それにしても、私は昔からフシギで仕方がなかった。みんな、なんで大きい方から考えないんだろう? 細かいことから考え始める人が、じつに多いのである。多すぎるのである。そして、それは数学の世界でも当てはまるのである。小学校で習う筆算がその筆頭である。私はこれを、ずっと「ヘンだ、ヘンだ」と思っていたのである。「なんでお尻からチマチマやるの?」と思って、疑問も疑問、大疑問だったのである。
(畑村洋太郎『続・直観でわかる数学』岩波書店、2005)
おはようございます。今朝の話題はエビフライの食べ方から。エビフライを尻尾から食べる人はほとんどいません。頭から食べるのが一般的です。ところが学校では足し算にせよ引き算にせよ、筆算をするときにはエビフライの尻尾(一の位)から計算するように教えます。大事なのは頭(大きい位)であるのにもかかわらず、です。
試しに「534+207」の筆算を百の位から始めてみると?
3~6年生の担任をするときには、この「エビフライの話」をよくします。算数を学ぶというよりも、算数を通して「生き方」や「考え方」を学ぶ授業。黒板にエビフライの絵を描いて「どこから食べますか?」と子どもたちに聞き、続けて534と書いて「一の位と百の位はどちらが大切ですか?」と問う。元ネタは失敗学で有名な畑村洋太郎さんの『続・直観でわかる数学』です。
エビフライをノートに描いてから「534+207」の筆算を百の位から始めてみると、3年生であれば7人に1人くらいが、6年生であれば多くの子が、畑村さんの本に書かれている「百の位から始める筆算」と同じような方法を考え出します。百の位にある「5+2」から始め、次に十の位の「3+0」、そして一の位の「4+7」を計算し、繰り上がりの「1」は下段の10の位に書いて、最後に「731」とその「10」を足し合わせるという流れです。こんな感じ。
534
+207
731
+ 1
741
「なんで大きい方から考えないんだろう?」という「エビフライの話」は、ベストセラー『7つの習慣』の著者であるスティーブン・R・コヴィー博士の「バケツの中には大きな石を最初に入れる」(最重要事項を最初にスケジューリングする)という話と似ています。自分にとって最も重要なこと、例えば「我が子と過ごす時間」ということが大きな石だとしたら、その大きな石を先にバケツに入れて、その後に「山で柴刈り」や「川で洗濯」などの小さな石や砂を入れていかないと、いつまで経っても我が子と過ごす時間はとれませんよ、という話です。小さな石や砂を先に入れると、大きな石は入らなくなってしまいますから。

- 作者: スティーブン・R.コヴィー,Stephen R. Covey,ジェームススキナー,川西茂
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昨日、「教職員支援機構は2019年10月11日、台風19号の影響で小学校教員資格認定試験の二次試験が実施できないため、受験予定者全員を合格にすると公式サイトで発表した」(JーCAST)というニュースが流れました。疑問も疑問、大疑問で、医師免許でも同じことができるのか、と問い詰めたい話です。ミラン・クンデラもびっくりするであろう「教員免許」という存在の耐えられない軽さ。
過去にその試験で落とされた身としては、そのいい加減さに「💢」です。
2000年に小学校教員資格認定試験を受け、2次試験で落ちました。大問が2題しか出ない論述(算数を選択)で、試験が始まってしばらくしてから問題の差し替えが行われるという、「不祥事か?」っていうくらいにいい加減な試験でした。しかも時間の延長はなし。隣の席の受験者が「鉛筆を置いてください」と言われた後も涙ながらに問題を解いていたことを覚えています。ニュースで久し振りに「認定試験」という言葉を見て、あのときの「💢」がよみがえりました。
国にとっても、人にとっても、教育は未来です。日本の未来を考えたときに「大きな石」(最重要事項)となるのは、英語やプログラミングではなく、間違いなく「教員の労働環境の整備(働き方改革)」です。
それにしても、教育のトップにいる人たちに問いたい。なり手がいなくなるくらいめちゃくちゃな環境をそのままにしておいて、全員合格って、それはいったいどんな「志」からきている判断なんだ(?)。働き方改革の第一歩は、
大きな「志」を抱くところから。
そんなこと、直観でわかります。