田舎教師ときどき都会教師

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横道誠 著『「心のない人」は、どうやって人の心を理解しているか』より。教員に勧めたい。

 低学年くらいのときは、たいした思い出がない。たまたま一緒にいる子と遊んでいるという感じかな。自閉スペクトラム症的なエピソードはちょこちょこあって、場の空気を凍らせたりとかは、ありました。人の心がないっていうか。道徳の授業で、車に撥ねられた人を目撃した場合に関するお話が出てきて、あなたがその立場になったら、どういうふうに感じるか、まわりの子と話しあってみましょうという課題。みんなは「かわいそう」とか、「大丈夫? って声をかけます」とかと言ってるなか、私ははっきり手を挙げて、「じぶんじゃなくて良かった」って言いました。クラスが凍ったのがわかって、「あ、しまった。それが正解なのか」って思いました。二年生くらいのことです。
(横道誠『「心のない人」は、どうやって人の心を理解しているか』AKISHOBO、2024)

 

 こんばんは。クラスが凍るような発言をした児童がいたときに、担任がそれをどう受け止め、どう返すのか。あるいはスルーするのか。それってけっこう大事な問題だと思うのですが、どうでしょうか。正解がないはずの道徳の授業で「あ、しまった。それが正解なのか」と思わせてしまうクラスの雰囲気はOKなのかNGなのか。発言の内容や文脈に依存するとはいえ、なかなかに難しい問題です。そして、難しい問題だからこそ、自閉スペクトラム症者の生活史を学んだことのある担任とそうでない担任とでは、応答の質が大きく異なるだろうなって、そう思います。だから、副題に「自閉スペクトラム症者の生活史」とある横道誠さんの新刊『「心のない人」は、どうやって人の心を理解しているか』を、

 

 教員に勧めたい。

 

 

 ここでいう「ふつう」といのは「ふつうは廊下の掲示物を学年で揃えるだろう」とか「研究授業を観るときはふつうスーツだろう」とか「宿題を出すのはふつうだろう」とか「ふつうは飲み会に参加するだろう」とか、そういった類いの「ふつう」です。

 

 本当に「ふつう」なのでしょうか。

 

 

 食あたりではなく「ふつうあたり」で、ここ数日体調を崩していました。病は気からとはよく言ったものです。言い換えると、

 

 病は心から。

 

 横道さんの新刊のタイトルにある「心のない人」は、自閉スペクトラム症者のことを指します。もしも「病は心から」が本当であれば、自閉スペクトラム症者には心がないのだから、病には罹りにくいはず。にもかかわらず、自閉症スペクトラム症者は健康的な人の平均寿命と比べて平均18年も寿命が短いという研究結果があるのはなぜでしょうか。おそらく、横道さんが「心のない人」などという強い言葉を選択したのは、やむにやまれぬアイロニーでしょう。自閉スペクトラム症者には心がないだって?

 

 そんなわけないだろう。

 

 

 横道誠さんの『「心のない人」は、どうやって人の心を理解しているか』を読みました。自閉スペクトラム症者7人へのインタビューを通して、仮説の検証に挑んだ作品です。仮説というのは、自閉スペクトラム症者が、定型発達者に「心のない人」と思われてしまうマイナスを、小説やアニメ、映画やテレビドラマ、ポップミュージックなどの創作物を活用することによって、克服、つまり人の心を理解しようとしているのではないかという仮説です。目次は以下。

 

 はじめに
 序章
 第1章 HOTASさん
 第2章 まるむしさん
 第3章 ナナトエリさん
 第4章 ヨシさん
 第5章 ぽん子さん
 第6章 八坂さん
 第7章 リナさん
 終章 終章
 おわりに

 

 仮説の検証も興味深かったのですが、それぞれの生活史が丸ごとおもしろい(!)と思いました。で、例によってひとつの章を読み終えるたびに、感想を添えて「X」にポストしました。そして例によってポストするたびに、これまでと同様に、横道さんにリポストしていただきました。読者冥利に尽きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第1章~第7章は、7人の自閉スペクトラム症にインタビューを行い、彼ら彼女らの生活史を綴った上で、マコトAとマコトBが会話形式でコメントをつけるという構成になっています。例えば第5章のぽん子さんのインタビューが終わった後には、次のような会話がなされています。

 

マコトB ぽん子さんもひとり遊びが大好きな子だったんだね。地球人類は9割以上が定型発達者だから、ひとり遊びを好む自閉スペクトラム症児が浮いて目立ってしまうけれども、もし自閉スペクトラム症児が9割以上の世界があったら、ひとり遊びが不得意な一割以下の子どもたち(私たちの世界で言う「定型発達者」)が発達障害を診断されることになるだろうね。
マコトA うん。数が多いか少ないかで、正常か異常かが決まってくるからね。そのことはもっと議論されても良いよね。

 

 もしも自閉スペクトラム症児が9割以上の世界があったら、例えば通級指導教室に通うのはグループ(大人でいうところの派閥)をつくりがちな定型発達の児童になるというわけです。ちなみにその「もしも」の世界については、横道さんが『海球小説』に描いているので、

 

 ぜひ。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 いちばんリポスト&エンゲージメントが多かったのは、終章を読んだ後に投稿した「《定型発達の人にどう接してほしいかといえば、自由にさせてほしいということですね》とあって、学校の揃える文化(掲示物を揃える、授業の手法を揃える、等々)を変えるためには、定型発達ではない教員が必要だと思った」というポストで、学校の「ふつう」をなんとかしたい、なんとかしてくれ、と感じている大人が想像している以上にたくさんいるのだろうなと思いました。そんなわけで、

 

 求む、定型発達ではない教員。

 

酒は百薬の長(2024.11.28)

 

 雄町の酒米を使った日本酒を好む人たちのことをオマチストと呼ぶそうです。最近知りました。一昨日の夜、「病は心から」&「酒は百薬の長」と心の中でつぶやきつつ、帰路に立ち飲み屋に足を運んだところ、オマチストが喜びそうな日本酒が置いてあったので、一杯。が、いまだ体調がよくありません。通知表の所見が控えているのに。参観日も控えているのに。その他もろもろたくさん控えているのに。

 

 病は心から&酒は百薬の長。

 

 本当かな。