田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、旅行、映画」

本田由紀 著『教育は何を評価してきたのか』より。コロナ禍を奇貨として、教育の「中身」や「形」を変えよう。

 なお、日本の教育の問題点として繰り返し指摘されてきた事柄として、「教育格差」がある。確かに、生まれ落ちた家庭の経済的・文化的・時間的・社会関係的な資源が多いか少ないかによって、子ども世代の教育達成に明確な差がついていることは、日本でも主に教育社会学の分野で様々なデータを用いて検証してきた。ただし、ここでの関心である国際比較という面からみると、松岡亮二が指摘するように、日本における「教育格差」の度合いは、世界各国の中で「凡庸」な水準である。日本の特徴は、家庭背景が「教育格差」を生み出す度合いにあるのではなく、その教育の「中身」や「形」にあると考えられるのである。
(本田由紀『教育は何を評価してきたのか』岩波新書、2020)

 

 こんばんは。学校が再開しました。血がめぐるというかなんというか、子どもたちが来た途端、校舎も教室もわかりやすいくらいにはっきりと息を吹き返すから不思議です。ソーシャル・ディスタンスもなんのその。マスク着用もなんのその。フェイスシールドだってなんのその。ひとクラスを2で割っての分散登校だから、イエナプランでいうところのサークル対話も可能だし、午前授業だから回収した課題のチェックも翌日の授業準備も勤務時間内にできるし、合理的でジョブ型で、家族にもからだにもやさしくて、普段と違って言うことなし。ここしばらく自粛ロスに襲われていたわたしも、いい職業だなって、心地よい疲れとともに一日を振り返ることができました。

 臨時休校後、格差が開くという話をあちらこちらで耳にしましたが、日本の教育における一丁目一番地の課題は「教育格差」ではありません。時代に合わなくなっている教育の「中身」や「形」こそが課題です。それらが変われば、教員の主観的なウェル・ビーイングはもちろんのこと、社会学者の本田由紀さんいうところの《少なくとも先進国中では最もと言ってよいほどのネガティブさ、暗さ、不安が色濃く刻印されている》という日本の若者の主観的なウェル・ビーイングも、心地よいものになるのではないでしょうか。問題を生み出している構造(形)が変われば、教育格差だって許容できる範囲へと収まっていくかもしれません。

 

教育は何を評価してきたのか (岩波新書)

教育は何を評価してきたのか (岩波新書)

 

 

 本田由紀さんの『教育は何を評価してきたのか』を読みました。小学校の国語の説明文でいうところの「問い」と「答え」をラディカルに要約すると、次のようになります。

 

【問い】
 日本には読解力や数学的リテラシーや協同問題解決能力などの一般的なスキルに長けている人が他の国よりもたくさんいるのに、なぜそれが経済の活力にも社会の平等化にも若者のウェル・ビーイングの向上にもつながっていないのか。

 

【答え】
 なぜならば、教育が評価してきたところの「能力」という言葉に紐付く垂直的序列化と、同じく教育が評価してきたところの「態度」及び「資質」という言葉に紐付く水平的画一化が、日本の社会を規定してきたという歴史があるから。

 

 問いのもとになっているのは、過去にOECDが実施した国際成人力調査(PIAAC調査)や国際学習到達度調査(PISA調査)、日本財団による「第20回18歳意識調査」などのデータです。テストの点数も人当たりもいいけれど、若者はしあわせを感じていない。経済はボロボロで、社会は穴だらけ。古市憲寿さんいうところの「絶望の国の幸福な若者たち」はどこへ(?)っていう話です。

 

 絶望の国の不安な若者たち。

 

 答えに出てくる「垂直的序列化」は、相対的で一元的な「能力」に基づく選抜・選別・格付けを意味しています。大学の一般入試で求められるような学力的なものさしと、AO入試で求められるような人間力的なものさしによる序列化といえばわかりやすいでしょうか。登山に例えれば、登る山を勝手に決められ、そこに若者が殺到しているという、そういったイメージです。家庭環境に恵まれず、装備が貧弱で、五合目にすらたどり着けないケースも多いのに。

 もう一方の「水平的画一化」というのは、単純にいえば「前へならえ」とか「右向け右」のように、特定の振る舞い方や考え方、すなわち「態度」及び「資質」を全体に要請する同調圧力のことです。みんな違ってみんないいは建前。本音は、みんな違ってみんないいわけないよね。理想は、

 

 みんな違ってどうでもいい。

 

 では、その理想を実現するにはどうすればいいのか。本田さんは「水平的多様化」という道標を「垂直的序列化+水平的画一化」からの出口として提示します。画一化から多様化へ。ものさしを増やして登りたい山を増やす。具体的には、日本の教育だけに特徴的な「旧い中身」や「旧い形」を新しくすることによって、水平的多様化の実現するという提案です。

 高校の学科を多様化する、ジョブ型雇用に転換する、学習指導要領を簡素化して義務教育および高等学校において最低限習得しておくべき事柄の規定に留める、水平的画一化を強化してしまうおそれのある「特別の教科   道徳」を廃止する、学級および学年という固定的集団を最小限のものにする、画一性や同調圧力や異質な者の排除という問題点を少なくするためにオランダのイエナプラン教育を参考にする、等々。ひとつでもいいから実現してほしいって、そう思える「新しい中身」や「新しい形」がたくさん挙げられています。

 

www.countryteacher.tokyo

  
 教育の「中身」や「形」が変わり、本田さんのいう水平的多様化が進めば、経済は強さを取り戻し、社会はやさしさを取り戻すかもしれません。そうすれば、日本の若者だって、フィリップ・マーロウのようなポジティブさや明るさ、安心を取り戻すのではないでしょうか。強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない。

 

 分散登校をデフォルトの「形」に。

 

 そうなったらいいな。

 

  

絶望の国の幸福な若者たち

絶望の国の幸福な若者たち

  • 作者:古市 憲寿
  • 発売日: 2011/09/06
  • メディア: 単行本