田舎教師ときどき都会教師

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橋爪大三郎 著『面白くて眠れなくなる江戸思想』より。ひきこもれ。

 東アジアの端っこの日本は、変わった国だ。
 鉄砲が持ち込まれ、キリスト教が伝わると、あわててぴったり国を閉ざした。そうやって二世紀あまり、耳と目を塞ぎ、世界の動向がわからないふりをした。
 そんな日本が明治になると、あっという間に近代化した。軍隊も強くなり、日清戦争、日露戦争に勝利し、列強の末席に加わった。世界に例のない奇蹟のような発展である。
 なぜこんなにうまく近代化できたのか。
(橋爪大三郎『面白くて眠れなくなる江戸思想』PHP研究所、2024)

 

 こんにちは。昨日、長女の二十歳の誕生日祝いをしました。クリスマスイブ生まれなので、4日遅れの「誕生日、おめでとう」です。

 

 

長女作(2024.12.28)

 

 昨年もそうでしたが、主役の長女がせっせと料理を作ってくれました。栄養・食物学というか、単純に「食」に興味があって、作ったものを振る舞うということにも興味があって、写真に載せた以外にも手の込んだ料理がいっぱい。

 

 なぜこんなにうまく料理できたのか。

 

 なぜならば子どもの時間を分断しないようにしてきたから。まぁ、意図したことではなく、先人に教えられた上での「後付け設定」みたいなものですが。ここでいう先人とは、漫画家のハルノ宵子さんと作家の吉本ばななさんの父親である思想家の吉本隆明(1924-2012)のことです。曰く《ぼくには子どもが二人いますが、子育ての時に気をつけていたのは、ほとんどひとつだけと言っていい。それは「子どもの時間を分断しないようにする」ということです》云々。

 

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 冒頭の引用にある問いに戻ります。なぜこんなにうまく近代化できたのか。なもうおわかりでしょう。なぜならば江戸時代に鎖国していたから。別言すると、

 

 ひきこもっていたから。

 

 ひきこもることで、ハルノ宵子さんでいうところの「漫画」や吉本ばななさんでいうところの「小説」、そして長女でいうところの「料理」に相当する自分の土台となるものを日本は形づくることができたというわけです。その土台のことを吉本隆明は「価値」と表現し、次のように言います。曰く《自分の時間をこま切れにされていたら、人は何ものにもなることができません》云々。1603年から1868年までの265年間をこま切れにされなかったからこそ、日本はオリジナルの「価値」をもつ「変わった国」になれました。その「価値」を体現しているのが、江戸思想。橋爪大三郎さんいうところの、

 

 面白くて眠れなくなる江戸思想です。

 

 私は思う。江戸時代の人びとは、自分なりの思索を深め、やがて訪れる新しい時代に備えていた。でもそれは、誰が主役かという話ではない。日本全体がチームとして頑張っていた。日本にしかできないやり方で、世界に通用する、大事な課題と格闘していた。これをひとまとめにして、「江戸思想」と呼ぼう。

 

 

 橋爪大三郎さんの『面白くて眠れなくなる江戸思想』を読みました。中高生向けに書かれた本ですが、プライベートで参加しているオンラインの読書会の課題図書になっていて、今夜、その読書会があるんです。楽しみだなぁ&2学期の江戸時代の授業(小学6年生の社会科)の前に読みたかったなぁ&3学期になったら復習がてらこの本に出てくる12人を紹介したいなぁ。12人というのは、徳川光圀、藤原惺窩、林羅山、中江藤樹、熊沢蕃山、契沖、伊藤仁斎、荻生徂徠、富永仲基、賀茂真淵、本居宣長、上田秋成の12人です。ちなみに小学校の教科書に出てくるのは、たしか、

 

 本居宣長のみ。

 

 戦前の修身の教科書には、真淵が本居宣長に、古事記の研究はお前に頼んだぞ、とあとを託す「松坂の一夜」のエピソードが載っていた。だから誰でも知っていた。
 でも戦後、忘れられた真淵。どんな人物だったのか、しっかり見届けよう。

 

 機械的に、或いはテスト対策的に「本居宣長=国学」みたいな知識を与えることはできても、「松坂の一夜」のエピソードのことや、賀茂真淵のこと、本居宣長が《神話世界がリアルに存在したことにこだわ》り、その神話世界と現代をつなげるのが天皇であり、さらに現代を神話世界とつなげて秩序づけるのが尊皇思想であったということなどを、おもしろがりながら小学生に語ることのできる教員はほとんどいないような気がします。なぜいないのか。なぜならば長時間労働によって《自分の時間をこま切れにされてい》るから。だから切にこう思います。私たち教員に、

 

 ひきこもる時間をください。

 

 

 契沖もこうした人びとに交じって、自分を信じ、生活の困難のなかで誇りを失わず、学問に一生を捧げた。生命を削って書物を書いた。
 こうした先人らの尊い営為のうえに、日本の文化と伝統が成り立っている。いまを生きるわれわれは、彼らに報いるわけにはいかない。だがせめて彼らのことを覚え、感謝を忘れないようにしようではないか。

 

 契沖、初めて知りました。契沖だけでなく、『面白くて眠れなくなる江戸思想』には、知らないことばかり書かれていました。勉強不足が身にしみます。感謝は知性。知らなければ、感謝することもできません。このブログで何度も言及している、近内悠太さんの『世界は贈与でできている』に《感謝は、差出人ではなく、受取人の想像力から始まる》という名言があります。では、受取人としての想像力を育むためにはどうすればいいのか。シンプルです。勉強すればいい。近内さん曰く《具体的に言えば、歴史を学ぶことです》云々。だから切にこう思います。私たち教員に、

 

 ひきこもる時間をください。

 

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 ちなみに今夜参加する読書会で、昨年の大賞(何の権威もない本を読む会大賞)に選ばれたのが、近内さんの『世界は贈与でできている』でした。課題図書が『世界は贈与でできている』だったときには、近内さんも参加してくれて、嬉しかったなぁ。読書会には、学生時代に橋爪大三郎さんの薫陶を受けたというメンバーもいることから、いつか橋爪さんにも参加してほしいなぁ。

 

 今日はこれから大掃除です。

 

 がんばります。