田舎教師ときどき都会教師

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勅使川原真衣 編著『「これくらいできないと困るのはきみだよ」?』より。変わり者を、学校に。

川上 それから、教師を育てるシステムが果たして理にかなったものになっているか。あたかも、「こういう研修を積んでいけば、いい先生が育ちます」というふうな立て付けになっていますが、それ自体もどうなのかとも思うし。研修のプロセスも現状では一通りですが、もっと多様だといいなと思うんですよね。何通りも道があって。
勅使川原 一元化しないのが大事ですよね。本当そう思う。間があるということとか。
(勅使川原真衣 編著『「これくらいできないと困るのはきみだよ」?』東洋館出版社、2024)

 

 こんにちは。一元化しないのが大事って、本当そう思う。公的な研修より、勅使川原さんの本のイベントに参加した方が、

 

 よほど勉強になる。

 

 強制ではないから主体的にもなれます。かつて横浜市の中学校で校長職に就いていた平川理恵さんが、当該市の公的な研修であるA研、B研、市研について「なくしたい」と著書に書いていました。同意です。教師を育てるシステムも、子どもを育てるシステムも、もっと多様でいい。っていうか、勝手に学ぶので、

 

 放っておいてほしい。

 

 

 昨夜、勅使川原さん言うところの「変わり者」たちで集まり、学校や教職について真摯かつ愉快に語り合ってきました。これまた公的な研修より、

 

 よほど勉強になる。

 

私的な研修(2024.12.27)

 

 変わり者の話はおもしろい。

 

 勅使川原さん編著『「これくらいできないと困るのはきみだよ」?』がおもしろいのも、そして公的な研修よりよほど勉強になるのも、勅使川原さんと真摯かつ愉快に語り合っている相手の皆さんが、社会全体でみると相当な「変わり者」だからかもしれません。野口晃菜さん然り、竹端寛さん然り、武田緑さん然り、川上康則さん然り、そしてもちろん、

 

 勅使川原真衣さん然り。

 

 

 勅使川原真衣さんが編著者を務めている『「これくらいできないと困るのはきみだよ」?』を読みました。次々と本を出し、飛ぶ鳥を落とす勢いで読者のハートを摑みまくっている勅使川原さんと、教育や福祉の分野で活躍している4人の「変わり者」たちとの対話集です。

 

 目次は以下。

 

 対談1 声を聞かれるということ(野口晃菜)
 対談2 学校でケアし、ケアされるということ(竹端寛)
 対談3 学校がそうせざるを得ない合理性を追って(武田緑)
 対談4 言っても癒えない? ―― 学校という職場で(川上康則)

 

 対談1では、《先生たちがいろいろなところへ行って、いろいろな人と出会って、自分と異なる価値観と出会うことが楽しいと先生が思える》ような環境を用意していくことが大事だという、インクルーシブな社会づくりで知られる野口さんの見方・考え方に膝を打ち、対談2では、福祉やケアについて研究している竹端さんの《勅使川原さんみたいな外部者が入ることによって、何かを語り直したり、思い出したりする。硬直したストーリーをひらいていくために。学校の先生にはそういう機会が決定的に欠けているかもしれない》という見方・考え方に首がもげるくらいに頷きました。

 対談3では、学校コンサルタントとして知られる武田さんの《日本は態度主義なんだな》&《本当に主体性を求めるのだったら、自由度をもっと上げないと出てこない》という見方・考え方に再び膝を打ち、対談4では、現職教員である川上さんの《もし自分が目指す子ども像を考えるなら、「疑いたいと思ったらもっと疑おう」とか、伸ばす、高める、広げるばかりでなくて、「立ち止まったり、周りを見たり、違うなと思ったら違うんじゃないのと言っていい」というような内容にすると思います》という見方・考え方に再び首がもげるくらいに頷きました。つまり、

 

 学校には、他者が必要ということ。

 

 換言すると、変わり者が必要ということ。以前からそう思っていましたが、この本を読んだことで改めてそう感じました。学校をひらいて、社会全体でみると相当な「変わり者」ということかもしれない人と先生が出会わない限り、これからも「これくらいできないと困るのはきみだよ」なんていう能力主義的な言葉を口にしてしまう先生は後を絶たないでしょう。

 

 構造的に、です。

 

 

 やさしい。2学期の終業式の日に通知表を渡しながら子どもたちにも話しましたが、国語算数理科社会よりも、

 

 やさしさや気遣いが大事。

 

 本当そう思う。