田舎教師ときどき都会教師

読書のこと、教育のこと

辻仁成 著『そこに僕はいた』より。いやな奴も大勢いたけど、僕は学校が大好きだった。

 小学校のときというのはどうしてあんなに変な奴が多いのだろう。振り返ると小学校時代ほど変な奴が溢れていた時代はない。奇人変人のオンパレードなのである。大人になると皆だんだんまともになっていき普通になってしまうのが残念だ。人々が子供の頃のままだったら社会はもっと純粋でもっと感覚的でもっと愉快だったはずである。
(辻仁成『そこに僕はいた』新潮文庫、1995)

 

 おはようございます。小学5年生になると子どもたちは大人の階段を登り始めます。だから辻仁成さん言うところの《奇人変人》は小学1年生から4年生までに多く生息しているというのが長年の教員生活から得た答えのひとつです。その《奇人変人のオンパレード》をどれくらい純粋に、感覚的に、そして愉快におもしろがれるかどうか。そして「大人になる」ではなく、子ども心を忘れないという意味での「大人にもなる」路線での成長を後押しできるかどうか。本年度は久しぶりの3年生の担任ということで、

 

 腕が鳴ります。

 

 

 早速腕を鳴らすつもりでしたが、腕の前に異動疲れで体が警鐘を鳴らし始めたので、薬代わりに懐かしい本を服用、否、通勤のお供にしました。辻仁成さんの『そこに僕がいた』です。

 

 効きました。

 

 

 辻仁成さんの『そこに僕はいた』を再読しました。18篇から成る珠玉のエッセイ集です。表題作の「そこに僕がいた」は、現在、中学1年生の国語の教科書(東京書籍)に掲載されているそうで、

 

 いいなぁ。

 

 昔々、辻さんの本にはまっていた時期がありました。小説で言うと『ミラクル』とか『アンチノイズ』とか『ワイルドフラワー』とか『サヨナライツカ』とか『冷静と情熱のあいだ』とか『白仏』とか『ニュートンの林檎』とか。うん、また読みたい。エッセイで言うと『そこに僕はいた』と『そこに君がいた』。この2つのエッセイは、今考えるとマルティン・ブーバーの古典『我と汝』のように思えて、

 

 深い。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 ブーバーの『我と汝』の訳者である野口啓祐さんが《現代人はすべからく〈われ〉ではなく、〈われ〉ー〈なんじ〉の間にある関係を出発点として考えてゆかねばならないと主張するブーバーの卓見は、かならずや読者の心に深い感銘をあたえることであろう》と書いています。それってまさに、辻さんの『そこに僕はいた』&『そこに君がいた』ではないか(?)。なぜなら、まだ何者でもなかった小学生、中学生、高校生の辻さんが、友達との間にある関係を出発点として、「僕と君」、すなわち「我と汝」についての懐かしい思い出を綴っているからです。大切なのは、

 

 関係性。

 

 つまり組み合わせ。子どもたちのことを関係性で見ながら指導・支援していく学級づくりや、前回のブログで紹介した『ユダヤ人の歴史』と同じです。ちなみにブーバーはユダヤ人で、『ユダヤ人の歴史』には《個々人が相互に孤立した状態を脱し、人間的な対話が行われる関係に向かうことを説いた哲学者ブーバーは、啓蒙主義者からは「東方ユダヤ人」の蒙昧な伝統と蔑視されていたハシティズムを再評価したことでも知られる》と紹介されています。人間的な対話、すなわち冒頭の引用でいうところの《もっと純粋でもっと感覚的でもっと愉快》な対話のことでしょう。そのためには我だけでなく汝、僕だけではなく君、すなわち友達が必要というわけです。その友達をつくるにあたって、学校ほど自然なところはありません。だから辻さんはこう書くんです。

 

 僕は学校が好きだった。毎日わくわくしながら学校に通ったものだ。学校にはいやな奴も大勢いたが、好きな友達がそれ以上に沢山いたからである。向こうは僕のことをどう思っていたのかは分からないが、構わなかった。僕はかってに彼らのことを友達だと思っていたのである。

 

 いやな奴が大勢いたとしても、っていうところが、よい。いやな奴なんて、当たり前のようにいるんですよね。いやな奴がいるからこそ、そうでない友達の有り難みがわかる。だからクラスにいやな奴がいたとしても、いちいち「うちの子がいやな奴にいやなことを言われて傷ついています」みたいな電話は要りません。保護者と電話で話題にしたいのは、いやな奴ではなく、次のような友達のことです。

 

 小学校時代、僕は ”こいつにだけは負けたくない” という読書友達がいた。その後の僕の乱読生活は、ひとえに彼とのライバル意識が生んだものである。僕はもともと、本が大嫌いだった。あの人参とピーマンと並んで、本は僕の三大苦手の一つであった。

 

 その彼ことヨー君は、小学校4年生くらいでヘルマン・ヘッセの『車輪の下』を読んでいたそうです。もしもヨー君がいなかったら、ヨー君が辻家の隣に引っ越してこなかったら、小説家辻仁成は誕生しなかったかもしれません。音楽家辻仁成も誕生しなかったかもしれません。

 

 ありがとう、ヨー君。

 

 ちなみにそのヨー君は『そこに君がいた』にも出てきて、ヨー君のその後、つまり大人になってからのことも書かれていて、ネタバレするので書きませんが、泣けるんです。だからぜひ『そこに僕はいた』と『そこに君がいた』をセットで読んでほしい。ヨー君以外の友達もたくさん出てきて、校種に限らず「学校って、いいな」って、そう思えます。

 

実踏帰りに酔り道(2025.4.9)

 

 遠足の実踏帰りに飲んだ十四代、おいしかったなぁ。辻さんの『そこに僕はいた』とは違った意味で効きました。子ども心を忘れることなく、今週の平日も、一日くらい酔り道ができたらいいなと思います。

 

 そこに僕はいた。

 

 そこに君がいた。