父は中也の代表的な詩「サーカス」の「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」という擬音に戯けた抑揚をつけて、僕に聴かせてくれた。それが耳に残り、何度も何度も朗誦をせがんだものだ。父自身は「含羞」という詩が好きで、「なにゆゑに こゝろかくは羞ぢらふ」と噛み締めるように諳んじていた。そのような幼少期を過ごしたおかげで、僕にとって文学とは、「父との楽しい時間」である。いまだに眉間にしわをよせてやるようなイメージがないのである。
(宮崎智之『モヤモヤの日々』晶文社、2022)
こんばんは。昨夜、1学期の授業でコラボしたゲストティーチャー&関係者さんたちとの「振り返りの座談会」に参加してきました。授業の様子を編集した動画を観て話し合ったり、ゲストティーチャーのトークに耳を傾けたり。眉間にしわをよせてやるような事後検討会ではなく、
楽しい時間。
コミュ障の私にしては珍しく、2次会にも参加できて、楽しかったぁ。牡蠣も日本酒も、美味しかったぁ。四十にして惑わずどころかまだ「立つ」ことすらできていないのではいか(?)って、モヤモヤと考える日々ですが、文藝評論家でエッセイストの宮崎智之さん言うところの《不確かでままならない人生の支えとなる確かさの杭》のひとつを見つけることができたように思います。学校の外にいる人たちと一緒に授業をつくるのは楽しい。
「モヤモヤ」とは、今を生きることである。
天命かもしれません。
宮崎智之さんの『モヤモヤの日々』を読みました。2020年12月22日から2021年12月30日まで、つまりコロナ禍ど真ん中の「緊急事態の日常」を綴ったエッセイ251回分が収録された一冊です。当時、宮崎さんは、この日記風エッセイを書くにあたって、ネット上で平日17時毎日更新(!)というチャレンジをしていたとのこと。知りませんでした。まぁ、宮崎さんの存在自体を知らなかったから当然です。知ったのはつい最近。『普通のまま発狂したい』、ではなく『平熱のまま、この世界に熱狂したい』を読んだから。
福井県立図書館が運営している名物コーナーに、宮崎さんの代表作『平熱のまま、この世界に熱狂したい』の「覚え違いタイトル」(利用者からカウンターに問い合わせがあった間違った本のタイトル)が掲載されているらしい。そんな情報をつかんだ宮崎さんが、ドキドキしながらページをチェックしたところ、目に入ったのは……。
『普通のまま発狂したい』
それにしても、僕の新刊の覚え違いは見事である。覚え違えたことよりも、そういう主張をしている本を読んで方法を学びたいと思った人がいる事実に、僕は人間の人間たる所以を見た気がした。
ただ、著者としては「それはちょっと難しいのではないでしょうか。可能性がゼロだとは言いませんけど」と回答したい。せめて言葉そのままの意味での「平熱のまま」だったなら、十分にあり得る話だとは思う。もし機会があったらでいいので、司書さんからその方にご伝言いただけると幸いである。
宮崎さんの宮崎さんたる所以を見た気になれる文章ではないでしょうか。どこを切っても、やさしい。ちなみに、普通に発狂している小学生ならときどき目にします。もしかしたら《そういう主張をしている本を読んで方法を学びたいと思った人》は、小学生だったときのクラスが楽しすぎて、童心に帰りたかったのかもしれません。
横田とは、小学1年生から同じクラスだった。かれこれ33年の付き合いになる。横田に限らず女性の友人も含めて地元の幼馴染軍団はいまだに仲が良よく、LINEグループもつくられ、たわいのないやりとりをしている。新型コロナの感染拡大以降は途絶えてしまっているものの、定期的に集まって飲んだりもしている。
宮崎さんと横田さんの小学校のときの担任にこの文章を届けたい。きっと、嬉しいだろうなぁ。担任にとって、クラスの子どもたちが大人になってからも仲が良いっていうのは、その当時の「モヤモヤの日々」の肯定に他なりませんから。で、その《地元の幼馴染軍団》がいまだに仲が良いのは「宮崎さんがいるからだろうなぁ」って、そんなふうにも思います。だって、私のような「にわかファン」のポストにも、わざわざ反応(いいね、リポスト、引用リポスト)してくれますから、宮崎さんは。軍団の中に、宮崎さんのようにケアに長けた人がいると、
定期的な集まりは、続く。
宮崎智之さんの『モヤモヤの日々』を読み始める。冒頭に《「モヤモヤ」とは、今を生きることである》とあって、まさにそうだなと思う。今、タイトル「尻が痛い」を読み終えた。朝井リョウさんの『風と共にゆとりぬ』に収録されている「肛門記」が頭に浮かんだ。いつか対談してほしい。絶対に読みます。
— CountryTeacher (@HereticsStar) August 9, 2024
タイトル「自己宣伝」に《かく言う僕は、自己宣伝に余念がない人間だ》とある。さらに《実際にやってみるとわかると思うのだけれど、自己宣伝は結構、疲れる》とある。Twitter(X)の話だ。宮崎智之さんの余念のなさのおかげで、今こうやって『モヤモヤの日々』を楽しんでいる。ありがとうございます。
— CountryTeacher (@HereticsStar) August 9, 2024
タイトル「本物を見ること」に《父の読み聞かせは、僕が小学校を卒業するまで続き、最後のほうは夏目漱石を読んでもらっていた》とあって、とても驚く。子育て「5」。宮崎智之さんのつくりかた。学級通信に引用したいエピソードだなと思った。保護者や子どもに伝えたいエピソードが、他にもいっぱい。
— CountryTeacher (@HereticsStar) August 10, 2024
宮崎智之さんの『モヤモヤの日々』読了。タイトル「僕が好きだったもの」に《小さい頃、雲のたなびく空を飽きもせずに眺めていたあの男の子》とある。あの男の子が、こんなにも素敵な文章を書くようになるなんて。教え子の中からもそんな子が出てくるかもしれない。飽きもせずに読める本です。#読了 pic.twitter.com/vALtzJLFJe
— CountryTeacher (@HereticsStar) August 10, 2024
反応してもらえると、嬉しくなってまたポストしてしまいます。迷惑だろうに、宮崎さんのやさしさに甘えてしまいました。猛省です。
毎日更新。
私のクラスの子どもたちも毎日文章を書いています。帰りの会の代わりに1日の振り返りの短作文(200字程度)を書いてから、各自さようなら、というシステム。目的は、書く力(≒考える力)をつけることや、書くネタ(≒考えるネタ)を探す習慣をつけることによって、宮崎さんのように日常に潜むモヤモヤを見つける力をつける、というところにあります。読むとわかりますが、宮崎さんは、緊急事態宣言が出されて外出さえままならない中でも、『平熱のまま、この世界に熱狂したい』で話題に上がっていたところの「be」を楽しんでいます。可愛くて仕方がない飼い犬のことや、生まれたばかりの赤子のこと、亡くなった父親のことなど、すぐ側にあることの中からたくさんのモヤモヤを見つけ、見つけたモヤモヤを言葉にすることで「be」を豊かにしていく。その言語化の巧さたるや、神。憧れるなぁ。2学期が始まったら、
クラスの子どもたちにも紹介しよう。
おやすみなさい。