田舎教師ときどき都会教師

読書のこと、教育のこと

坂口恭平 著『BAUをめぐる冒険』より。独自の方法で、自分なりの道を見つける。

 どの大学で建築を勉強するか考えてもぼんやりばかりしていたが、シャンカールGに足を踏み入れると、気持ちがすぐに晴れた。僕はこんな空間が好きなんだ、と直接体を通して感じられるからだ。そのとき、僕はひらめいた。

「大学に行くという誰かがつくった道じゃなくて、自分が好きだと感じたこの建築をつくった人に弟子入りしよう」

 そう考えた途端に、創造力が喚起されて、やる気と視野が一気に広がった。その感触は今でも覚えている。「独自の方法で、自分なりの道を見つける」という僕の生き方の原点でもあるのかもしれない。
(坂口恭平『BAUをめぐる冒険』左右社、2025)

 

 おはようございます。先週の日曜日に東京は表参道にある青山ブックセンターに足を運んで、坂口恭平さんの『BAUをめぐる冒険』刊行記念トークライブを見てきました。トークの終盤、坂口さんと一緒に『BAUをめぐる冒険』を共にしたという写真家の石塚元太良さんがサプライズで登場し、即興の対談が始まったり、トークのはじめと中と終わりに坂口さんの弾き語りが挟み込まれたり、授業でいうところの手立てがよく考えられたライブで、大満足。特にラストの弾き語りには震えました。坂口さんのツイートで知って以来、ずっと生で聴きたいと思っていた、

 

 海底の修羅だ~。

 

 

 

 海底の修羅のギター、目下猛練習中です。動画ではアルペジオですが、その日はコードで弾いていたので、これならギター歴が半年に満たない&独学の私にもできるかもしれません。クラスの子どもたち(6年生)が卒業するまでに、

 

 弾けるようになりたい。

 

 

 坂口恭平さんの『BAUをめぐる冒険』を読みました。2009年から2020年までANAの機内誌『翼の王国』で不定期連載されていた坂口さんの建築探訪記を元に書籍化されたものです。坂口さんが訪れた国はインド、フランス、ドイツ、オーストリア、スペイン、ポルトガル、アメリカの7ヶ国。出会ったBAUは、有名なところでいうと、アントニ・ガウディのサグラダ・ファミリア聖堂やル・コルビュジエのサヴォア邸、それからフランク・ロイド・ライトの落水荘など、多数。ちなみにBAUというのは《ドイツで生まれた世界初のモダンデザインの学校「BAUHAUS(バウハウス)」から借りた》ものだそうで、曰く《バウハウスは創造概念だけでなく、教育とは何かという「問い」そのものでもあった》というのだから、教員のみなさんも興味をもつのではないでしょうか。

 

 

 目次は以下。

 

 はじめに
 バウハウスという生命体
 インドと融合するコルビュジエ
 バルセロナ・モデルニスモという土壌
 都市の治療としての建築
 死ぬまでライトは格闘を続ける
 ロサンゼルスで「家」について考えた
 ポルトの街、二人の建築家、石の家
「まがいもの」の建築家
 建築で蘇生した街、ビルバオ
 コルビュジエの建築を求めて、フランス縦断の旅
 コラム
 ・原点
 ・僕の家

 

 読むと、対談の折、写真家の石塚元太良さんが、インタビュアーとしての坂口さんの能力の高さを褒めちぎっていた理由がよくわかります。BAUを通して伝わってくる建築家たちの思いを、坂口さんが解像度高く言語化し、読み手に届けてくれるからです。例えば、「まがいもの」の建築家ことフィリップ・ジョンソンから受け取ったメッセージを、坂口さんは次のように書きます。

 

 フィリップ・ジョンソンは、これまでの歴史を徹底して見つめ、真の建築の姿を見つけようとした。それは人々が生活するためのものではないかもしれない。しかし、生きるため、ではあるのだ。生きるために必要なのは、安住ではない。そうではない、怪しい美しさ。近づけば、死んでしまうかもしれないのに、つい足を向けてしまう美しさ。実用からかけ離れた美しさ。人間はいつもそんな美しさに生きる希望を与えられてきたのではないか。住みやすさを求めるあまり、躍動して生きる喜びを失った現代の私たちに、フィリップ・ジョンソンは無意味にしか感じられないが、なぜか心惹かれてしまう、わけのわからない建築を今もひっそりと提示してくる。人は死んでも、建築は死なない。死なない建築は、人間のためではなく、もっと根源的な人間の祈りから生まれるのだろう。

 

 どうでしょうか。読みたくなりますよね。坂口さんと同様に「独自の方法で、自分なりの道を見つける」ことにこだわっていたであろうフィリップ・ジョンソンのBAUを、巣穴を、見たくなりますよね。気になる人は「フィリップ・ジョンソン」「グラスハウス」と入力して画像検索してみてください。ちなみにフィリップ・ジョンソンの代表作である「グラスハウス」は壁が全てガラスでできている「丸見えの家」で、内と外とに境界がありません。

 

 まるで坂口さんのよう。

 

 坂口さんのファンはそう思うのではないでしょうか。他者との間に境界を設けず、みんな自分だと思っている坂口さん。他者の現実にスッと入り込むことのできる坂口さん。だからこそ優れたインタビュアーになれるわけですが、次の記述にもそういった坂口さんの見方・考え方がよく現れています。

 

 現実の中にもうひとつ新しい現実をつくり出す。僕がパリでのル・コルビュジエ建築の変遷を通じて感じたことはまさにこれだった。

 

 うん、まさに坂口さんだ。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 フィリップ・ジョンソンのBAUから伝わってくる見方・考え方も、ル・コルビュジエのBAUから伝わってくるそれも、もちろんその二人以外のBAUから伝わってくるそれも、まるで坂口さんのよう。そんな風に感じることのできる記述に数多く出会えました。読者は、BAUをめぐる冒険を通して、坂口さんに出会い直すことができるというわけです。坂口さんに出会い直して、やる気と視野を広げてもらうことができる、冒険。

 

 ぜひご一緒に。

 

 行ってきます。