお休みをプレゼントしたい、と話していました。ほんと、大人びてきたなぁ。
願い:サンタさんへ、ファミリーコンピューターをください。
現実:朝起きたら、キャプテン翼の9巻が置いてありました。
わたしが小学生だったときの話です。男の子はゲームをほしがるもの。今も昔も、それは変わりません。
ここ数年、個人面談のときなどに、放課後、せっかく友達と約束して集まっているのに、みんなでゲームをしているのはどうなのでしょうか、という相談を受けることが何度かありました。もっと外遊びを楽しんでほしいという願いをもった、主に3年生から5年生くらいの男の子の保護者です。
サンタクロースに外遊びの楽しさをプレゼントしてもらうわけにはいかないし、「そもそもゲームを買い与えた時点でそうなることは予想できたことですよね。ルールもちゃんと決めていないようだし、はっきり言ってもうゲームオーバーです」なんていう本音を伝えるわけにもいきません。できることといえば、前野ウルド浩太郎さんの『バッタを倒しにアフリカへ』を紹介しつつ、ラマダンの習慣をアレンジするのはどうでしょうかとアドバイスすることくらい。
ゲームを断食する。
そうすれば幸せのものさしが変わり、前野ウルド浩太郎さんの愛しているバッタや、道端に落ちている石にだって、外遊びの対象として興味がわくかもしれません。バッタと石は、過去に授業にも登場しました。幸せのハードルが下がれば、バッタを見るだけでも、或いは石を見るだけでも、幸せを感じることができます。
タブレットを使って学校にある春夏秋冬を写真に撮り、見つけた自然や生き物について説明するという、4年生の理科の授業より。バッタ、なかなか手強そうだなぁ。
続いて、ゲストティーチャーとして招いた芸術家さんの発案による、3年生の図工の授業より。世界でたった一つのお気に入りの石を探して、レイアウトを工夫した「石展」を開こう、というもの。高さを変えたり、天井に付けたライトで光を演出したりして、おもしろかったなぁ。
とはいえ、幸せのハードルが下がっていない状態で、クリスマスの朝にゲームの代わりとして靴下の中にバッタが入っていたとしたら、或いは石が入っていたとしたら、幸せではなく、戸惑いと怒りを感じることでしょう。
ポイントは、幸せのハードルを下げること。
サンタクロースがいると思っている人は子ども。
サンタクロースがいないと思っている人も子ども。
サンタクロースは私だ(!)と思っている人が大人。
そんな話があります。パパとなり、サンタクロースになった今となっては、我が子の幸せのハードルを上げたくなかったのだろうなと、ファミコンではなくキャプテン翼の漫画を枕元に置いた前代のサンタクロースの気持ちがよくわかります。
我が子には「小確幸」に気づける人になってほしい。
日常生活には幸せがたくさん詰まっているのだから。
カッコウ。