他者に認められたい、という承認欲求が、このネット社会ではやや加熱しているように観察される。現代の子供たちは、相対的に大勢の大人に保護されている。しかも、褒めて育てる教育法が主流となっているから、幼い頃から、とにかく褒められるだろう。なにをしても、周囲の大人が即座に反応してくれる。オーバに手を叩いてくれるし、可愛いね、上手だね、凄いねとべた褒めされる。結果的に、そんな好意的な反応をもらえるものが「社会」だ、と思い込む人間を育てているのである。
大人になって一人暮らしを始めると、これが一転することになる。仕事場では、誰も褒めてくれない。多くの仕事は、相手を褒める側に立つものである。頭を下げ、相手の機嫌を取らなければならない。子供の頃とのギャップが甚だしい。
(森博嗣『お金の減らし方』SB新書、2020)
こんばんは。上記の《オーバに手を叩いてくれる》というところは「オーバーに」の間違いではないか。そう思いましたがそのまま引用しました。まぁ、それはさておき、今これを書いている夜と、
昨夜とのギャップが甚だしい。
工学者で小説家の森博嗣さんは、こういう写真を撮ったりアップしたりすることは絶対にしないそうです。曰く《もっとも、僕はその点について、少し極端かもしれない》と前置きしつつ《写真を撮らなくても、美味しいものは、美味しく食べることができる。その美味しさを人にわかってもらう必要はない。自分が美味しいと感じることが、美味しさのすべてではないか。楽しさも、まったく同じ。自分が楽しいと感じることが、非常に重要なのだ。人に見てもらわないと楽しめないような感覚になっているとしたら、それは、僕からみれば異常である》とのこと。先週の学芸会を思い出します。6年生の劇の中に「立場が変われば、見える景色もがらりと変わる」という台詞があるんですよね。森さんからみれば、帆立のクリームも鮮魚ポワレもいちごのヴァシュランも、
異常なのかもしれない。
でも、まぁ、異常でもいいやって思えるくらい、昨夜の宴は楽しかった。20代から90代まで、老いも若きもみなさん知的で、好奇心のかたまりで、子ども心を残したまま「大人にもなった」感じで、さらに、堀澤麻衣子さんというシンガーソングライターが歌う「唱歌」を生で聴くこともできて、オーバーに手を叩きたくなるくらい楽しかった。
その楽しさを人にわかってもらう必要はないし、自分が楽しいと感じることが、楽しさのすべてである(!)という森さんのような見方・考え方を働かせることもできるけれど、好奇心をもって生きている大人の姿を見せることこそが、教員のいちばんの仕事であると常日頃からそう思っているので、今日、クラスの子どもたちに自慢しちゃいました。だから、森さんにも自慢しちゃってほしい。自宅の敷地に線路を敷いて、毎日機関車を運転して庭を巡っているって。印税収入が20億円を超えているって。
えっ?
昨夜の宴の主役は好奇心をもって生きることの大切さをいつも口にしています。
森さんも然り。
好奇心というのは、子供のときは誰でも持っていたはずだ。そもそも、人間の一番の特長は、この好奇心という能力である。どんな動物よりも、人間は好奇心が強い。これによって、地球上でここまで繁栄してきた。あらゆる科学、そして文化が、この好奇心によって生まれたのだ。
二千坪以上あるという森さんの自宅に敷かれている、おそらくは長~い線路も、好奇心によって生まれたもの。お金は減っても、
好奇心は減らしたくないものです。
森博嗣さんの『お金の減らし方』を読みました。このブログで森さんの本を紹介するのは初めてです。タイトルは忘れてしまいましたが、かなり前に一冊か二冊、森さんの本を読んだことがあって、そのときはピンとこなかったんですよね。もっと読みたい(!)とは思わなかったというわけです。しかし今回、変わったタイトルに惹かれて思わず購入。大正解でした。目次は以下。
第1章 お金とは何か?
第2章 お金を何に使うのか?
第3章 お金を増やす方法
第4章 お金がないからできない?
第5章 欲しいものを買うために
第6章 欲しいものを知るために
森さんの自伝のように読めて、おもしろいんです。勤め先の大学の給与が低かったので、儲かるバイトはないかと思い、小説を書いてみた。大学で働きつつ、睡眠時間を半分にして書いてみたら、1週間ほどで書き上げることができた。そして、それが本になった。2作目も3作目も本になった。次々と本になっていった。やがて印税収入が20億円を超えていった。しかし生活は、
変わらなかった。
えっ、変わらない(?)。どういうこと(?)と思ったみなさん、ぜひ購入して読んでみてください。ヒントは「欲しいものは買う。必要なものは買わない」という哲学。人生が変わるお金の話が読めること間違いなし。さらに、もしかしたらニューロマイノリティ(?)という疑問が浮かぶことも間違いなし。
根拠は以下。
たとえば、人から褒めてもらえないと嬉しくない、という人間になってしまったら、満足するために他者の協力が必要になる。大勢でわいわいがやがやする時間だけが楽しい、と感じるようになってしまったら、大勢がいないところ、一人だけのときには楽しめない人間になる。こんな状況を、今は「孤独」などと称して恐れているようだ。
他者は関係がない、と思って良い。楽しさを感じるのは、あなたの感性である。これは非常に個人的なものであり、いわば、自分自身で作り出したイメージによって生まれる意識なのである。
どうでしょうか。ニューロマイノリティっぽくないでしょうか。これ以外にも、例えば《外食なんて一切しない。したいとも思わなかった》とか、《毎日、おにぎりだけで良い》とか。ちょっと、その道の専門家である、
横道誠さんに訊いてみたい。
森博嗣さんの『お金の減らし方』読了。題名に惹かれて読んだら頗る面白かった。20代のときに読むべき本。作家になった経緯と《欲しいものは買う。必要なものは買わない》という考え方が興味深い。解説担当の古市憲寿さんは天才と形容している。ニューロマイノリティかもしれない、と思った。#読了 pic.twitter.com/dK24ObDZQS
— CountryTeacher (@HereticsStar) November 21, 2024
もちろん、ニューロマイノリティだから良いとか悪いとか、そういったことが言いたいのではありません。横道誠さんの『海球小説』に倣えば、言いたいのは「この本は、地球が海球になるくらい、見え方が変わって、おもしろいですよ」ということです。そもそも、普通だったら『お金の増やし方』ですから。これまでに出会ってきたニューロマイノリティの子どもたちはしばしばこう口にしていました。
普通って、何?
昨夜の宴のときに私の隣に座っていた若者は、ベーシックインカムを社会に実装するためにはどうすればいいのかということを考えている(研究している?)企業で働いていると話していました。京大卒とのこと。頭も心もルックスも全て兼ね備えている若者でした。もしもベーシックインカムが実現したら、お金の増やし方も減らし方も考えなくてよくなるのでしょうか。
どうなのだろう。
おやすみなさい。