田舎教師ときどき都会教師

読書のこと、教育のこと

星野道夫 著『ゴンベの森へ』より。誰かと出会い、その人間を好きになった時、風景は初めて広がりと深さを持つ。

 人が旅をして、新しい土地の風景を自分のものにするためには、誰かが介在する必要があるのではないだろうか。どれだけ多くの国に出かけても、地球を何周しようと、それだけでは私たちは世界の広さを感じとることはできない。いやそれどころか、さまざまな土地を訪れ、速く動けば動くほど、かつて無限の広がりを持っていた世界が有限なものになってゆく。誰かと出会い、その人間を好きになった時、風景は初めて広がりと深さを持つのかもしれない。
(星野道夫『ゴンベの森へ  アフリカ旅日記』ちくま文庫、2025)

 

 こんばんは。やはり、星野道夫(1952-1996)の文章は沁みます。特に上記の引用のところはいいなぁと思っていたら、解説を書いている管啓次郎さんもここのところを取り上げていて、我が意を得たり。曰く《人が風景と出会うには、必ず媒介者が必要だ。それが欠けている旅は、しばしばただの移動でしかない》云々。そのとおりです。ガッコウ旅日記を充実させるべく、ただの「異動」にならないよう、通算6校目となる新しい職場でも、

 

 よい出会いに恵まれますように。

 

 

 前任校では、地域の人たちも含め、老若男女「好きになれる人間」に恵まれすぎました。当然、そうでない人間もいましたが。それはおそらくお互いさま。

 異動先でも「好きになれる人間」に出会えますように(!)って、意気込みすぎたのでしょうか。異動初日にはよくあることですが、昨日は職員室にいる全員が超優秀に見えて(もちろん、実際にそうなのかもしれません)、自己肯定感がだだ下がりでした。自己肯定感の低下とともに免疫力も下がったのか、久しぶりに風邪まで引いてしまいました。で、今日は午後に年休を取って病院へ。

 

 明日の遠足実踏、行けるかなぁ。

 

 

 星野道夫 著『ゴンベの森へ』を読みました。著者がカムチャッカにあるクリル湖畔のテントでヒグマに襲われて命を落とす約3週間前に脱稿された一冊です。管さん曰く《ほぼ遺稿に近いと考えていいだろう。それだけに、ここに書きつけられた言葉のいくつかは、彼が考えてきたことの最終的な完成形とみなしていい》云々。

 

 彼が考えてきたこととは?

 

 02年から23年まで小学6年生の国語の教科書(光村図書)に載っていた「森へ」に代表されるように、「星野道夫=自然」というイメージがあるものの、この『ゴンベの森へ』に限らず、数々の著書を読むと、冒頭に引用した文章もそうですが、どう考えても「星野道夫=人」なんですよね。正確には「星野道夫=人を含めた自然」です。星野道夫は、人を含めた自然のことを考えていた。

 

 彼にとって、人は必要不可欠だった。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 ぼくがジェーン・グドールに会いたかったのは、彼女を通してアフリカという世界を垣間見たかったからだろう。生まれ故郷を離れ、新しい土地へ移り、そこで生き続けてゆくことの意味を、ぼくは少しずつわかりかけていた。アラスカとアフリカという違いこそあれ、ぼくは彼女の著作を読みながら、ある共通する思いを感じていた。

 

 ジェーン・グドール(1934-)は、チンパンジーの研究で知られる動物行動学者です。国連の平和大使でもあります。この、ジェーンという《共通する思い》をもつ存在が、星野道夫をゴンベの森へと誘います。だからジェーンがいなければ、この『ゴンベの森へ』は生まれなかったでしょう。やはり、

 

「星野道夫=人を含めた自然」です。

 

 ゴンベの森のチンパンジーに魅せられたジェーンと、アラスカのカリブーに魅せられたミチオとの出会い。ミチオはこの旅のことを次のように表現しています。

 

 誰にも、思い出を作らなければならない「人生のとき」があるような気がする。わずか十日ばかりにすぎない旅だが、一日一日が珠玉のような大切な時間なのだ。

 

 その「人生のとき」を、珠玉のような文章と写真で追体験できるのが『ゴンベの森へ』です。ミチオと一緒に大切な時間を過ごしたジェーンは、その後、ミチオの死を知り、次のように語っています。

 

ミチオが地球上で過ごす時間を奪ったのが、アラスカのクマでなくてよかった。そのことが、せめてもの慰めになった。

 

 ゴンベの森に住むチンパンジーを愛している、そしてミチオと《共通する思い》をもつジェーンらしい見方・考え方でしょう。この二人が、どんな「人生のとき」を過ごしたのか。二人に《共通する思い》とは何なのか。ぜひ手にとって読んでみてください。

 

童心に帰る(2025.3.31)

 

 近しい友人に勧められた『つるばら村のパン屋さん』を読んだ3月31日はわくわくしていたのに、たった2日で「異動先ではもうやっていけないかもしれない」みたいな気持ちになっています。風邪のせいでしょうか。そうだとすると、まさにチェーホフいうところの《風邪をひいても世界は変わる。よって世界観は風邪の症状に過ぎない》です。ちなみにこの言葉の出典を知っている人がいたら教えてください。どういう文脈で使われた言葉なのか、知りたいです。

 

 風邪が悪化しているような気がします。

 

 おやすみなさい。

 

 

暴走する文明 (字幕版)

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