田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、旅行、映画」

日垣隆 著『「松代大本営」の真実』より。時のふりかけと人のふりかけ。教科書の類は死ぬほど退屈でも、単純な問いから発する歴史探訪はめちゃうま。

 あるいはまた「一億玉砕」に代えて、いきなり「一億総懺悔」を喧伝した東久邇宮首相らの偽善を糾弾する人々は多かったにせよ、40年には7193万人、45年には7215万人というのが厚生省統計による「日本の人口」であって、朝鮮半島と台湾の人口を足さなければ、その「一億」には達しない性質のものなのだと自覚し憂えた者も、皆無に近かった。
(日垣隆『「松代大本営」の真実』講談社現代新書、1994)

 

 こんにちは。文部科学省公認プロジェクト「#教師のバトン」が「わたしたち」の真実を次々と白日の下に晒して(くれて)います。NHKでも取り上げられたとのこと。5月の連休も仕事に追われるというのも「小学校教師」の真実のひとつでしょうか。

 

 不都合な真実。

 

 昨日、校外学習の下検分に行ってきました。自腹です。アホらしいので「作家の足跡」をたどるという調味料をミックスして、真面目に不真面目に各所を転々としてきました。道草のひとつが、トランヴェールの最新号に載っていた小諸市の「鰻屋」です。

 

 

 沢木さんが来た、という確証は得られませんでしたが、藤舟の佇まいから「来たかもしれない」という想像は十分にかき立てられたので満足です。事前に立ち寄ったあぐりの湯にも満足。湯と食で、事前の事前に立ち寄った地下壕での衝撃が和らぎました。

 

 隠された巨大地下壕。

 

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松代象山地下壕(2021.5.1)

 

 巨大地下壕というのは、作家の日垣隆さんが白日の下に晒した「松代象山地下壕」のことです。日垣さん曰く《卑近にいえば要するに、教科書の類は死ぬほど退屈でも、単純な問いから発する歴史探訪はおもしろい、そういいたかっただけなのだが――。》

 

 何だ、この穴は?

 

「松代大本営」の真実 (講談社現代新書)

「松代大本営」の真実 (講談社現代新書)

  • 作者:日垣 隆
  • 発売日: 1994/07/18
  • メディア: 新書
 

 

 日垣隆さんの『「松代大本営」の真実』を読んでから、松代象山地下壕に向かいました。小学6年生の校外学習の候補地のひとつです。象山とは文字通り象のかたちをした山のこと。その巨象の下に巨大地下壕が隠されているというのだから、子どもたちが問いをもつことは必然です。

 

 何のために?
 どうやって?

 

 最初の問いに対する答えは「大本営を地下壕に移し、連合国の空襲を逃れるため」です。大本営とは戦時中に設置された日本軍(陸海軍)の最高統帥機関のことで、要するに天皇を含めた戦前の統治権力のみなさんのこと。発案は軍部とされます。発案は偉い人、苦しむのは末端の人。

 

 それは、いつの時代でも同じです。

 

 日垣さんが松代大本営の存在を初めて記憶に留めたのは、1986年の6月4日。きっかけは末端の人のひとり、朝鮮にルーツをもつ山根昌子さんです。山根さんの独白を聞き、日垣さんは《不覚にも僕は泣いた》とのこと。この山根さんが2番目の問いに対する答えを教えてくれます。

 

 その直後、ひもじい生活を5歳から17歳まで強いられたその土地に、23年ぶりに立った。松代の、飯場跡。父はここで、松代大本営の掘削工事に働かされていたのだった。山根さんは地下壕の入口に立って、会うべくもない父に詫びた。恨むべきは、あなたではなかった。壕の中から、死者たちの叫び声が、彼女の耳にはっきりと聞こえた。

 

 冒頭の引用にある、厚生省統計による「日本の人口」に加えられた人口、すなわち朝鮮半島から連れてこられた「日本人」が、巨大地下壕を掘ったというわけです。山根さんの台詞に《死者たちの叫び声》とあることから、その労働が過酷なものであったことは想像に難くありません。

 

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朝鮮人犠牲者追悼平和記念碑

 

 地下壕の隣に「朝鮮人犠牲者追悼平和記念碑」がありました。戦後50年の節目の1995年に建てられたそうです。94年に出版された日垣さんの本が果たした役割も大きかったのではないでしょうか。山根さんの「#朝鮮人のバトン」を受け取った日本人の日垣さん+松代の人々。

 

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もうひとつの歴史館・松代

 

 信州とは神州と書き、天皇の品位を損なう恐れがなかった。象山、舞鶴山、皆神山の3つの山に囲まれた松代は守りやすい土地柄だった。米ソを迎え撃つにあたって、川中島の決戦が行われた北信濃の地は、歴史的に見ても相応しい。その他もろもろの理由で松代が選ばれた。地下壕から掘り出した土砂岩石は、いったん地元の小学生たちがカモフラージュの木々を載せ、米軍から隠し、その後都市へと運ばれていった。都内の主要道路には、今なお朝鮮人の血と汗、時には肉体が眠っている。ちなみに「富岡日記」を書いた和田英は松代出身であり、少し足を延ばして世界遺産の富岡製糸場とセットで見学すると、歴史のつながりを感じることができる。

 

 φ(..)メモメモ

 

 松代象山地下壕の隣に市民団体の手による歴史館が建てられており、そこの運営スタッフさんが、上記のような話をしてくれました。加えて「もうひとつの歴史観」に基づく話もしてくれました。もうひとつの歴史観というのは、小学校の学習でいうところの英雄史観ではなく「庶民史観」に基づく歴史です。

 

 もうひとつの歴史観。

 

 スタッフのひとりであるYさん(1951-)は、松代小学校の2年生だったときに、同級生だった二井(フタイ)くんが朝鮮に帰るのを見送ったという話をしてくれました。二井というのは本名ではなく、創氏改名による「創氏」です。さよなら集会のような催しがあったようで、なぜ「帰る」のかはよくわからなかったけれど、名前も含め、今でもそのときのことをよく覚えているとのこと。日垣さんの本にも、次のようなくだりがあります。

 

 近くの小学校に通うようになって、山根昌子さんは、校内でも帰り道でも正体不明の悪罵を投げかけられた。「あいのこ!」「ちょーせんじーん!」「はんとーじーん!」。小便を中に入れたネギを背中に投げこまれた。いちばん仲のよかった女の子が、お父さんの国に帰るのだと別れを告げにきた。詳しい理由や背景は、7歳の彼女にはまだ理解できなかった。初めて行く国なのに、なぜ「帰る」というのだろうか。

 

 Yさんらの話に耳を傾けた、歴史館でのひととき。沢木さんの言葉を使えば「時のふりかけ」と「人のふりかけ」が混ざった時間でした。歴史を学ぶって、そういうことだと思います。教科書の類は死ぬほど退屈でも、単純な問いから発する歴史探訪はおもしろい。日垣さんが《そういいたかっただけ》と、最後に書いているように、全くもってその通りです。子どもたちにもこのおもしろさを体験してほしい。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 探究心をもって、旅のつばくろに。

 

 小中学校(義務教育)の教科書には、松代大本営のことが載っていません。なぜでしょうか。そういった問いを抱えつつ、この『「松本大本営」の真実』を読んでから松代象山地下壕を訪ねると、鰻屋でいうところの「めちゃうま」です。GHQのドキュメントを含む、膨大な資料を基に立ち上げられた「松代大本営」の真実。「#教師のバトン」と「#朝鮮人のバトン」を次世代につなぐためにも、特に歴史を教える6年生の担任にお勧めです。

 

 時のふりかけと人のふりかけ。

 

 旅はめちゃうま。

 

 

遙かなる旅 戦後史の谷間から

遙かなる旅 戦後史の谷間から

  • 作者:山根昌子
  • 発売日: 1986/08/10
  • メディア: 単行本
 
旅のつばくろ

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