田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

池波正太郎 著『ル・パスタン』より。あなた様はまだ生活をご存じないのでは……。

 ジュリオは、子供たちにあたえる果実ひとつにも季節が消えてしまった現代をなげいて、
「いまは、いつでも何でもある。けれど、子供に思い出がなくなってしまった」
 と、哀しげに、つぶやく。
 思い出をもたぬ人間の不幸を、現代人は不幸とおもわぬ。国の歴史があるように、一個の人間にも〔歴史〕があることを思わぬ時代となった。歴史は人の世界の変遷だ。
(池波正太郎『ル・パスタン』文春文庫、2022)

 

 こんばんは。先日、上田にある池波正太郎真田太平記館にフラッと立ち寄りました。池波正太郎(1923-1990)の本は『編笠十兵衛』しか読んだことがありませんでしたが、「入ってみようかな」と、懐かしげに、そうつぶやきたくなったんですよね。四半世紀以上も前にインドのバラナシで読んだ『編笠十兵衛』が、私にとっては〔歴史〕ともいえる思い出になっているからです。

 

 まぁ、黒歴史ですが。

 

池波正太郎 真田太平記館(2024.8)

充実のシアター(2024.8)

 

 入って正解でした。大正解です。特に上記のシアターが快適で、知的にもおもしろく、思いがけず1時間以上滞在してしまいました。入館料(一般)はシアターも含めてたったの400円です。「~館」と名のつく施設でこんなにも楽しめたのは初めてかもしれません。父である真田昌幸と、子である信之&幸村の活躍をテーマにした『真田太平記』にも興味をもつことができました。その後、別所温泉にある石湯にまで足を運んでしまうくらいに興味をもつことができました。

 

別所温泉にある石湯(2024.8)

 

 この石湯の湯船で、真田幸村と女忍者のお江が出会い、その後結ばれるというエピソードが『真田太平記』に出てくるんですよね。縁結びの温泉というわけです。そのことはシアターで学びました。ちなみにお江は実在の人物ではありません。実在の人物ではないものの、

 

「あなた様はまだ女体をご存じないのでは……」
 硫黄がにおう湯煙の先に、お江(こう)の豊かな乳房が揺れる。

 

 こういった描写によって石碑まで立たせてしまうのだから、お江、恐るべし。ちなみに石碑には「真田幸村公  隠しの湯」(写真左)と書かれています。池波正太郎の直筆だそうです。取材のために何度も訪れていたそうで、硫黄がにおう湯煙の先に、池波正太郎の姿が揺れたように見えたのも、

 

 あながち錯覚ではないかもしれません。

 

 

 池波正太郎の『ル・パスタン』を読みました。週刊文春に掲載(昭和61年11月~昭和63年12月)されていた画文エッセイ「ル・パスタン」を、「Ⅰ」から「Ⅳ」までの4部構成にしてまとめた一冊です。「Ⅰ」は食の記憶、「Ⅱ」は映画と芝居、「Ⅲ」はフランスとヴェニスの旅行記、そして「Ⅳ」は思い出と嘆きです。タイトルとなっている「ル・パスタン」というのは、

 

 フランス語で「暇つぶし」のこと。

 

 

 細かいことまでよく覚えているなぁ、というのが、Ⅰの食にまつわるエッセイを読み始めたときの感想です。そしてそれは最後まで続きます。

 

 当時、著者は60代。

 

 その記憶の鮮明さが、冒頭に引用した《思い出》の話につながります。なぜ《子供に思い出がなくなってしまった》のか。なぜならば《いまは、いつでも何でもある》から。だからこそ「不登校30万人」なんてことになっているのでしょう。ちなみにポストにある「スダチ」というのは、果実のことではなく、不登校支援のサポートをしている株式会社のことです。詳細はわかりませんが、板橋区と連携しているとかしていないとか、そのやり方がよいとかよくないとかで、ここ数日、

 

 絶賛、炎上中。

 

 私が、このシーンに、いたく郷愁をもつのは、少年のころの私は数え切れぬほど、稲荷ずしによって夜更けの空腹を充たしたことがあるからだ。
 小学校を出た私の勤め先は、芋場町にあったT商店で、住み込みで働く小僧、中僧が十何人もいた。食事は、賄いのおばさんがたっぷりと食べさせてくれるのだが、何といっても食べざかりだから、寝る前には、腹が減って、どうにもならなくなる。

 

 このシーンというのは、映画『残菊物語』(溝口健二 監督作品)に出てくる「いなりさぁん……」というシーンのこと。稲荷ずしを売る呼び声だそうです。さおだけ屋の「たーけやー、さーおだけー」みたいなものでしょうか。そういえば、さおだけ屋の呼び声を耳にしなくなって、

 

 久しい。

 

 焚火を囲んでの、子供たちの遊びや、たのしみはいくらでもある。さかんに燃える炎に温もりながら指す将棋は、部屋の中でのそれとは一味も二味も違う。
 だが、何といってもたのしいのは、サツマイモを灰に埋めて焼いたり、肉屋で売っているポテト・フライを長い竹串に刺して焙り、こんがりと焼けたのを、ウスターソースへつけて食べる旨さだった。

 

 焚火を目にしなくって、久しい。

 

 腹が減ってどうにもならなくなるという原体験がなくなり、焚火の自由もなくなり、稲荷ずしを売る呼び声もさおだけを売る呼び声もなくなり、小学校を出た後に働き始めるという選択肢もなくなり、それから《東京の下町へまわって来た紙芝居》なんてものもなくなり、残っているのは6時間授業とか宿題とかボール遊びすらできない狭い公園とか、

 

 暇つぶしすらできない毎日。

 

 そりゃ、学校に行きたくないっていう子どもが出てくるのも、スダチを助けたくなる会社が出てくるのも、少なくとも「謎」ではないでしょう。

 

 アーヴィング・バーリンは南ロシアの小さな村に生まれ、4歳のときに父母と共にニューヨークへ移住した。8歳のころに父が死んだので、バーリンは新聞売子をしたり、酒場をまわる流しの歌手をやったりした。
 こうした生活体験により、彼の音楽家としての才能、その情感のふくらみは無限のものとなり、ミュージカルの舞台に、映画に、無数の歌曲を発表しつづけてきた。

 

 ル・パスタンを含め、生活体験って、大切なんです。そのことがこの本を読んで改めてよくわかりました。私の世代もそうですが、今の子どもたちはより一層「あなた様はまだ生活をご存じないのでは……」という状況に追いやられているように思います。6時間授業然り、宿題然り。もっと子どもたちを暇にすればいいんです。ついでにいえば、教員のことも暇にすればいいんです。暇があれば、子どもも教員も勝手に学んで、生活体験が豊かになります。

 

 子どもたちに、暇を。 

 

 教員にも、暇を。