ある作品を読んで、うまいうまいと思いながら、心を打たれない。他の作品を読んで、まずいまずいと思いながら、心を打たれる。ある作品を読んで、よく描けていると思いながら、心を打たれない。他の作品を読んで、ちっとも描けていないと思いながら心を打たれる。この二つの場合を、誰でも経験していると思う。文壇有数の名家の作品を読んで、うまいと感心する。が、心は動かない。投書家程度の人の書いたまずい短篇を読んで、つい心を打たれることがある。
こんな場合を、どんなに説明してよいか。
(猪瀬直樹『こころの王国 菊池寛と文藝春秋の誕生』文春文庫、2012)
おはようございます。教員をしていると、子どもの書いた文章を読んで、つい心を打たれることがあります。感想文だったり、お礼の手紙だったり、日課としている日々の振り返りの短作文だったり。書くといっても、まだ小学生です。だから子どもたちの拙い文章を読んで、うまいうまいと思うことはあまりありません。が、それでもときおりウルッとくることがあります。
それはどんな場合かといえば、やはり「正直さがそのまま現われているとき」と説明できるでしょうか。例えば、私の教え子ではありませんが《「昨日市場へ、おいもをひろいに行かないかと、おともだちがいいましたから、私はお母さんにきいてみたら、あぶなくないところなら、いいといいましたから、さっそくおともだちとふろしきをもっていきました。市場についてから、ひろいはじめました。だいぶひろってから少しやすみました。おなかがすいたから、ひろったみかんをたべて、おなかをこしらえましたので、又ひろいはじめました」》という、小学3年生の女の子が書いたもの。欠食児童が多かった時代に書かれたものだそうです。これを読んで、菊池寛は啜り泣いたとのこと。うまい文章ではありませんが、心を打たれます。表現力を柱とする芸術的価値はなくても、内容的価値・生活的価値があるということです。
文藝春秋という雑誌は、芸術的価値だけでなく、内容的価値・生活的価値をも等しく同じ世界に共存させてみたのではないのかな。
文藝春秋をつくった菊池寛は、苦労人ゆえ、その器に、芸術だけでなく生活をも盛り込もうとしたのではないかというわけです。
猪瀬直樹さんの『こころの王国 菊池寛と文藝春秋の誕生』を読みました。猪瀬さんの作家評伝三部作からスピンオフして生まれた作品です。猪瀬さん曰く《以前『マガジン青春譜』を書いたとき、これは川端康成と大宅壮一が主人公だったんですけど、結局、菊池寛が入り込んできちゃったんです。だから単行本にしたとき、表紙の絵を版画家の山本容子さんにお願いしたのですが、彼女はちゃんと内容を読みとって、川端と大宅の横に菊池寛を置いて三人を並べて描いてくれたんです。だから、いつか菊池寛のことはきちんと書かなければいけないと思っていました》云々。ちなみに作家評伝三部作というのは、三島由起夫を描いた『ペルソナ』、川端康成と大宅壮一を描いた『マガジン青春譜』、そして太宰治を描いた『ピカレスク』です。三島を描いた『ペルソナ』については、アメリカの大学でも読まれているそうなので、11月25日の「あの日」からもうすぐ50年というこの節目で、是非。詳しくは以下のブログを。
カルフォルニア大学バークレー校では『ペルソナ 三島由紀夫伝』が必読文献になっています。 https://t.co/ETqHnsalAv
— 猪瀬直樹/inosenaoki (@inosenaoki) October 24, 2020
引用した猪瀬さんの発言の中に《菊池寛が入り込んできちゃったんです》とあります。おそらくは猪瀬さん、菊池寛が好きなのだろうなぁ。好きというか、親近感というか。夏目漱石や村上春樹さんよりも、菊池寛や猪瀬直樹さんの方が「公」のことを考えて行動していると思うからです。ちなみにタイトルの『こころの王国』というのは、夏目漱石の『こゝろ』と、菊池寛の『心の王國』を意識したもの。あとがきにはこうあります。
ようやく作品を発表しはじめると菊池寛は短篇集のタイトルを『心の王國』とした。夏目漱石の名作『こゝろ』を意識してのことではないか、と仮説を立てた僕は菊池寛の秘書の「わたし」を探偵役に、文藝春秋社員になっている「マーさん」の存在を鍵として、菊池寛がつくり上げようとした文学とジャーナリズムの「王国」(あるいはその挫折)をさぐりあてようと考えた。本来あるべき、失われた系統樹を探すため。
しびれます。本来あるべき、失われた系統樹というのが菊池寛がつくり上げようとした未来であり、失われなかった系統樹というのが、夏目漱石や芥川龍之介、現代でいえば村上春樹さんをはじめとする多くの小説家が引き継いでいる、「公」の要素を欠いた日本の文学です。菊池寛がもしも生きていたとしたらこう言うでしょう。曰く「村上春樹の作品を読んで、うまいと感心する。が、心は動かない」云々。なぜならそこには《現実の政治や国際情勢に接続している「公」の時間》が描かれていないからです。簡単にいえば、特にデタッチメントを公言していた初期作品についていえば、軽いということ。
やれやれ。
夏目漱石の『こゝろ』に登場する「先生」も「私」も仕事をしていないんですよね。だからそこには生活感がない。村上春樹さんの登場人物に至っては、マセラティに乗って海に飛び込んでいくくらいだから、生活感なんてまるでない。そういった「生活感のなさ」に惹かれている読者が、真剣に「公」のことなんて考えるはずがない。ハルキストは世界を変えない。誰かが整えてくれた舞台の上でダンスダンスダンスし、個別・具体的な「私の営み」を愉しむのみ。我が子のことばかりで、同じクラスにいる相性の悪い子を非難し、挙句「あいつを転校させろ!」みたいなことを平気で口にしてしまう保護者が出てくるのも、それから日本がコロナ対応を誤っているとしか思えないのも、もしかしたら夏目漱石と村上春樹さんのせいかもしれません。とばっちりだけど。ちなみに私は村上春樹さんの大ファンです。
菊池寛は、夏目漱石が好きではなかった。
菊池寛は、夏目漱石を嫌います。芥川や久米らに交じって漱石山房を訪ねていたし、漱石の葬式にも顔を出していたのに、嫌っていた。理由が気になる人は『こころの王国』を訪ねて「マーさん」に聞いてみてください。生い立ちの違いが、関係性に影響を与えているんですよね。秘書の「わたし」は《東京の芥川龍之介さんや久米正雄さんたちの順調な人生に対して、自分はどうだ、作家になるための何の足掛かりもないではないかと、襲いかかるように繰り返して訪れる暗い夜にひたすら耐えていたのです》と、先生である菊池寛の過去を思いやって書きます。暗い夜というのは、例えば小学生のときに「万引きをした人間」というレッテルを貼られたことや、病気でもないのに修学旅行に行けなかった貧しさのこと、それから友人の身代わりに窃盗の罪を背負い、東大に行けなくなったことなど、そこに明るい夜はありません。ぼんやりとした不安とか、やれやれとか、そんなことを口にする余裕すらなかった。
だから文藝春秋をつくった。
文藝春秋という雑誌を立ち上げることによって、家族も秘書の「わたし」も複数の愛人も朝鮮半島から来た青年「マーさん」も楽しめる「こころの王国」をつくった。文学者であるよりも前に生活者であった菊池寛だったからこそ、狭い「私」に留まることなく、経営者として、属性の異なるたくさんの人たちをしあわせにするために「公」を考えて行動した。学校でいえば、学級担任や管理職に相応しいのは、夏目漱石や村上春樹ではなく、間違いなく菊池寛でしょう。
菊池寛の訃報を耳にした、昭和23年3月7日の夜のことを、語り手である秘書の「わたし」は、次のように書いています。
ニュースが終わったあともラジオを見つめていました。子供たちの寝息は平和そのもの、われにかえると涙があふれた。子供が目覚めないよう、声を殺して嗚咽した。今夜、夫が帰宅しなかったことが、わたしを回想の世界へ解き放してくれた。
前出の作家評伝三部作と違って、秘書(♀)の語りという色っぽい文体でストーリーが展開していくところも、スピンオフ作品である『こころの王国』の魅力です。それにしても、20歳以上も歳の離れた女性にこんなふうに思われるなんて、菊池寛、いい男だったんだろうなぁ。
学級王国ではなく、こころの王国。
そんな学級経営が、できたらいいなぁ。