学生に好かれるために教師をしているのではない。これは、幼稚園や小学校の先生でも同じである。子供に好かれることを動機や目的としていたら、先生として失格だ、と僕は考える。親も同じである。子供に好かれるために子育てをしているのではない。もちろん、嫌われると、ますますアドバイスを聞いてもらえなくなるから、適度に好かれた方がやりやすいということはあるけれど、それが主目的ではない、ということ。
(森博嗣『妻のオンパレード』講談社文庫、2023)
こんばんは。では、何が主目的なのかといえば、それはもちろん《教えることで、社会にとって有意義な人材が育つことが主たる目的》です。妻のオンパレードだなんて、読み方によってはちょっと不道徳な匂いのするタイトルをつけながらも、さすがは名古屋大学の元教授です。大学の教授だろうが、小学校の先生だろうが、
目的は同じ。
森博嗣さんの『妻のオンパレード』読了。学生にはテストもレポートも課さず、授業後に質問を提出させ、その内容で成績をつけていたとのこと。曰く《人間の能力とは、「答える」ことではなく「問う」ことにある》から。目から鱗のオンパレード。自分の生き方を問い直したくなるエッセイでした。#読了 pic.twitter.com/c4dGxgJkwq
— CountryTeacher (@HereticsStar) November 26, 2024
目的は同じだからこそ、小学校でも「問い」を大切にしたいところです。例えば、なぜ、以下のブログ記事に5000以上ものアクセスが集まったのか。森博嗣さんのコアなファンがたくさんいて、彼ら彼女らがブックマークしてくれたから、というのが今のところの仮説なのですが、どうでしょうか。そうでなければ、今週のはてなブログランキング〔2024年11月第4週〕も説明できません。
堂々の第12位!
仮説を検証するために、森さんの本をもう一冊読んで、ブログに書いてみようと思いました。
いざ、地元の本屋へ。
森博嗣さんの『妻のオンパレード』を読みました。棚に並んでいた森さんのたくさんの本の中から、いちばん読みやすそうなもの、つまり薄かったものを選びました。読んでいるときに知ったことですが、この『妻のオンパレード』は、クリームシリーズ(エッセイ)と呼ばれるシリーズものの1冊(12作目)なんだそうです。つまり、他にもたくさんあるということ。クリームシリーズだけではありません。巻末に載っている「森博嗣著作リスト」には、S&MシリーズとかVシリーズとか四季シリーズとかGシリーズとか短編集とか、その他もろもろ、さすがは印税収入が20億円を超える作家だなって、納得できる量の既刊本がズラリ。そんな人気作家のことを、なぜ私は今までよく知らなかったのだろうという問いはさておき、全100編も収録されているこのエッセイ集の魅力は、何といっても、
違い、でしょう。
ダバダ~。森さんの人生の前半は《周囲の人たちの誰もが自分とは全然違っていることを思い知らされる体験だった》そうです。《とにかく、みんな違っている》と感じていたとのこと。『お金の減らし方』を読んだときにも思いましたが、そしてブログにも書きましたが、やはり、ニューロマイノリティっぽい。ここでも繰り返しますが、ニューロマイノリティが良いとか悪いとか、そういう話ではありません。違いがあるからこそ「豊か」だという話です。
違いがわかる男。
そんな「違い」が普通のものであり、「平均」に合わせて流されることに抵抗しようとする「個性」を、誰もが持っていることを、ときどき思い出そう。「違い」や「ばらつき」こそが、人類の財産であり、社会の豊かさにほかならないのだから。
「違いこそが生きる意味です」って、かつてお世話になった国語の大家(小学校の先生)がそう話していたことを思い出します。「平均」に合わせることなく生きてきた森さんは、平均的な小学校の教員がイメージする「目指す児童像」或いは「目指す大人像」みたいなものとは、
やはり、違います。
ただ、メールやラインで友人と話をするような暇はない。人と会って、一緒に食事をしたり酒を飲むような暇もない。そういった親睦は、人生から切り捨てた。何故かといえば、それらが非生産的すぎると感じたからだ。
とか、
僕は成人してから、60歳になるまで薬を一切飲まなかった。風邪薬も頭痛薬も。そしてこの間、一度も医者に行かなかった。
とか、
特に、この5年ほどは、お店というものに入らないし、ラーメンもピザもカレーも店では食べていないし、模型店へも行っていない。書店にも入っていない。15年くらいライブに行っていない。スポーツ観戦は、30年以上していない。ほとんど、他人に会わないし、話もしない。もちろん、会いたい、話したいと思うこともなくなった。
とか、著しい「違い」のオンパレードです。人生における他者の位置づけが、平均的なそれとは全く違うんです。だって《人と会って、一緒に食事をしたり酒を飲むような》親睦って、クラスの子どもたちにもいつか味わってほしいって、そう思うじゃないですか。会いたい、話したいって、人間の根源的な欲求だと思うじゃないですか。
思わないらしい。
先日、蔵元さん&陶芸家の話を聞きながら日本酒を飲む機会がありました。非生産的すぎるかもしれませんが、楽しすぎるとも思いました。小学6年生の保健の授業で学習する「病気の予防/飲酒と健康」について、「どうしても『害』が強調されてしまうんですが、子どもたちにはどう伝えればいいと思いますか?」と聞いてみたところ、「ハサミと同じで、要は使いようって話してください」とのこと。つまり、森さんのユニークな見方・考え方も、
要は使いよう、ということでしょう。
おやすみなさい。