目的が持ち込まれた途端に存在することをやめてしまう享受の快を剥奪することは、人間に病としての依存症への道を開く。社会がこのまま進み、すべてを手段化した時、我々はおそらく、これまで見たことのないような依存症に出会うことだろう。
人間から享受の快を剥奪してはならない。それは人間の生すべてを目的ー手段連関に従属させることだからである。
(國分功一郎『手段からの解放』新潮社、2025)
おはようございます。昨日の給食は勤務校での「最後の昼餐」でした。教室の前まで給食のワゴンを運んでくれる調理員さんにお礼とお別れの挨拶をしたところ、曰く「学級通信をいつも読ませていただいていました」とのこと。教室前の廊下に掲示している、本の引用から始まる学級通信のことです。他の調理員さんも読んでくれていたようで、嬉しい気持ちになりました。調理員さんたちは皆、4時間目が終わる10分前くらいにワゴンを運んだ後、子どもたちがワゴンを教室の中に運ぶのを見届けるために、廊下で待ってくれているんですよね。その時間に読んでいたというわけです。本の引用と、子どもたち全員分の日々の振り返りの縮小コピーがセットになった、かれこれ20年近く続けている毎週の学級通信。享受の快である美味しい給食とは違って、クラスづくりのための手段であり、もしかしたら病としての依存症になっているかもしれないとはいえ、
異動先でも続けられますように。
國分功一郎さんの『手段からの解放』を読みました。シリーズ哲学講話のその2です。その1に当たる『目的への抵抗』はまだ読んでいないので、卒業式が終わったら読もうと思います。卒業式は来週の月曜日。晴れますように。以下、目次です。
はじめに 楽しむことについての哲学的探究
第一章 享受の快 ―― カント、嗜好品、依存症
第二章 手段化する現代社会
おわりに 経験と習慣
第一章には論文が、第二章にはその論文をもとにして行われた、東大生向けの講話が収められています。つまり、書いてあることは、
同じ。
どんな「同じこと」が書かれているのか。子どもたちにとっては、純粋に「享受の快である美味しい給食」であったとしても、担任にとってはそうではない、というようなことが書かれています。なぜなら、担任にとっての給食は、食育という教育活動の目的を達成するための手段のひとつであり、享受の快は《目的が持ち込まれた途端に存在することをやめてしまう》からです。
哲学者のカントもそう言っている。
そして、享受しかない人生はNGだが、享受のない人生もNGだと言っている。それがこの本の言わんとしているところです。だから給食に限らず、珈琲やお酒などの嗜好品を嗜む時間を含め、人間から享受の快を剥奪してはならない。それは人間の生すべてを目的ー手段連関に従属させることだからである。社会がこのまま進み、すべてを手段化した時、我々はおそらく、これまで見たことのないような依存症に出会うことだろう。
カントが予言し、國分が固めた。
國分功一郎さんの『手段からの解放』読了。冒頭に提示された《楽しむとはどういうことなのだろう》という問いに、論文と講話の二本立てで迫っている。手段ではなく純粋に楽しむためには、大人ではなく「大人にもなる」(by 坂口恭平さん)ことが大切だと思う。子どもは純粋に楽しめるから。#読了 pic.twitter.com/Fks1DWqUWf
— CountryTeacher (@HereticsStar) March 16, 2025
楽しむとはどういうことなのだろう。
これは、國分さんの代表作である『暇と退屈の倫理学』にも出てくる問題意識であり、教員にとっても大切な問いです。以下、その『暇と退屈の倫理学』に出てくる一節より。
楽しむことは、しかし、けっして容易ではない。容易ではないから、消費社会がそこにつけ込んだのである。
ラッセルはこんなことを言っている。「教育は以前、多分に楽しむ能力を訓練することだと考えられていた」。ラッセルがこう述べることの前提にあるのは、楽しむためには準備が不可欠だということ、楽しめるようになるには訓練が必要だということである。
浪費と消費は違う、というのが『暇と退屈の倫理学』で語られたことのひとつでした。給食をたくさん食べようとしても、必ずどこかで胃袋に限界が来て、子どもたちは満足することになる。それが浪費。消費は違う。一人一台タブレットで YouTube を見始めたら、いつまで経っても子どもたちは見ている。それが消費。物を対象にしている浪費には限りがあり、観念や情報や記号を対象にしている消費には限りがない。だから私たちは浪費を楽しむことによって消費社会に抗わなければいけない。言い換えると、物を楽しむ力をつけることによって、依存症にならないように気をつけていかないといけない。つまり、
享受の快を失ってはならない。
えっ、アルコール中毒とかタバコとかドラッグとか、物を楽しむことこそが依存症への道を開くんじゃないの(?)と思ったそこのあなた。いい問いです。丁寧に説明したいところですが、これから学校に行って教室と職員室の整理をしないといけないので、その問いについては『手段からの解放』を手にとって、自ら確かめてみてください。ヒントは「紙一重」です。
酔いそうなくらいの晴日です。
行ってきます。