田舎教師ときどき都会教師

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猪瀬直樹 著『地下鉄は誰のものか』より。教育は誰のものか。

 地下鉄の利便性を考えたら一元化することは当然なのだ。前章までで地下鉄王・早川徳次と強盗慶太こと五島慶太の争いをおさらいしてみた。早川は先見の明があったが、資金不足に陥った。五島は郊外私鉄を不動産業として位置づけることでビジネスモデルをつくり、そのやり方が徹底していたので他の私鉄を圧倒した。
 早川の苦労から学ぶべきは、初期投資には公的資金が必要であったことである。実際にその後は資本金、借入金など税金や財政投融資や交通債券による資金調達が行われたことで、今日の東京の地下鉄網は発展した。
(猪瀬直樹『地下鉄は誰のものか』ちくま新書、2011)

 

 こんにちは。早川の苦労から学ぶべきは、地下鉄と同様に教育も初期投資が大切であり、それにはもちろん公的資金が必要であるということ。国内総生産に占める教育への公的支出がOECD平均を大きく下回り、比較可能な38ヵ国中37位(2017年)なんていう現状はまずいということ。つまり教育にお金をかけなければ日本社会の発展は期待できませんよということではないでしょうか。猪瀬さんが《僕は『ミカドの肖像』と『土地の神話』を著し、東京の発展がインフラ形成と一体であった事実を説いた》と書くように、TOKYOが世界に名だたる大都市になれたのは、東京の地下鉄網が発展したおかげですから。教育という名の初期投資にも、

 

 公的資金が必要である。

 

 

 猪瀬直樹さんの『地下鉄は誰のものか』を再読しました。10年前に読んだときよりもさらにおもしろく感じられたのは、その後、猪瀬さんの代表作であるミカド三部作を読んだからでしょう。村上春樹さんが『ペット・サウンズ』(ジム・フジーリ  作、村上春樹  訳)のあとがきに《世の中には二種類の人間がいる。『カラマーゾフの兄弟』を読破したことのある人と、読破したことのない人だ》と書いていますが、ミカド三部作についても同じことがいえます。世の中には二種類の日本人がいる。『ミカド三部作』を読破したことのある人と、読破したことのない人だ。未読の方には『地下鉄は誰のものか』と合わせて、是非。

 

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『地下鉄は誰のものか』の目次は、以下。

 

 第1章 九段下駅ホームの壁
 第2章 株主総会へ乗り込む
 第3章 バリアフリーより不動産ビジネス
 第4章 新橋駅「幻のホーム」
 第5章 私鉄経営と地下鉄経営の違い
 第6章 欲望による一元化の挫折あ
 第7章 利用者のための公共性
 終 章 勝鬨橋の向こうへ

 東京の地下鉄の乗客数は、この本が世に出されたときには世界一位です。この世界一位のお客さんを、東京メトロと都営地下鉄という2つの事業体が運営しているために、私たちはとんでもない不便を強いられている。だからこの2つの事業体を一つに統合、つまり《一元化できないか》というのがこの本の主張です。

 

 世界だってそうなっている。

 

 ニューヨークの地下鉄は、民営二社と市営一社があったが、いまは統合されて一つである。ロンドンの地下鉄はかつては六社あったが、いまは運営が一元化されている。パリの地下鉄は市の公社が一元的に運営している(郊外急行線との相互直通の一部に国鉄が関与)。一元化はあたりまえの話なのだ。東京の地下鉄だけが一元化できていない。

 

 それはなぜか。

 

 地下鉄は誰のものかという問いに対する答えを「東京メトロ」が理解していないからです。ちなみに答えはもちろん「利用者」である私たちです。

 一元化されれば、利便性が向上し、同じ地下鉄なのに乗り換えで苦労したり、運賃を余計に取られたりすることもなくなるのに。第1章に書かれている「九段下駅ホームの壁」だって取り払うことができるのに。満員電車による通勤苦も軽減されるだろうし、高齢者や障害者にとってもやさしい交通手段になるのに。安全性や防災の観点からも好ましい変化が生まれるのに。そして何より《そもそもメトロは、JRや大手私鉄とは本質的に違う》のに。

 

 東京メトロは国立。
 都営地下鉄は公立。

 

 大学に例えると、JRや大手私鉄が「私立」であるのに対して、前身の営団地下鉄時代から国と東京都が補助金を出している東京メトロは「国立」になります。生い立ち的に公的な性格を強くもつということ。学生のときの研究室の教授が「国立大学で学んだ学生は国家に貢献する義務がある」と話していましたが、それと同じ理路です。

 初期投資に公的資金が入っている以上、東京メトロは「公共財」であり、利用者のものであることは疑いようがない。それなのに初期投資の回収が終わって儲かり始めた途端に不動産ビジネスに現を抜かしているのはどういうことなのか。儲かったお金は利用者に還元するのが筋ではないのか。地下鉄の公共性を何だと思っているのか。そもそも東京都が地下鉄の免許を得た1958年の国の答申に《将来における合同の理想は、必ず実現すべきもの》と明記されているのだから都営地下鉄との一元化は理の当然なのではないかというのが、第2章に書かれている、東京メトロこと東京地下鉄株式会社の株主総会に乗り込んだ猪瀬さんの主張です。ちなみに東京メトロの株式の構成は《国が53.4%、東京都が46.4%》で、当時東京都の副知事だった猪瀬さんは第2位の大株主という立場で乗り込んでいったということになります。

 

「お客さんが、シャッターが閉まっているために不便を強いられる事例は僕のところに届くのに、肝心のメトロの担当役員に現場から上がってこないというのはおかしなことだ。社員がどういう意識で働いているのか、お客さんのことを考えているのかいないのか、大きな問題ではないか。民営化したらお客さん第一であるべきなのにメトロの民営化はお客さんの声がトップに届かない。そういう民営化であるなら一から見直すべきだ。ほかにもこうした事案がないか総点検し、その結果を公表していただきたい」

 

 格好いい。

 

 東京メトロが民営化されたのは2004年。猪瀬さんというと、道路公団民営化や郵政民営化などの実績から「民営化すればOK」みたいなイメージをもたれがちですが、もちろん違います。民営化は手段に過ぎません。曰く《東京メトロの民営化は、国会の監視を逃れるための民営化にすぎない。利用者からも国会からも監視されずに自分たちの天国をつくろうとしているので、ちょっと待てよ、公共性はどこで担保するのか、といま問い正しているのだ》云々。繰り返します。

 

 格好いい。

 

 東京メトロが都営地下鉄との一元化に乗り気ではないのは《自分たちの天国をつくろうとしている》からです。学級王国をつくっている担任が、同じ学年の若手のクラスの面倒をみないのと同じです。格好悪い。若手のクラスも、都営地下鉄も、スタートが遅いだけで、これからどんどん成長していくのに。

 

 残念。

 

 その残念な態度を改め、公共性を担保しようと思えば、第3章に書かれているように、例えば地下鉄のバリアフリーを高めるための投資であったり、子育てファミリーのことを考えた「駅ビルに保育所をつくろう」という発想だったりが浮かんでくるはず。一元化にも積極的になれるはずです。

 東京の敵に騙されることなく、都民が猪瀬さんを応援し続けていたとしたら、地下鉄の一元化も進み、東京の魅力は一段と高まったことでしょう。

 

 残念。

 

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 冒頭の引用は第7章からとったものです。第7章では、第4章から第6章に登場する五島慶太や早川徳治ら、鉄道に人生を賭けた「兵どもが夢の跡」を踏まえ、改めて一元化の自明性が説かれます。一元化しないと、次のような論理がまかり通ってしまうかもしれません。

 

「それは無理ですね。メトロが上場して株式公開したあとには新線はつくらない。つくらないほうが利益が上がる。株主の論理から言うと、ぎちぎちいっぱい(お客さん)を積んでもらっていくというのがいちばんいい。収益構造としてはそのほうがいい。

 

 教員は増やさない。教員を増やさない方が教育にかける公的資金は少なくて済む。官僚の論理から言うと、教室に、ぎちぎちいっぱい子どもを詰めてもらうというのがいちばんいい。勤務時間内外に、ぎちぎちいっぱいに仕事を詰めてもらうというのがいちばんいい。国家財政としてはそのほうがいい。

 

 教育は誰のものか。

 

 公の論理を。