樹木 確かに言ってはいるんだけどね。ベランダのシーンで、蝶々の話をしながら「こんなはずじゃなかった」って。絶対に自分のせいだとは思いたくない。「お父さんが悪いのよ」「ああいう嫁じゃなければ」「世の中が見る目がないのよ」とか、本当にそう思っている。そういう母親、いっぱい見てきました。
(是枝裕和『希林さんといっしょに。』スイッチ・パブリッシング、2019)
こんばんは。いつ頃からでしょうか、被害に敏感で他害に鈍感な子(小学生)が増えたなぁと感じるようになりました。特に男の子。他害について言及すると、判で押したように「何で俺だけ?」って、スピード違反で捕まった運転手ですか(?)というような残念な言葉が返ってきます。先日、職員室で「被害者意識の強い子が増えている」という話をしたら、ベテランの先生(♀)が「母親もね」とこぼしていました。やれやれ。でも確かに、そういう母親、いっぱい見てきました。
〇〇くんが嘘ばっかりつくんだ。
小学生の頃、同じクラスの〇〇くんが嘘ばかりつくので、「みんなも〇〇くんは嘘つきだって言っている」というよくある常套句とともに、母親に〇〇くんの悪行を訴えたところ、こんな言葉が返ってきました。
みんなに注目されるなんて、その〇〇くんって子、すごいな~。
たぶん、あのときに「そんな子がいるの! とんでもない!」「担任の先生はその子に何も言わないの? とんでもない!」みたいな反応を母親が示していたとしたら、そしてそういう反応を示し続けていたとしたら、私も被害に敏感で他害に鈍感な子になっていたかもしれません。だって被害を訴えたら母親の注目を集めることができるのですから。さいわい、我が子は善で、我が子がNGを出す相手は悪、という思考回路はゼロの母親だったので、そうはならずにすみました。
樹木希林さんも、きっと「そんな子がいるの! おもしろいわね!」というタイプの母親だったのではないかと想像します。
昨夜、実家(東京)に一泊し、今日、母親の合唱団の50周年記念コンサートを観てから帰路につきました。50周年って、すごい。2ヶ月前に後期高齢者の仲間入りをした母親はもちろんのこと、指揮者の先生も、母親の合唱仲間も、みな100パーセントの高齢者になっていて、当然とはいえ、びっくり。ものごころついたときから母親の周りにいた「見知った人たち」だっただけに、老いの確かさとともに、過ぎ去っていった年月の重みのようなものを感じずにはいられませんでした。
帰路、実家の近くにある書店に立ち寄りました。先日「本屋大賞」を受賞したブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』 を買って帰りの電車で読もうと思っていましたが、ブレイディさんの前に是枝裕和さんの『希林さんといっしょに。』と目が合ってしまって、しかもパラパラとその本をめくったら「母親」について書いてあるような感じだったので、タイミング的にはこっちだなと思い、購入。赤ペンで《息子が嫁をもらうってことは、家族は一人増えるんだと思ってたら、減るってことなんだねえ》なんて文章に線を引きつつ、同じ高校の遠い遠い先輩である是枝さん(の本)といっしょに、妻と二人の娘の待つ家に帰りました。
母親も「減った」って、そう思っていたかもしれないなぁ。
親が子を愛するようには、子は親を愛せないといいます。親孝行は本能ではないということ。だからこそ、定期的に会いたい&親孝行をしたいなぁと思える親をもてたことにしあわせを感じます。
「ぼくの家族は、あたたかさにあふれています」。
被害に敏感で他害に鈍感な子が増えている一方で、そんな言葉を口にする子もいます。当然、他害とは無縁な「かわいい」子です。
かわいい子には旅をさせよ。
昔からそういいます。一般的には「我が子がかわいいなら、親の元に置いて甘やかすことをせず、世の中の辛さや苦しみを経験させたほうがよいということ」という意味ですが、その子がもしもかわいくなかったら、すなわち「被害に敏感で他害に鈍感な子」だったら、おそらくは旅をさせたとしても得るものはほとんどないはずです。かわいい子(=素直な子)には困難と同時にプラスの「ひと・もの・こと」が寄ってきますが、かわいくない子には、マイナスの「ひと・もの・こと」しか寄ってこないと思うからです。
そんな友達がいるの! おもしろいわね!
そんな先生がいるの! おもしろいわね!
何事もおもしろがること。
樹木希林さん(の遺した言葉)から学べる事って、たくさんあります。我が子を被害に敏感で他害に鈍感な子にしないために。希林さんといっしょに、読書の秋を🎵