ネットワーク運動というのは、「異質な者どうしの学び合い」を方針に掲げているので、私は当時、大学の先生や企業の方など色んな人と関わっていく中で、自分の実践にもすごく役立つし、面白かったので、続けてきました。今、石川さんが向山さんとは別の方向でみたいな話をされましたが、つまり、再現可能性ではなく、我々は伝達可能性にこだわりたいと考えてきたんですね。
(授業づくりネットワーク編集委員会 編『揃わない前提の授業を見る・感じる・考える』学事出版、2024)
こんばんは。2学期に向けて、少しずつ準備を進めています。今日は学年の研究の件で午前中に大学の先生と打合せ(オンライン)をしました。先週は総合のゲストティーチャーの件で企業の方と打合せ(オフライン)をしました。そんなこんなで、上記の引用にある「異質な者どうしの学び合い」という言葉が「今の私」にはとてもしっくりきます。ちなみに引用の発言者は授業づくりネットワーク事務局長の佐内信之さんです。発言の中に出てくる「石川」というのは授業づくりネットワーク理事長の石川晋さんのこと、そして「向山」というのは教育技術の法則化運動で知られる向山洋一さんのことです。
再現可能性と伝達可能性。
授業づくりネットワーク編集委員会 編『揃わない前提の授業を見る・感じる・考える』読了。児童の集中力に驚き、その秘訣を訊ねた記録者の佐藤由佳さんに対して、授業者の村上聡恵さんが「教師の熱量じゃないかな」と答える下りが印象に残った。熱量(≠熱血)がベース。そこだけは揃えたい。#読了 pic.twitter.com/RoEIFRB1h0
— CountryTeacher (@HereticsStar) August 14, 2024
ここ最近というかここ数年、教員だけしかいない研修に参加したり、教員だけしか手に取らないであろう本を読んだりすることにしんどさを覚えるようになりました。定時には準備が終わらない前提の授業を何とかするためには、大学の先生だったり、企業の方だったり、学校の外にいる人たちを学校の中に入れていくしかないような気がするからです。別言すれば、
外圧。
揃う前提とか、揃わない前提の授業云々の前に、定時には準備が終わらない前提の授業をなんとかしない限り、教育の再生は期待できません。教員不足も解決しないでしょう。中原淳さんがつぶやいているように《長時間労働の是正なくして、教育再生なし》です。それにしても《個別最適化だか、なんだか知らないけれど、そんなのを支える「余力」はないのです》というくだり、最高です。学校の外にいる人にはそう見えるんですよね。
ちゃんちゃらおかしいって。
— CountryTeacher (@HereticsStar) August 13, 2024
この「ど正論」に対して、石川晋さんも「その通り」って反応しています。仕事を減らすしかない、と。
その通りです。
— 石川晋 (@mumomorush) August 12, 2024
ここからは中原さんと完全一致かどうかはわからないけれど、基本的に仕事を減らす(辞める)だと思います。今ある仕事を効率よくできるようにしたところで、空いたところに新しい仕事が入ってくるだけだと思っています。 https://t.co/xqGCW38j0K
石川晋さんは、よくわかっている。よくわかっている人が《夏休みも半分を終えました。本気で授業・クラスのことを考えたい方に、読み応えのある記録を集めた一冊です。ぜひ時間のある今、丁寧にお読みください》(午前11:05 2024年8月10日)とポストして勧めているのだから、たまには教員だけしか手に取らないであろう本も、
読んでみよう。
授業づくりネットワーク編集委員会 編『揃わない前提の授業を見る・感じる・考える』を読みました。タイトルにある「揃わない前提」という言葉にセンスがあっていいなぁと思います。センスというか、
時代感覚。
冒頭の引用は、石川晋さん、佐内信之さん、園部友里恵さんによる巻頭鼎談「揃わない前提の授業記録と即興」より。巻頭鼎談に続いて、Part1「揃わない前提の授業をどう見るか」(2編)と、Part2「揃わない前提の授業の具体」(10編)が収められています。
Part2の執筆者(記録者)には、福島の小学校で働いている友人が「あいつは凄い!」って推していた菊地南央さん(会津若松ザベリオ学園小学校教諭)や、群馬の小学校で働いている友人が「あいつは凄い!」って推していた片岡利允さん(軽井沢風越学園を中心に、個人でも活動中)、それから一般社団法人「こたえのない学校」の藤原さとさんなど、どこかで目にした或いは耳にしたことのある凄い人たちが名を連ねていて、
圧巻。
授業者も、然り。だからでしょうか。Part2の実践記録を読んでいると、揃わない前提の授業というよりも「尖っている前提の担任」のように読めてしまって、昔の私なら単純に「凄いなぁ」とか思っていたのかもしれませんが、今の私には、
う~ん。
この授業も、今日の司会であるAさんが進行する。司会は誰よりも早く理科室に来て、ねらいの板書や授業の準備をしていた。もう彼が担任なのかもしれない。Aさんがあいさつと今日のねらいを説明したあと、「たまちゃーん、何かある?」と玉置先生をきょろきょろ探す。
井久保大介さん(東京都公立中学校教員)の記録による「6年2組は揃わない ~横浜市立旭小学校 玉置哲也学級に入ってみた~」より。Aさんというのは児童のことです。児童が先生役。児童を先生にしちゃうようなクラスづくりができる担任。うん、尖っている匂いがします。玉置さんはその前の年も6年の担任だったとのこと。
やっぱり。
説明はしませんが、よくある話です。で、経験上、尖っている前提の担任は「定時には準備が終わらない前提の授業」をしていることが多く、う~ん、なんです(玉置さんのことを知っているわけではないので、尖っていなかったとしたら、そして定時に準備が終わる前提の授業をしていたとしたら、ごめんなさい)。尖っていない前提の担任に「熱量」はあるのか、という問題はさておき、可能であれば、尖っていない担任による揃わない&定時に準備が終わる前提の授業を見て、感じて、考えたい。全「具体」を通して、そう思いました。だって、
余力はもうありませんから。
おやすみなさい。