ミツバチのワーカーは日齢によって行う仕事が変わる。それは厳格に定められていて、例外はない。ミツバチが昆虫界で最も進化した社会性を持っていると言われるのはそのためだ。一方オオスズメバチの社会では、ワーカーに決められた役割分担はない。狩り、巣作り、巣の清掃、女王バチの世話、巣の見張りなどは、個々のワーカーの自由裁量に任されている。専業に近いものもいれば多くの仕事を兼ねるものもいる。にもかかわらず巣は全体としてみれば常にバランスが取れている。
(百田尚樹『風の中のマリア』講談社文庫、2011)
こんばんは。異動先の学校が、ミツバチのような社会ではなく、オオスズメバチの社会のように、担任の自由裁量に任されている学校だったらいいなぁ。そんなことを考えながら、先日、ブラッと小旅行に出かけました。行き先は、
長野県の上田です。
上田にはバックパッカーだったときに知り合った気の置けない友人がいます。美味しい日本酒や、馬肉うどんで知られる中村屋のような老舗もあります。信濃川水系の一級河川・千曲川も流れているし、上田から少し足を延ばせば、差切峡のような隠れた観光スポットもあります。心の洗濯にはうってつけで、気が付けば、
リピーターに。
この町の近くで働くのもいいな、と思う。 pic.twitter.com/sqRjhbs7qo
— CountryTeacher (@HereticsStar) June 2, 2024
異動先の学校がミツバチのような社会で厳格だったら、心が病む前にすぐにでも再訪しようと思います。私は、風の中のマリアほど強くありませんから。
百田尚樹さんの『風の中のマリア』を読みました。オオスズメバチが主人公の変わった小説です。
百田さんの小説を読んだのは、かなり昔に『永遠の0』を読んで以来、これで二冊目です。映画にもなった『永遠の0』は読みやすかったし、歴史の勉強にもなっておもしろかったものの、その後、百田さんは政治的な言動が目立つようになり、その言動だったり目立ち方だったりがあまりいい感じには見えなかったため、二冊目からは遠ざかっていました。バルトの「作者の死」を考えれば、作品がよければそれでいいのかもしれませんが。『海賊とよばれた男』とか、興味あったんだけどなぁ。まぁ、いずれ読もうと思います。で、遠ざかっていたにもかかわらず、百田さんの本を手に取ったのは、
勧められたからです。
気の置けない友人に勧められたんです。好きな本を訊ねたところ「かぜのなかのマリアがわたしはすきですよ」って、ちょっとポエムな感じで言われたんです。しかもプレゼントされたんです。読まないわけにはいきません。
百田尚樹さんの『風の中のマリア』読了。マリアはオオスズメバチの働き蜂で、自分の巣、即ち帝国のために一生を捧げる。滅私奉公だ。解説・養老孟司さん曰く《大日本「帝国」のために命を捧げたのに、いってみれば、ほとんどなんにもならなかった人たちがいた》。滅公奉私の時代に刺さる作品。#読了 pic.twitter.com/50PkIRqHWG
— CountryTeacher (@HereticsStar) March 31, 2025
うん、やはり「作者の死」に基づくテキスト論ではなく、作者とセットで考える作品論として読んでしまいます。『永遠の0』の特攻隊も、『風の中のマリア』のワーカーも、読み方によっては、わかりやすく「戦争賛美」につながります。よく知られているように、スタジオジブリの宮崎駿監督が『永遠の0』を批判したのもそういった理由からでした。解説を書いている養老孟司さんが《つまずく人がいるかもしれない》と書いているのも同じ理由でしょう。祖国、すなわち帝国を守るために、特攻隊が敵船艦に体当たりをする。自分の巣、すなわち帝国を守るために、オオスズメバチのワーカーが狩人としてバッタやカマドウマなどの昆虫を殺しまくる。その過程に、心を揺さぶる物語が挿入される。
例えば、これ。
ミドリシジミは不思議そうな顔をした。
「ぼくらの生き方とはだいぶ違いますね。ぼくはただ恋のためにだけ生きている。ほら、これが見えますか?」
ミドリシジミはそう言って翅を広げて見せた。小さいながらも青い光沢を持った美しい翅だった。
「きれいな翅ね」
「ぼくたちミドリシジミの仲間はゼフィルスと呼ばれています。ゼフィルスの一族は皆、美しい翅を持っています」
ミドリシジミは青く光る翅をゆっくりとはばたかせた。
マリアの生き方とミドリシジミをはじめとする他の昆虫の生き方は、違う。しかしはじめのうちは《さぞや退屈な生活に違いない》と思っていたマリアが、次第にミドリシジミ的な生き方にも興味を覚えるようになってくる。主人公が経験を重ね、変わっていく。すなわち「行って帰る」。物語の王道です。当然、おもしろい。そして美しく思えるんです。滅私奉公の中にある美しさ。それが、百田さんのねらいであり、批判される所以でもあるのでしょう。それにしても、
ミドリシジミの描写が専門的に過ぎる。
オオスズメバチについても専門的に過ぎる。他の昆虫についても専門的に過ぎる。答えは巻末の「謝辞」にありました。小野正人さん&中村雅雄さんというスズメバチ研究者にお世話になった、とのこと。
中村先生は小学校の教師をされながら(現在は退職)、長年にわたってスズメバチを研究された在野の研究者で、そのフィールドワークは専門家からも高く評価されています。またスズメバチ関係の著作を多く出されています。
中村雅雄先生は、神奈川県の小学校の教員だったようです。検索したら出てきました。二足の草鞋かぁ。
憧れます。
写真は三崎港です。「神奈川県」で「風の中」といえば、あのときだなぁと勝手に連想しました。まぁ、何の脈絡もないですが。新天地での初日を明日に控え、脳がバグっているようです。
明日、楽しめますように。
おやすみなさい。