田舎教師ときどき都会教師

読書のこと、教育のこと

横道誠 著『もしもこの世に対話がなかったら。』より。思いがけずポリフォニー。

 大学教員の仕事がマルチタスクだというのは、ほんとうにそうです。かつての大学では「研究だけやっていて、教育も大学の管理運営もまともにしない」という教員がたくさんいて、そのような時代の大学は、自閉スペクトラム症の特性を持った人にとって天国だったと思います。「大学の先生は変わっている人が多い」とよく言われますが、そういう時代に大活躍していた自閉症特性の強い大学の先生たちのイメージが関係しているのかもしれません。現在の大学はだいぶそうではなくなっていて、まともな常識人でないと採用されにくいです。
(横道誠『もしもこの世に対話がなかったら。』KADOKAWA、2025)

 

 おはようございます。先日、学年の子どもたちを教員養成系の大学に連れて行き、パリ五輪の金メダリストや学生さんたちと共に汗を流してきました。子どもたちにとってはかれこれ5回目となる大学訪問です。なぜ小学生を大学に連れて行くのかといえば、小学校教員の仕事がマルチタスクで忙しすぎるからです。

 

 ほんとうにそうです。

 

 大学教員にだって負けていません。マルチタスクで忙しすぎるからこそ、外部の力を借りて、もっと楽に、もっと楽しく、Win-Winで授業ができたらいいなぁ。そういった見方・考え方を働かせた結果としての、大学の先生とのコラボ授業です。ちなみに「もっと楽に、もっと楽しく」を考慮しないで大学の先生とつながるのはただ単に仕事が増えるだけなのでやめましょう。

 

 意味のわからないことをしよう。

 

 大学の先生との対話から生まれたモットー、その1です。5回目の訪問となったその日、そこには大学生と大学教員と小学生と保護者と小学校教員とパリ五輪の金メダリストと会社員と全国過労死を考える家族の会に入っている人と大学に派遣されている他県の現職教員とそれから授業でコラボしている学習塾の経営者がいて、

 

 思いがけずポリフォニー(多声性)。

 

 なんだか《いろんな声が天使になって自分のまわりで踊っているようで、幸福な気持ちに包まれ》ました。これはその場にいないとなかなかわからないと思います。いったい、横道誠さんが推すところのポリフォニーって、

 

 どんな感じなのか。

 

 

 横道誠さんの『もしもこの世に対話がなかったら。』を読みました。ポリフォニーって、どんな感じなのかということがわかる一冊です。正確には、自助グループで用いられているという「ポリフォニーな対話実践」って、

 

 どんな感じなのか。

 

ブニュエル 昔は私、「私も洋一さんの意見に賛成で、云々」とか「私は洋一さんの言うとおりだと思います」なんて、よく発言してしまっていて、洋一さんから「そうやって声を重ねるのは、ポリフォニックじゃないからやめましょう」って、たしなめられてました。「同じ意見であっても、じぶん自身が立っている別の立場からじぶんならではの声を出しましょう」って言われて。「そうしたら同じ意見でもポリフォニーになるから」って言われましたね。

 

 そんな感じです。同じようなことがあったら、教室でも「そうやって声を重ねるのは、ポリフォニックじゃないからやめましょう」って、私ならではの声でたしなめてみようと思います。

 で、そのポリフォニーな対話実践、いわゆるオープンダイアローグ的な対話実践がどこで行われているのかといえば、先ほど少し書きましたが、ずばり、自助グループです。自助グループというのは《なんらかの障害・困難や問題、悩みを抱えた人が同様な問題を抱えている個人や家族と共に当事者同士の自発的なつながりで結びついた集団。その問題の専門家の手にグループの運営を委ねず、あくまで当事者主体の運営を行う。当事者団体の一つ》です。Wikipedia にそう書かれていたので(たぶん)間違いありません。

 この本には「ゆくゆく!」と呼ばれている自助グループが登場します。そして「ゆくゆく!」で行われているオープンダイアローグ的な対話実践を、学校でいうところの授業記録のように読むことができます。この「ゆくゆく!」を作ったのが、発達障害と依存症の当事者である、

 

 洋一こと横道誠さん。

 

 では、その「ゆくゆく!」では、どのような対話が行われているのか。そしてどうやったらそういった自助グループを作ることができるのか。以下、Xにポストした内容より。今回もまた、これまでの本と同じように、横道さんがその都度リポストしてくださいました。

 

 やさしい。

 

 

 

 

 

 リポスト、ありがとうございます。もしも横道さんの反応がなかったら、横道さんの本をほとんど全て読む、なんてことはなかったかもしれません。他者の応答は相手の振る舞いを変えるということです。だからこそ、対話って、大事。特に、グラウンドルールを決めた上での対話って、

 

 大事。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 教室に他者を入れる。

 

 大学の先生との対話から生まれたモットー、その2です。教室には、同じ年齢の、同じ地域で生まれた子どもたちしかいません。他者がいないということです。そうするとポリフォニーではなく、ハーモニーだったりホモフォニー(等声性)だったりモノフォニー(単声性)になってしまいがちです。だからこそ、教室に他者を入れる。そして、意味のわからないことをして偶然性を生み出す。

 

 異動先でもできるかなぁ。

 

 これから休日出勤です。