まあ、そりゃ学校では推しの語り方、なんて授業はありませんよね。当然です。
でも、考えてみてください。読書感想文の宿題はありましたよね。
なんでもいいから一冊本を選んで、感想を夏休み中に書いてきてね、と学校の先生から言われたことがあるはずです。でも、どうやって読書感想文を書いたらいいのか、その方法論は学校ではほとんど教えてくれません。
(三宅香帆『「好き」を言語化する技術』ディスカヴァー携書、2024)
こんにちは。4年、5年、6年と持ち上がっているうちのクラスには「推し活」という係があります。推し活係です。
先生、推しについて語る係をつくりたいです!
1年前か2年前にそう言われたときには、推しかぁ、今どきだなぁと思ったものです。そして、推し活係の子どもたちが推しにまつわるエトセトラを Google スライドにまとめて熱く語る姿に、これぞまさに「好きこそものの上手なれ」だなぁと思ったものです。
この本、推します!
先日、クラスの子が猪瀬直樹さんの『太陽の男 石原慎太郎伝』を読んでいて驚きました。そして嬉しくなりました。担任が推している作家が書いたものを、クラスの子が読んでいる。推し活冥利に尽きます。もとい、
教師冥利に尽きます。
クラスの子(小6)が、猪瀬直樹さんの『太陽の男 石原慎太郎伝』を読んでいたので、嬉しくなって『ペルソナ 三島由紀夫伝』と『ピカレスク 太宰治伝』と『マガジン青春譜 川端康成と大宅壮一』も勧めた。調子に乗って『昭和16年夏の敗戦』と『昭和23年冬の暗号』も勧めた。教師冥利に尽きる。
— CountryTeacher (@HereticsStar) November 8, 2024
ちなみに今回紹介する三宅香帆さんの『「好き」を言語化する技術』も、クラスの子が、しかも推し活係の子が教室で読んでいたんですよね。以前、子どもたちに三宅さんの『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』の魅力について熱く語ったことがあったので、思わず「えっ、それ三宅さんの本じゃない?」って、オタク仲間のようなノリで聞いてしまいました。残念ながら、私の熱い語りが三宅さんという書き手にその子の関心を向かわせたわけではなく、
その子曰く「タイトルに惹かれました」云々。
もしかしたら業を煮やしたのかもしれません。推し活係に必要な《推し語りのために必要な技術》を、私が教えなかったからです。
三宅香帆さんの『「好き」を言語化する技術』を読みました。教室でも教えたくなる《推し語りのために必要な技術》が網羅されている一冊です。読めばすぐにわかりますが、著者は間違いなく、
言語化推し。
三宅香帆さんの『「好き」を言語化する技術』読了。他人の感想を見ないこと、言語化とは細分化のこと、等々。言語化する技術に加えて、言語化することがめちゃくちゃ「好き」なんだろうなぁということが伝わってくる一冊。同著者の『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』と合わせて、ぜひ。#読了 pic.twitter.com/bmrsU63JFM
— CountryTeacher (@HereticsStar) November 11, 202言語化すると言語化すると
目次は以下。
はじめに
第1章 推しを語ることは、人生を語ること
第2章 推しを語る前の準備
第3章 推しの素晴らしさをしゃべる
第4章 推しの素晴らしさをSNSで発信する
第5章 推しの素晴らしさを文章に書く
第6章 推しの素晴らしさを書いた例文を読む
おまけ 推しの素晴らしさを語るためのQ&A
あとがき
第1章のタイトルがいいですよね。村上春樹さんの『走ることについて語るときに僕の語ること』みたいです。推しについて語るときに僕の語ること。著者は言います。推しについて語るときに大切なのは、
自分の言葉をつくること。
ただそれだけだと。妄想力が必要とか、細分化が大事とか、他人の言葉の影響から自分を守らなければいけないとか、その他もろもろたくさん書いてありますが、とにかく出発点にあるのは、
自分の言葉をつくること。
繰り返しますが、自分言葉で自分の好きを説明することが大切なんです。他人の言葉によるものじゃ、意味がない。
――私がこんなに何度も「他人じゃなくて自分の言葉を使うんだ」と伝えているのは、これがかなり大切なポイントだからです。
他人じゃなくて、自分の人生を生きるんだ。
そんなふうにも読めます。自分の人生を生きるためには、自分の言葉で語らなければいけない。他人の言葉で語っていたら、他人の人生を生きることになってしまう。だからこそ、自分の言葉をつくるという技術が《かなり大切なポイント》になる。
とはいえ、それが「技術」というのであれば、凡人にはちょっと難しいかもしれません。エーリッヒ・フロムに「愛は技術である」と言われたところで、それを身に付けるのはなかなか難しいという話と同じです。技術の習得には、
努力が必要ですから。
愛は技術、自分の言葉をつくるのも技術。そして技術には努力が必要。でもその対象が「愛」であれば、あるいは「好き」であれば、努力を努力として感じることなく、夢中になって技術を磨くことができるのではないか。フロムと三宅さんに共通するのは、そういった見方・考え方なのかもしれません。
努力は夢中に勝てない。
第3章、第4章、そして第5章を読むと、三宅さんが普段使っている技術を学べます。自分の言葉をつくるための技術です。ひとつだけ紹介すると、例えば第4章には《他人の言葉に自分が影響されないように。大量に流れてくる他人の言葉の渦から、自分の言葉を守ること。それがSNSのコツなんです》とあります。簡単にいうと、
読むな、と。
文章は、「真似する」ことが一番手っ取り早い上達方法です。なんとなくいいなあ、こういう文章って好きだなあ、というのを見つけて、その人の書き方を真似してみましょう。あなたの書きたい内容を、その人の文体や構成で書くなら、どう書くだろうと想像してみてください。
第6章より。なぜこの文章を引用したのかといえば、「読むな」と言っておきながら、ここでは一転「読め」と言っているからです。もちろん矛盾しているわけではありません。内容、文体、構成に分けて考えるとわかります。内容に関しては、自分の言葉をつくってほしい。しかし文体や構成については、「こういう文章って好きだなぁ」と思えるそれらを見つけて、真似してほしい。つまり、全身ではなく、半身で働く社会を目指そうというわけです。なぜ「つまり」なのかがピンとこない人は、三宅さんの『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読んでみてください。
昨日は学芸会でした。ここ2週間くらい、残業続きで、確かに働いていると本が読めなくなるなぁと思うことがしばしばありました。推し活係の子どもたちが、大人になっても推し活を続けていけるように、三宅さん言うところの、全身ではなく、半身で働く社会をつくっていきたいものです。
全身で働くべきか、半身で働くべきか。
あなたはどう考える?