田舎教師ときどき都会教師

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日垣隆 著『学校がアホらしいキミへ』より。好奇心よりも探究心を。

 『大辞林』を引くと、《珍しい事・未知の事に対して抱く興味や関心》とある。いかにも小難しい定義だ。わかりやすく、本質を突いたこういう定義はどうか。《あちこちに顔を突っ込んでは、つまみ食いする性癖。転職を繰り返して年収を下げていってしまう人や、プレイボーイなどを強いて褒めるときに使う》とかね。
(日垣隆『学校がアホらしいキミへ』大和書房、2007)

 

 こんにちは。昨夜、業種の異なる二人の友人(♂、♀)に、リモートでの学習会に誘われました。保険業と研究業です。前者はコロナ時代の「営業」から、後者はコロナ時代の「愚痴」から学びを広げていく内容とのこと。それぞれ二つ返事でOKしました。あちこちに顔を突っ込んでは、つまみ食いする性癖があるのかもしれません。大学の遠い先輩がそんなふうに定義するところの「好奇心」ってやつです。ちなみに高校の先輩の祖父にあたる科学者は《少なくとも科学という、人間精神の重要な営みに対して、ひとつの大きな原動力になっている》と書いていました。人間だれでもが生まれながらに持っているという、極めて人間的な、精神的なもの。この好奇心よりも、好奇心を原動力とした探究心を推奨しているのが日垣隆さんの『学校がアホらしいキミへ』です。

 

 好奇心より探究心を。

 

学校がアホらしいキミへ

学校がアホらしいキミへ

  • 作者:日垣 隆
  • 発売日: 2008/02/08
  • メディア: ハードカバー
 

 

 日垣隆さんの『学校がアホらしいキミへ』を再読しました。タイトルの通り、学校がアホらしいと思っている児童・生徒に向けて書かれたものです。巻末にはリアルな「キミ」の話が付録として載っていて、泣けます。追悼文です。

 そのリアルな「キミ」は日垣さんの『「学校へ行く」とはどういうことなのだろうか』(北大路書房、1999)にも登場していて、対談というかたちで日垣さんのインタビューを受けています。彼は日垣さんのお子さんの同級生で、いわゆる不登校児。3日前のブログに生存バイアスの話を書きましたが、その男の子のようにうまく適応できなかった「学校がアホらしい」と感じている子の見方・考え方って、教育関係者はもっと知っておくべきだと思うんですよね。特に「学校が大好きでこの職に就いた」という先生たちは特に。そうでなければ、生存バイアスの罠にかかったまま子どもたちと接してしまうことになりますから。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 好奇心よりも探究心を。

 

 妹尾昌俊さんの『教師崩壊』の第2章「クライシス2  教育の質が危ない」の中に、中学校教員の指導方法の国際比較が出てきます。日本が他国に比べて明らかにビハインドな項目は「明らかな解決法が存在しない課題を提示する」「批判的に考える必要がある課題を与える」「完成までに少なくとも一週間を必要とする課題を生徒に与える」です。最後の項目なんて11.1%しかありません(参加48か国・地域平均30.5%)。これは小学校教員にも当てはまるのではないでしょうか。「好奇心よりも探究心を」という文脈でいえば、要するに、探究心が軽視されているということになります。

 

 わかりやすく、それぞれの特徴を端的に言えば、好奇心は短期的で、なおかつ消費的である。対するに探究心は長期的で、なおかつ生産的なのだ。

 

 日垣さんがそう書いているように、捉え方によっては、好奇心って短期的で、かつ消費的なものなんですよね。 日本の教育は好奇心止まりで、探究心を育むようにはできていない。

 その主な原因といえば、やはり学校が子どもたちを独占しすぎているためでしょう。構造の問題です。部活動もそうですが、子どもたちの滞在時間が長すぎる。猫の目のように変わる時間割に従いながら、閉鎖空間にいる子どもたちの注意を長い時間引きつけようと思ったら、どうしたってその内容は、短期的で消費的な好奇心を刺激するものになってしまいます。しかも英語やプログラミングなど、教えるべき内容が多すぎて、ゆとりはゼロ。探究心を育むべく、ゆとりとセットで運用されるはずだった総合的な学習の時間が機能しないのも当然です。

 

 対人の世界。
 対物の世界。

 

 養老孟司さんが、世界は見方によってその2つに分けられるという話をしています。学校は「対人の世界」ですよね。学校が子どもたちを囲いすぎると、養老さんが「生き甲斐」のひとつとしている対物の世界、例えば昆虫の世界に没頭するような体験は疎外されてしまう。だから YouTuber になりたいです、みたいな「対人の世界」に偏った子どもが増えていく。ノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎さんの《ふしぎだと思うこと、これが科学の芽です。よく観察してたしかめ、そして考えること、これが科学の茎です。そうして最後になぞがとける、これが科学の花です》という有名な言葉だって、対物の世界から生まれたものです。

 

 探究心を培うには、好奇心をもった事柄に対して、本当のところはどうなのか、と何度も自問自答し続ける習慣さえあればいい。

 

 ソーシャル・ディスタンスという縛りによって、短期的で消費的な好奇心を刺激する一斉授業が盛大に復活するのか、或いは長期的で生産的な探究心を育む指導方法にシフトしていくのか、コロナ禍の今が分かれ目だと感じます。東京都の目黒区がやっているように、午前5時間授業を基本にする。その土台に乗っかった上で、午後はICTを活用してリモートでのゆるやかなつながりを確保しつつ、子どもたちを家庭や地域に還す。授業内容を減らして「本当のところはどうなのか」と何度も自問自答し続けるゆとりや、対物の世界とかかわるゆとりをつくる。そのためにも家庭や地域の力をもっと信頼する。そういった変化を、探究したい。

 

 学校がアホらしいキミへ、そしてオヤへ。

 

 どうでしょうか。

 

 

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