前述の通り、17世紀半ばのピューリタン革命を経て、イングランドには議会政治が定着しようとしていた。実際に議会に参加していたのはジェントリであり一般の市民たちではなかったが、市民たちは、コーヒーハウスに集まり交流し、政治について議論した。
またある者は、文学や哲学など学問についての議論を熱く交わし、そこは大学さながらであった。
(増永菜生『カフェの世界史』SB新書、2025)
こんばんは。先日、教え子をゲストティーチャーに招いて、本年度の締めくくりとなる大人図鑑の授業をしました。おもしろい大人の生き方を探って学ぶ、探究の授業(総合的な学習の時間)。もうすぐ卒業する6年生の子どもたちは、この一年、かれこれ30人以上の大人と出会い、それぞれの個人史を通して、社会をパーシャルに覗いてきました。楽しかったなぁ。異動先でも大人図鑑を続けたい。そこに教え子とのコラボ授業も組み込みたい。
教え子図鑑。
なかなかいいネーミングのような気がしてきました。異動先の職場環境に慣れたら、教え子巡りをライフワークのひとつにしようと思います。臼井隆一郎さんの名著『コーヒーが廻り世界史が廻る』を捩れば、
教え子を巡り自分史を巡る。
授業後、年休をとって教え子と一緒にカフェに行き、子どもたちの様子や反応など授業についての議論を熱く交わしました。
そこはさながら大学でした。
教え子は子どもたちが昔のアニメだったりキャラクターだったりをよく知っていることに驚いたそうです。そういった情報に容易にアクセスできるメディア&インターネットの影響だろう、と。TikTokさんとか、Instagramさんとか、Metaさんとか。教え子はメディア&インターネット界隈で働いていて、企業の名前に「さん」を付けるんですよね。所属しているコミュニティが違うと、言葉遣いにも違いがあって、おもしろいなぁと思います。もしかしたら、教え子を通じて、いつか TikTokさんや Instagramさんや Metaさんとコラボできるかもしれない。可能性が広がっていきます。臼井隆一郎さんいうところのコーヒーハウスに負けず劣らず、大人図鑑や教え子図鑑にも、そういった「可能性を広げる場」としての機能があるというわけです。
意見を異にする人々の熱気にむせかえる場では
言論の自由は許されてしかるべきもの
それこそがコーヒーハウス
なぜなら他のいったいどこで
これほど自由に談ずることができよう
臼井さんの『コーヒーが廻り世界史が廻る』に出てくる歌です。1652年にロンドンで誕生した一軒のコーヒー・ハウス。その「場」が人々をつなぐハブとなり、公権力に対する「世論」という新たな近代的権力ファクターを生んだ。臼井さんの本には、そういった物語が書かれています。
増永菜生さんの『カフェの世界史』読了。臼井隆一郎さんの名著『コーヒーが廻り世界史が廻る』を連想して読み始めたものの没頭できず。後者は物語的、前者は図鑑的だからだろう。とはいえ、著者の《「カフェ」を入口に歴史学に興味をもってもらう》という狙いは成功している。出口がいっぱい。#読了 pic.twitter.com/havnpLqrfl
— CountryTeacher (@HereticsStar) March 12, 2025
入口があって、出口がある。それが物語。大人図鑑はおもしろい大人を入口に、それから増永菜生さんの『カフェの世界史』はカフェを入口に、前者は子どもたちを社会へと、後者は読者を歴史へと誘います。それが物語になるかどうかは、
子ども次第 or 読者次第。
増永菜生さんの『カフェの世界史』を読みました。福井県で生まれ育ったという著者の増永さんは、現在はイタリアのミラノに住んでいて、本書が初の著書とのこと。手に取るとわかりますが、新書にしてはズッシリで、処女作にかける著者の思い入れが伝わってくる分厚さです。行きつけのカフェで読み終えるには、何杯ものコーヒーをおかわりすることになるでしょう。以下、目次です。
第1章 ヨーロッパに喫茶文化がやってきた
1ー1 カフェ誕生前夜
1ー2 コーヒーハウスの誕生、全てはそこで完結する
1ー3 アルプスを越えたザッハトルテ
第2章 革命前夜のカフェと喫茶習慣
2ー1 産業革命とイギリス社会
2ー2 革命前夜のカフェ活動
2ー3 ロシアの喫茶文化とお菓子
第3章 万博と美術館とカフェ
3ー1 世界初の美術館・博物館併設カフェ
3ー2 国民国家と「王室御用達」お菓子
3ー3 万国博覧会と都市の発展
第4章 激動の20世紀前半とカフェタイム
4ー1 第一次世界大戦、総力戦の時代のコーヒーとお菓子
4ー2 日本にコーヒー文化がやってきた
4ー3 狂騒の20年代、知識人とパリのカフェ
第5章 多様化する20世紀後半のコーヒーライフ
5ー1 第二次世界大戦と嗜好品
5ー2 戦後復興、大量生産・大量消費の時代へ
5ー3 20世紀後半のコーヒービジネスの展開
第6章 グローバルとローカル、カフェはいつもそこに
6ー1 ファッションとカフェ
6ー2 スターバックスがある国、ない国
6ー3 全ての人に平等なコーヒー
目次からわかるように、カフェを入口にしてさまざまな歴史が織り込まれています。大航海時代からスターバックスまで。世界史から日本史まで。当然、分厚くなるし、物語的ではなく、
図鑑的になります。
日本初の喫茶店と言われているのが、東京・上野で1888年に鄭永慶によってオープンした可否茶館である。イェール大学に留学し、アメリカのコーヒー文化に親しんだ鄭永慶は、1883年に要人や貴族の社交場として建設された鹿鳴館に対抗し、一般の人々が楽しめる場ということでこの喫茶店を開いた。
第4章の第2節から引用しました。こういった情報が詰め込まれているわけですが、ここで「鄭永慶とはどんな人物なのだろう?」と興味をもったとしたら、おそらく未来の子どもたちは検索、しかもチャットGPTという選択肢をとるでしょう。
試しにTwitterさん、もとい、Xさん(Grok)に訊いてみると《鄭永慶(てい えいけい、1858年 ー 1894年)は、明治時代の実業家で、日本におけるコーヒー文化の普及に貢献した人物として知られています。長崎で代々唐通事(中国語の通訳)を務める家系に生まれ、父は鄭永寧という外交官でした。明治7年(1874年)にアメリカのエール大学へ留学し、帰国後は外務省の官吏や英語教師として働きました。その後、明治21年(1888年)に東京西黒門町(現在の東京都港区西新橋付近)に「可否茶館」(かひちゃかん)を開業しました。これは日本初の本格的なコーヒー専門店とされており、コーヒーを庶民に広めるきっかけとなりました。当時、コーヒーはまだ珍しい飲み物でしたが、鄭永慶は西洋文化の導入に一役買い、近代日本のカフェ文化の礎を築いた人物として評価されています。明治27年(1894年)に36歳の若さで亡くなりましたが、その先見性と実業家としての功績は今も語り継がれています》と出てきます。
便利すぎます。
先日、社会の授業のときに、クラスの子が「地球の環境を守るために世界や日本はどのような活動をしているのか」という問いについて「チャットGPTに聞いてみました」と前置きした上で、検索して出てきた内容を淡々と読んで説明するという場面がありました。
あっ、未来ではなく、もう出てきたなぁ。
頭の中で賛否両論が渦巻きます。この先、調べ学習の在り方はどうなってしまうのでしょうか。増永さんはあとがきに《この本の狙いの一つは、「カフェ」を入口に歴史学に興味を持ってもらう、参考文献に挙げられている本に手を伸ばしてもらうということ》と書いています。巻末には参考文献となる出口が、
ずらり。
では、TikTokさんとか、Instagramさんとか、Metaさんとか、Xさんとかが若者の心を魅了する世の中において、チャットGPTを始めとするAIに訊くという行為ではなく、参考文献に手を伸ばすという行為に子どもたちを動機づけていくためにはどうすればいいのでしょうか。休日出勤をするのはやめて、そんなことを行きつけのカフェで考えていた土曜日でした。
明日は休日出勤かな。
カフェがいいな。