最後にそこを使ったのは、ちょうどエコーズの解散コンサートの直前だったので、初めて顔を出した時から本当に十年という歳月が流れていた。
もうみんな、何を見ても驚いたりはしなかった。あまりプライベートなことも話さなくなっていた。相変わらず練習は好きだったが、お互いの心の中に大きなわだかまりを残しての解散だった。スタジオを去る時、みんな笑顔も作れないほどだった。
いろいろな思い出が信濃町スタジオにはある。
(辻仁成『音楽が終わった夜に』新潮文庫、1999)
こんにちは。昨日は土曜授業でした。振休なしの土曜授業です。異動先には土曜授業はないのではないか、少なくとも振休なしの土曜授業とはおさらばできるのではないか、と期待していましたが、残念。異動しても異動してもなお、
土曜授業なくならざり。
この「なくならざり」は日本語の使い方として正しいのかどうかという疑問はさておき、じっと手を見るくらい、否、笑顔も作れないくらい疲れました。あまりにもくたくただったので、ショック療法的に遠出して、
都会の喧噪へ。
思いがけず333。
最後に海外へ行ったのは、18年前のベトナムです。学生時代を含め、バックパッカーもどきみたいな歳月を長く過ごしたことが原因なのか、以前ほどにはもう何を見ても驚いたりはしなくなっていました。小林紀晴さんいうところのアジアンジャパニーズに会っても、あまりプライベートなことを話さなくなっていました。で、予定を変更し、数日早く帰りの便に乗ったんですよね。わだかまりを残しての解散ではなく、
ひとり旅はもういいかな。
そう思っての帰国です。
村上春樹さんの『羊をめぐる冒険』に《歌はもう終わった。しかしメロディーは鳴り響いている》という印象的なセンテンスが出てきます。土曜授業が終わった夜に、思いがけず目に留まったベトナム料理店で333を飲みながら、今、この時間に流れているのは「歌」なのか「メロディー」なのか、それとも別のものなのか、そんなことを考えていました。
音楽が終わらない夜に。
辻仁成さんの『音楽が終わった夜に』を再読しました。異動後の新しい環境に慣れることができず、せめて本くらいは慣れ親しんだものを手に取ろうと思っての再読です。同じ理由で手にした『そこに僕はいた』や『そこに君がいた』と同様に、この本も、
エッセイ集。
辻仁成さんの『音楽が終わった夜に』再読。80年代のロックシーンを赤裸々に描いたエッセイ集。曰く《ロック小説というものを読むたびに、どこかで白けてしまうのも事実だ》云々。読むと、白けてしまうのもやむなしと思えます。圧倒的なロック感。仕事が終わった夜に、ECHOESと一緒に、ぜひ。#読了 pic.twitter.com/nHnVMmrTnh
— CountryTeacher (@HereticsStar) April 17, 2025
どこかで白けてしまうの「反対」のロックエッセイです。どのエッセイをとっても引き込まれます。例えば、以下。
そして、突然後ろから頭をビール瓶で殴られたのである。
粉々になった破片が頭に無数に刺さり、僕はそのまま床に倒れ込んでしまった。遠のく意識の中を女の子たちの悲鳴だけが響いていた。床に倒れても、男たちの足が僕の顔や腹部を蹴りあげていた。意識が朦朧とする中で、僕が見たのは、VIP席でせせら笑う着飾ったねぇちゃんたちのセクシーな足元だった。
今だからこうやって文章にできるが、負けず嫌いの辻仁成。人生最大の屈辱であった。まだあの店はあるんだろうか。
タイトル「ロックの神髄」の一場面より。六本木のインクスティックというライブハウスでの出来事だそうです。若かった辻さんは、VIP席で飲んだくれていた態度の悪い地元の金持ちに対して、MCのときに《ポンギの連中は、ちゃんと音楽も聞けないのか》と言ってしまったとのこと。ライブハウスではケンカや乱闘などのトラブルが絶えなかったとのこと。でも、そういったトラブルの連続こそが、へこたれない強さをつくり、バンドの足腰を強くしてくれたとのこと。トラブルの類いを蛇蝎のごとく嫌う昨今の学校や一部の保護者の態度は、ロックの神髄から最も遠いところにあります。トラブルは成長のきっかけになるのに。トラブルこそが子どもたちをたくましくするのに。トラブルのない学校は、もしかしたら健全ではなく、不健全かもしれないのに。ちなみにインクスティックというライブハウスはもうありません。ロックの神様が辻さんの人生最大の屈辱を「潰す」というかたちで晴らしてくれたのでしょう。
もう一つ。
エコーズは結局1992年まで続くことになり、その年の日比谷野外音楽堂でのコンサートを最後に解散した。
その男とはそれ以降一度も現在まで会っていない。理由は、お互いの夢が達成されないままバンドを解散してしまったことが、二人の友情に一つの影を落としてしまったからだった。
タイトル「最強のタッグ・オブ・ストリート、その後」より。その男とは、エコーズでドラムを務めていた今川勉さんのことです。その男こと今川さんとの出会いのエピソードとか、二人でバンドをスタートさせたときのエピソードとか、そして解散後のエピソードとか。今川さんとの話に限らず、『音楽が終わった夜に』にも、『そこに僕はいた』や『そこに君がいた』と同じように、マルティン・ブーバーいうところの『我と汝』に通ずる「僕と君」の話がたくさん出てきます。そのどれもが、《歌はもう終わった。しかしメロディーは鳴り響いている》感じで、
素晴らしい。
今川さんについて、Wikipediaに《2011年3月11日の東日本大震災後、ファンからの復活の声に応え再始動し、再解散宣言せずにいたが、辻は日記に「エコーズはもうドラムの今川が天国に行った時に、完全に終わった」と記した》とあります。それでもなお、大小の差こそあれ、メロディーは鳴り続けているような気がするのは、辻さんが「書く」ことを続けているからでしょう。
明日からの通勤のお供は、むか~し昔に読んだ『ガラスの天井』です。これも辻さんのエッセイ集です。まだ読んだことのない、辻さんの最近のエッセイ集も読みたくなってきました。お勧めがあったら教えてください。
土曜授業はもう終わった。
しかし疲れは残っている。