3年前、オランダの学校に見学に行った時のこと。その学校に宿題がないと聞いて驚きました。その理由を尋ねるとおおよそこんなことでした。
「学校で毎日学習している。決められた時間の中で終える、ということが大切。家での時間は各家庭で豊かに過ごしてほしい。だから家に持ち帰らない。大人の仕事も同じで、決められた時間の中で終えるのが有能で、残業や仕事の持ち帰りはしないほうがいい。余暇は自分の時間。宿題を毎日持ち帰るというのは、仕事の残りを持ち帰るようなもの。子ども時代から、余暇を豊かに過ごす体験をしてほしい」
がーんと頭を殴られた気がしました。
(岩瀬直樹『成果を上げて5時に帰る教師の仕事術』学陽書房、2016)
おはようございます。昨日は凹みました。若手の先生が授業を観に来てくれたのに、ろくでもない授業をしてしまったからです。定時に帰ってもこれくらいの授業ができるんだよって、否、定時に帰って余暇を豊かに過ごしているからこそこんな授業ができるんだよって、伝えたかったのに。思ひ屈ず。なかなかギアの上がらない子どもたちの姿に、がーんと頭を殴られた気がしました。成果を上げずに5時に帰っている場合ではありません。
岩瀬直樹さんの『成果を上げて5時に帰る仕事術』を再読しました。「授業時間内にテストの丸つけをしよう!」とか「帰る時間を決める&8割主義」とか「チェッククリストで学期末を乗り切る!」とか、目から鱗の仕事術がいくつも紹介されている一冊です。
あっ、嘘をつきました。
目から鱗っていうのは嘘です。仕事術の内容自体は、巷にあふれる時短本に書かれていることと大差ありません。学級担任のバイブルと呼ばれる(私が勝手にそう呼んでいる)『クラスづくりの極意』の著者がわざわざ書くようなことではない、ということです。
関係づくりの極意。
目から鱗だったのは、全部で17の仕事術とは別に、時短のベースにある子どもたちとの関係づくり、職員との関係づくり、保護者との関係づくり、そしてホームベースである家族との関係づくりに言及しているところです。クラスづくりがうまくいっていなかったら、或いは保護者、職員、家族との関係づくりがうまくいっていなかったら、そもそも定時には帰れません。家族についていえば、家に帰っても居場所がないなんて、最悪です。成果を上げて5時に帰るではなく、成果を上げないと5時には帰れない。仕事術のひとつとして「TODOリストをつくる」なんてことが最もらしく書かれているのも、その背景にあるもっと大事なことを伝えるためなんじゃないかって、穿った見方をすれば、そう読めます。
目から鱗のクライマックスは、長いあとがき。
冒頭の引用は「長いあとがき ボクたちがやるべき仕事は何か」からとったものです。岩瀬さんが『成果を上げて5時に帰る教師の仕事術』を書いたのは、もしかしたらこの「長いあとがき」のためなのかもしれない。オランダの話に限らず、そんなふうに思えてしまうくらいに大切なことがたくさん書かれています。
子ども時代から、余暇を豊かに過ごす体験をしてほしい。
ホント、同意です。自分の力で余暇を楽しむのはなかなか難しいことだからです。哲学者の國分功一郎さんが『暇と退屈の倫理学』に《楽しむことは、しかし、けっして容易ではない。容易ではないから、消費社会がそこにつけ込んだのである》と書いています。消費社会がそうするよりも早く、家庭教育と学校教育がそこにつけ込んで、習い事やら宿題やら部活動やらを子どもたちに与えているように見えるのは気のせいでしょうか。また、外から与えられたことをこなすことに忙しすぎて、子どもたちが「自分の時間」を楽しむ術を学んでいないように見えるのは気のせいでしょうか。
習い事やら宿題やら部活動やらで子どもたちの余暇を奪うのはほどほどにした方がいい。子ども時代から、余暇の楽しみ方を学んだ方がいい。そのためにも、教師は5時に帰った方がいい。5時に帰って、余暇を豊かに過ごし、その生き方を子どもたちに見せた方がいい。
次も「長いあとがき」の一節です。
もしかしたら、教室で子どもに影響を与えていることは、「何を言っているか」「何をやっているか」以上に「どう生きているか」かもしれません。
換言すると、退勤時間に影響を与えているのは、時間術のような小手先のテクニック以上に「どう生きているか」かもしれない、となります。そしておそらくそれは「かもしれない」ではなく「事実」です。どう生きているかが、子どもたちに影響を与えている。どう生きているかが「成果を上げて5時に帰る教師の仕事術」に影響を与えている。結局、人。やっぱり、生き方。
今日も定時で帰ろう。
行ってきます。