田舎教師ときどき都会教師

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オードリー・タン 著『デジタルとAIの未来を語る』より。標準的な答えも、標準的な教育も、ない。

 父は、私に「標準的な答え」を与えようとはしませんでしたし、そんな答えがそもそも存在すると思っていなかったようです。あらゆる思考の機会で、一見標準的な答えのように見える場合、そこには必ずいくつかの前提条件が必要であって、その条件を満たしている場合にのみ、「標準的な答え」が有効となると、父は考えていました。
(オードリー・タン『デジタルとAIの未来を語る』プレジデント社、2020)

 

 おはようございます。先日、初任校のときの教え子ファミリーから思いがけず誕生日プレゼントが届きました。お礼の電話をかけたところ、元気な声で「もしもし、誰ですか?」って、その教え子の5歳の子ども(♀)が出てきて、びっくり。そして、ウルッ。その声が17年前に受けもった教え子のそれとそっくりだったからです。刹那、あの頃にタイムスリップしたかのような錯覚に襲われました。声って、脳って、不思議です。ちなみにその後に電話に出てきた教え子の声は、当時の声とは少し違っていて、もちろん大人っぽくなっていて、それはそれで不思議な気分に。こういうことって、あるんですね。こればかりは、AIにもわからないだろうなぁ。

 

 

 オードリー・タン(唐鳳)の『デジタルとAIの未来を語る』を読みました。新型コロナウイルスの感染拡大を抑えるべく、マスク・マップの普及を進めたことで日本にもその名を轟かせた台湾の若きIT担当大臣による初の自著です。今日のNHKのニュースに「台湾域内での新たな感染は8か月近く確認されていない」と出ていましたが、オードリー・タンの貢献が大きいのだろうなって、この本を読むとわかります。

 1981年台湾台北市生まれ。35歳、史上最年少で入閣。天才ですね、天才。どんな教育が、彼、或いは彼女を育てたのでしょうか。

 

結局のところ、私は男女それぞれの思春期を二~三年ずつ経験しているのですが、一般的な男性や女性ほど、完全に男女が分離しているわけではありません。そのため、行政官の政務委員に就任する際、性別を記入する欄には「無」と書きました。

 

 トランスジェンダーなんですよね、オードリー・タンは。トランスジェンダーである若者がIT担当大臣を務め、女性である蔡英文が総統を務める台湾。多様性云々だけでなく、例えば《では、なぜ台湾では、多くの人々が政府の保険を信頼しているのでしょうか。それは、全民健康保険争議審議会で話し合われるあらゆるプロセスが、原稿の一言一句まで透明化されているからです》なんてことも含めて、どこかの国と違って、いいなぁ。

 

 理想的な風土。

 

 学級づくりのヒントになるかもしれないという意味で、そういった風土をもつ国づくりの哲学も気になるところですが、オードリー・タンがどんな教育を受けてきたのか。教員としては、そしてパパとしては、まずはそのことが気になりました。冒頭の引用に続いて、以下は母についてのオードリー・タンのコメントです。

 

 母が教えてくれたのはこういうことです。私の考えがたとえ個人的なものであっても、その内容を言語で明確に説明することができれば、同じ考えを持った人に必ずめぐり会うことができる。すると、私が考えたり説明したりしたことは、単なる個人的な考えではなく、公共性のある考えになり、同じ考えや感覚を持つ人が「どうすれば、よりよい生活を送れるか」をともに考えるきっかけになる。いわゆるアドボカシー(社会的弱者の権利や主張を擁護、代弁すること)に発展するというのです。

 

 いい母ちゃんだなぁ。もちろん父ちゃんも。父にはクリティカルシンキングを、母にはクリエイティブシンキングを教えてもらった、とオードリー・タンは書きます。冒頭に引用した内容を踏まえると、父の教えは、if文的な、プログラミングの思考法ともいえるでしょうか。父の理系思考と、母の公共性が、トランスジェンダーであるオードリー・タンにバランスよく引き継がれ、混ざり、そして開花した。すばらしきかな家庭教育。

 

 では、学校教育は?

 

 14歳で中学校を中退しているんですよね。オードリー・タンは生まれつき「心室中隔欠損症」という心臓の病気を持っていたそうで、体が弱く、集団生活になじめなかったとのこと。小学2年生のときにはいじめにも遇ったそうで、うまくいかなくなるたびに転校を繰り返し、3つの幼稚園と6つの小学校に通ったとのこと。孟母三遷の教えどころか、孟母九遷の教えです。繰り返しますが、いい母ちゃんだ。父ちゃんも。

 12歳のときにインターネットに出会い、独学でAIも学んでいたオードリー・タンは、中学校の校長にこう打ち明けます。

 

 中学を中退して、独学で学びたい。

 

 義務教育だから本当はNGなのに、バレたら自身が処罰されるかもしれないのに、生徒の可能性を理解して認めてくれた校長も、すごい。

 学校から離れた後は、ネットを利用して、自らの興味に従って研究を進めていったそうです。日本でいうと、オリィ研究所の吉藤オリィさんをイメージします。以下のブログにも書きましたが、分身ロボット「OriHime」の開発者として知られる吉藤オリィこと吉藤健太朗さんも、不登校だったときに独学でロボットをつくっています。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 冒頭の「標準的な答え」ではないですが、標準的な学校って、もはや世の中の前提条件を満たしていないのかもしれません。そしてオードリー・タンは、14歳で中学校を中退した後、

 

 15歳で起業、18歳でアメリカに渡る。

 

 やはり天才ですね。こうなってくると、凡人にはあまり参考になりません。ただしオードリー・タンの考え方は大いに参考になります。例えば小学校におけるプログラミング教育について、次のように書いています。

 

 私は子どもたちにイノベーションのパートナーになってほしいと思っています。指示された後に情報を探し始めるような子どもにはなってほしくないのです。そのために必要なのは、「スキル」ではなく、「素養」なのです。
 子どもたちが、「自分が興味のある問題や公的なモンダイを解決する以外の目的で、プログラミング言語」を学ぶというのは、外国語を学ぶときに辞書に載っていることを完璧に暗記するようなものです。そんなことをしても必ずしも役に立つとは限りません。自分の関心を脇に置いてプログラミング言語を学ぼうとすることも、それと同じ行為です。

 

 ここでいう素養というのは、平素の学習で身につけた教養や技術のことです。もっとわかりやすくいえば、社会学者の宮台真司さんがいうところの「動機付け」に関する話です。日本の学校教育は、社会貢献的動機付けに失敗しているという話。オードリー・タンが素養を重視しているのも、動機付けがなければデジタルスキルは絵に描いた餅になることがわかっているからでしょう。受験競争とか、塾通いとか、そんなことを「標準的な答え」にしている場合ではないんじゃないかな、日本は。前提条件、もうとっくに変わっていますよ。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 最後に、AIについて。

 

 また、ドラえもんはとても優秀なロボット(AI)ですが、のび太くんはドラえもんだけを信頼しているわけではありません。家族がいて、クラスメートがいて、先生がいいて・・・・・・といろいろな場所で相互交流を図っています。のび太くんはドラえもんが便利な道具を出してくれるからといって、無条件にドラえもんを信頼しているわけではないはずです。むしろドラえもんにおんぶに抱っこでは、のび太くんにとって社会との相互交流は難しいものになってしまいます。

 

 AIはあくまで人間を補助するツールだと言い切っています。大事なのは社会との相互交流であり、人であり、社会貢献への動機付けです。結局、人。やっぱり、生き方。

 

 吉藤オリィさん、入閣しないかなぁ。

 

 行ってきます。