中原 「叱る」と「依存」という言葉の組み合わせはキャッチーですよね。自分の「叱る/叱られる」体験を振り返ってみたときに、多くの人がちょっと思い当たるところがある。そこをうまく突いている指摘だと思います。
村中 最初は「依存」という言葉を使っていいものか、かなり迷いました。しかし〈叱る依存〉という言葉を中核概念にすると肚を決めたことで、すっきりと見えてくるようになったことも多く、結果的によかったと思っています。
(村中直人『「叱れば人は育つ」は幻想』PHP新書、2024)
おはようございます。村中直人さんと中原淳さんというプロフェッショナルの組み合わせはキャッチーですよね。自分の読書体験を振り返ってみたときに、多くの人がその名を目にしたことがある。そこをうまく突いている人選だと思います。
おはようございます。土曜授業の通勤のお供は横道誠・青山誠 編著『ニューロマイノリティ』です。村中直人さんの《ニューロマイノリティな人たちへの支援や教育がなすべきことは、多数派の平均値である「定型発達」に、なんとか近づけようとすることでは決してありません》って、朝から刺さるなぁ。
— CountryTeacher (@HereticsStar) February 16, 2024
ここで「中毒」という言葉を使っていいものか、かなり迷いますが、かつて中原さんの書いたものに中毒状態だったことがありました。金井壽宏さんとの共著『リフレクティブ・マネジャー』なんて、
何度読み返したことか。
中毒と表現するとマイナスな感じですが、そのおかげですっきりと見えてくるようになったことが多く、授業づくりが変わり、学級づくりも変わり、本当によかったと思っています。村中直人さんの『「叱れば人は育つ」は幻想』も、そういった類いの本です。読めばわかります。指導観も児童観も、
変わりますから。
村中直人さんの『「叱れば人は育つ」は幻想』を読みました。2022年に刊行され、一世を風靡した『〈叱る依存〉がとまらない』の続編に相当する一冊です。
叱られた子どもはなぜ同じことを繰り返すのか。人は快楽に溺れて依存するのではなく、苦しみを和らげてくれるものに依存する。叱ると、脳内報酬系回路が活性化する。そういった「点」としての疑問や学びが「線」となり「面」となった結果、村中さんは叱るという行為がアルコール依存症などと似たメカニズムで発生することを突き止めます。だから、
〈叱る依存〉がとまらない。
この村中さんの「大発見」をテーマに、工藤勇一さん、中原淳さん、大山加奈さん、そして佐渡島庸平さんがそれぞれ村中さんとさしで縦横無尽に語り合った結果、新書として世に送り出されたのがこの『「叱れば人は育つ」は幻想』というわけです。中原さんはもちろんのこと、全ペア、組み合わせがキャッチーすぎて、読まずにはいられません。この1学期に教室で怒声を発してしまった全ての教員に読んでほしい。その怒声は、本当に必要ですか?
目次は以下。
第1章 「叱る」ことへの幻想
第2章 教育現場に潜む「叱る」への過信 ー 工藤勇一 ✕ 村中直人
第3章 「叱る」と「フィードバック」の違いとは? ー 中原淳 ✕ 村中直人
第4章 「理不尽な叱責に耐える指導」に潜む罠 ー 大山加奈 ✕ 村中直人
第5章 僕が「『叱る』をやめる」と決めた理由 ー 佐渡島庸平 ✕ 村中直人
まずは工藤さん。宿題や定期テストなど、学校の「当たり前」をやめた(!)ということで一躍ときの人となった、麹町中学校のもと校長さんです。ちなみに、せっかく工藤さんが「当たり前」をやめたのに、次の校長になったら結局元に戻ったというニュースを最近耳にしました。もしかしたら「教師たる者、毅然とした態度で叱るべし」という考え方が染み付いている「怒声教員」が息を吹き返したのかもしれません。宿題に価値を置く教員と怒声は相性抜群ですから。
経験上、そう思います。
工藤 とくに教育現場は顕著ですよ。「教師たる者、毅然とした態度で叱るべし」という考え方が染みついていますから。そこに論理性はなく、ただ日本の伝統的な教えであるかのように信じられています。
村中 神経科学的な見地からも、心理学的見地からも、心理的安全性が確保されない状況において何かを強要しても有効な学びにならないことがわかってきています。
村中さんの強みは、根拠俺ではなく、心理学や脳・神経科学などのさまざまな専門知を根拠としているところです。根拠を専門知と実証データに置いた『学び合い』で知られる西川純さんと同じです。
工藤さんとの対談を終えた村中さんは、次のように言っています。西川さんのことを知っている教員は、まるで『学び合い』のよう、と思うのではないでしょうか。
結論から言うと、自己決定を重視する対応は「叱る」を手放すことにつながります。
自己決定を促すために、叱るは必要ありません。必要なのは、フィードバック。そうです。フィードバックと言えば、組織開発のプロである、
中原淳さん。
まずは、「叱る」ことと「フィードバック」との違いをおさらいします。「叱る」ことには、「(叱られる側の)ネガティブ感情の生起」と「(叱る側からの)コントロール」という二つの要素が含まれます。一方でフィードバックは「現状通知」と「立て直し」という二つの要素で構成されています。このように整理すると、両者はまったく違うことだと一見うまく説明できているようにも思えます。ですが実際問題として、これらの違いが見分けにくくなる場合も多いでしょう。
中原さんとの対談を終えた、村中さんのコメントより。見分けにくさに関して、村中さんは、現状通知をしたときにネガティブ感情が生起される可能性が大きいことに着目し、《重要な違いは、相手をコントロールしようとする意図があるか否かです》と書きます。しばしば登場する、
「コントロール」という言葉。
もと教員で、現在は軽井沢風越学園の校長・園長を務めている岩瀬直樹さんは、以前、ブログ「いわせんの仕事部屋」に《ぼくらの持っているコントロール欲求はなかなかやっかいだ》と書いていました。このやっかいさは今でも健在です。学級崩壊は怖い。だから叱ってコントロールしたい。そういった感情を引き起こしてしまう構造が、学校現場には今でも健在ということです。これは、スポーツにおける、チームを勝たせたい、トーナメントで負けたくない、だから叱ってコントロールしたい、というコーチや監督にも通ずる話です。そこで、
大山加奈さん。
言わずと知れた、元バレーボール選手です。まぁ、知らなかったんですが、私は。知らなかったからこそ期待はそれほど大きくなく、それほど大きくなかったからこそ、その分喜びはでっかくて、対談が教えてくれる豊富な学びに「大きく」頷きっぱなしでした。
期待はコントロールした方がいい。
村中 「苦しさに耐えることで強くなるんだ」とか「苦しさを乗り越えなくては成長できない」と思ってしまうことを、私は「苦痛神話」と呼んでいます。これってバイアス(思考や行動の偏り)なんですが、人間の心にけっこう根深く刷り込まれているんです。とくにスポーツの場合は、「厳しさ」と「苦痛」とが結びついてしまいやすい傾向がありませんか?
大山 ありますね。~中略~。そこからいろいろ勉強されて、「理不尽に苦しみを与える指導が厳しい指導ではない」と考えるようになったことが、小学生を対象にした「監督が怒ってはいけない大会 益子直美カップ」を始めるきっかけになったそうなんです。
益子直美さんも、言わずと知れたバレーボール選手です。益子さんのことは私も知っていました。監督が怒ってはいけない大会って、いいですよね。
教員が怒ってはいけない学校。
どうでしょうか。村中さんの『《叱る依存》がとまらない』を読んで、お子さんや社員を「叱る」ことをやめたという佐渡島さんならおもしろがってくれるアイデアのように思います。
最後は佐渡島さん。
最後に、能力と環境の関係性についても触れておきましょう。佐渡島さんはそのことを「間」の問題と表現され、私は「文脈」の問題と呼んでいます。ここでは「文脈次第で人の能力の出方は変わる」と私が言ったことを少し補足したいと思います。
実業家&編集者の佐渡島さんとの対談を終えた村中さんの発言より。もとコンサルの勅使川原真衣さんが『働くということ』や『職場で傷つく』の中で「組み合わせ」の問題と呼んでいる話と同じです。
間と、文脈と、組み合わせ。
村中さんは《ただ、職場においては「叱る」必要性はほぼ存在しないと考えています》と書いています。勅使川原さんと村中さんの対談を聞いてみたいなぁ。
村中直人さんの『「叱れば人は育つ」は幻想』読了。村中さん発の「叱る依存」をテーマに、工藤勇一さん、中原淳さん、大山加奈さん、佐渡島庸平さんとの対談が納められていて、読み応え十分。中原さんの《他人を変えようとせず、自分が変わる。自分が変われば、対人関係においては、相手が自ら変わるこ… pic.twitter.com/Nuiw2rwIFk
— CountryTeacher (@HereticsStar) July 30, 2024
今日はこれから健康診断です。
酒量、叱られませんように。