田舎教師ときどき都会教師

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サン=テグジュペリ 著『人間の土地』より。この世に当然の贅沢は一つしかない。

ある一つの職業の偉大さは、もしかすると、まず第一に、それが人と人を親和させる点にあるのかもしれない。真の贅沢というものは、ただ一つしかない、それは人間関係の贅沢だ。
(サン=テグジュペリ『人間の土地』新潮文庫、1955)

 

 こんばんは。上記の引用の訳者は、フランス文学者の堀口大學(1892-1981) です。芥川龍之介(1892-1927)と同い年。90年代に一世を風靡したきんさんぎんさん(成田きん、蟹江ぎん)とも同い年。要するに、

 

 かなり昔の人です。

 

 同じ文章を1968年生まれのフランス文学者・渋谷豊さんが訳すと次のようになります。

 

職業というものの尊さは、何よりもまず、人と人を結びつけることにある。この世に当然の贅沢は一つしかない。人間の関係という贅沢がそれだ。

 

 サン=テグジュペリ『人間の大地』(光文社古典新訳文庫、2015)より。タイトルも変わっていることに気がついたでしょうか。土地から大地へ。どちらがしっくりくるかといえば、それはもちろん、

 

 大地です。

 

 引用箇所も、渋谷さんに軍配が上がるような気がします。二冊とも持っているという三浦英之さんが「渋谷豊 訳」を採用していることも、その証左でしょう。もしも三浦さんが「堀口大學 訳」を採用していたとしたら、「読もう!」とはならなかったかもしれません。

 

 

 三浦さんの『沸騰大陸』に出てくる『人間の大地』があまりにも印象的だったので、すぐに本屋に走り、きちんと確かめもせずに『人間の土地』を買ってしまいました。帯に宮崎駿さんが映っていたので、これだな、と。

 

 違いました。

 

 

 違いましたが、訳者によって随分と雰囲気が異なるということを学べたし、宮崎駿さんの解説「空のいけにえ」を読むこともできたので、怪我の功名です。それにしても、空のいけにえ(=犠牲)って、どうです(?)、興味深いでしょう(?)、読みたくなるでしょう(?)、ぜひ。

 

 

 サン=テグジュペリの『人間の土地』を読みました。飛行士だった著者の実体験をもとにした8つのエピソード(「定期航空」「僚友」「飛行機」「飛行機と地球」「オアシス」「砂漠で」「砂漠のまん中で」「人間」)が収録されているエッセイ集です。読んでいる途中、三浦さんが『沸騰大陸』にこの本を引用した理由が何となくわかったような気がしました。

 

 人間とは何か?

 

 サン=テグジュペリも三浦さんも、同じ問いに動機づけられている。そんなふうに思えたからです。エピソードの最後のタイトルが「人間」となっているのも示唆的です。

 

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 ちなみにいちばん心を惹かれたのは、8つのエピソードではなく、冒頭(「定期航空」の前)に置かれたパラグラフです。わずか2頁に収まる分量ですが、これがすこぶるよい。次のように始まります。

 

 ぼくら人間について、大地が、万巻の書より多くを教える。理由は、大地が人間に抵抗するためだ。人間というのは、障害物に対して戦う場合に、はじめて実力を発揮するものなのだ。

 

 自然との相克によって人間の本質が明らかになるという人間観。

 

 この素晴らしいオープニングに「大地」という訳語を当てているのに、なぜ『人間の大地』ではなく『人間の土地』なんだというツッコミはさておき、飛行機の墜落が珍しくなかった時代にあえて「飛行士」という職業を選んだ著者らしい人間観といえるのではないでしょうか。言い換えると、

 

 星の王子さまらしい人間観。

 

 ぼくは、アルゼンチンにおける自分の最初の夜間飛行の晩の景観を、いま目のあたりに見る心地がする。それは、星かげのように、平野のそここに、ともしびばかりが輝く暗夜だった。
 あのともしびの一つ一つは、見わたすかぎり一面の闇の大海原の中にも、なお人間の心という奇蹟が存在することを示していた。あの一軒では、読書したり、思索したり、打明け話をしたり、この一軒では、空間の計測を試みたり、アンドロメダの星雲に関する計算に没頭したりしているかもしれなかった。また、かしこの家で、人は愛しているかもしれなかった。

 

 どうでしょうか。星の王子さまっぽくないでしょうか。この続きも素晴らしいので、続けて紹介したいところですが、ぜひ手にとって読んでほしいので割愛します。それにしても、この冒頭のパラグラフ、渋谷豊 訳ではどうなっているのか、めちゃくちゃ気になります。

 

 買おうかな。

 

 8つのエピソードをひとつも紹介しないのもあれなので、ひとつだけ。以下は「砂漠のまん中で」より。乗っていた飛行機が砂漠に不時着し、行方不明状態で死にかけたときのエピソードです。

 

 ぼくの喉は相変わらずふさがっている、これは悪い徴候だ、そのくせ、気分は、いささかよいほうだ。ぼくは、落ち着いている。ぼくは、あらゆる希望の彼岸で、落ち着いている。ぼくは、不本意な旅をしている。星の下に、奴隷線の甲板につながれて。そのくせ、どうやらぼくは、さほどにふしあわせではないらしい……。

 

 砂漠をさまよい歩いているときの描写です。国語の授業だったら、子どもたちに心情曲線を描くよう促すかもしれません。

 

 そして、こう言います。

 

 複雑だよねって。矛盾してるよねって。サン=テグジュペリも《人間にあっては、すべてが矛盾だと、人はよく知っている》と「人間」に書いているよって。矛盾しているからこそ愛しい存在なんだよねって。それから、冬の北極を舞台にした、角幡唯介さんの『極夜行』も読むといいよって。

 

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 角幡さんもまた、自然との相克によって人間の本質が明らかになるという人間観をもっているような気がします。三浦さんの場合は、

 

 人間と社会との相克、かな。

 

学芸会を終えて、ひとりお疲れさま会(2024.11.16)

 

 先週の金曜日と土曜日は学芸会でした。6年生は人間と社会との相克を描いた法廷劇を行い、その最後に合唱「いのちの歌」を披露しました。練習のときから思っていたことですが、歌詞にある《本当にだいじなものは隠れて見えない》や《ささやかすぎる日々の中にかけがえない喜びがある》って、星の王子さまみたいですよね。

 

 本当に大切なものは目に見えない。

 

 おやすみなさい。