いいですか。繰り返しますが、誰が正しくて、誰が間違っている、という単純な話ではないのです。お互い異なる「持ち味」があるのが人間です。その凸凹がどうもうまくかみ合っていない状態が、組織としてどこか「うまくいっていない」状況と言うべきではないでしょうか。個人の問題というより、「組み合わせの問題」なのです。
(勅使川原真衣『職場で傷つく』大和書房、2024)
こんばんは。先日、コミュ障の私と、若手の同僚4人の計5人で福島を旅してきました。2年前から続く、1泊2日のプライベートな東北研修旅行。3回目となる今回のいちばんの目的は、福島の小学校で働いているO先生に会い、原発事故が起きたときの話を聞くことです。ちなみにO先生に会うのは、
四半世紀マイナス数年ぶり。
四半世紀マイナス数年前に、某県の教員採用試験の集団面接があり、そのときにO先生と出会いました。それがO先生とのファーストコンタクトです。で、セカンドコンタクトが、
今回の旅。
要するに、まだ1回しか会ったことのない先生に「原発事故のときの話を聞かせてください」ってお願いして、若手の同僚を連れ、会いに行ったというわけです。若手の4人を連れて行くことも、四半世紀マイナス数年前にたった一度しか会ったことのない人に会いに行くことも、
コミュ障にできるわけないですよね?
そう言われたことがあります。コミュ障どころか「コミュ力お化け」だと言われたこともあります。職員室がしんどくて、教室に引きこもってばかりいる、うまくいっていない私に「コミュ力お化け」って、傷つきます。まさに、
職場で傷つく。
いいですか。繰り返しますが、コミュ障という認識が正しくて、コミュ力お化けという見方が間違っている、という単純な話ではないのです。なぜなら、勅使川原真衣さんが『職場で傷つく』に書いているように、《他者がいてはじめて成り立つのが、「コミュニケーション」》だからです。私がコミュ障でも、その若手の同僚4人の中にコミュ力お化けがいれば一緒に旅行することもできるんです。O先生がコミュ力お化けであれば、私がコミュ障でも四半世紀マイナス数年前ぶりに会って、その場を楽しく学び多きものにすることもできるんです。つまり、個人の問題というより、
「組み合わせの問題」なのです。
O先生曰く「今でも毎日、技師さんが給食の放射線量を測っている」云々。パリ五輪の話題で盛り上がっているここ数日ですが、東京五輪の際、当時の首相に「アンダーコントロール」だなんて言われて、傷ついただろうな。
現場で傷つく。
勅使川原真衣さんの『職場で傷つく』を読みました。著者の処女作である『「能力」の生きづらさをほぐす』と、2作目の『働くということ 「能力主義」を超えて』に続く、3作目の作品です。サブタイトルは、
リーダーのための「傷つき」から始める組織開発。
目次は以下。
第1章 「職場で傷つく」とはどういうことか?
第2章 「職場で傷つく」と言えない・言わせないメカニズム
第3章 「能力主義」の壁を越える
第4章 いざ実践 ――「ことばじり」から社会の変革に挑む
例えば、学年2クラスの学校で、ベテランのAさんと若手のBさんが同じ学年の担任になったとします。もしもAさんとBさんの相性がめちゃくちゃ悪かったら、当然、Bさんのパフォーマンスは下がりますよね。仕事を教えてもらえないからです。Aさんは一人でもクラスを回せるため、パフォーマンスは変わりません。Bさんのパフォーマンスがいまいち、という問題を、校長が「組み合わせの問題」ではなく「個人の問題」としてとらえ、「Bさんの能力が低い」なんて評価を下してしまったとしたら、Bさんが傷つくのは当然です。Bさんの心の中には「そもそもなんでAさんと私を組ませたんだ」とか「学年主任としてのAさんが機能していないだけだ」とか「勅使川原さんの本を全部読め」とか、そういった怨嗟の声が渦巻くことでしょう。でも、若手ゆえ、その声を外に出すことはなかなかできません。言いたくても、言えない。
言えないから、癒えない。
繰り返します、言えないから、癒えない。名言です。あまりも名言すぎて、読み終えたその日にサインまでもらいに行っちゃいました。先週、贈与論で知られる近内悠太さんと、勅使川原さんの対談が行われたんですよね、代官山で。
ありがとうございました😭先生。
— 勅使川原真衣|『働くということ「能力主義」を超えて』 (@maigawarateshi) July 25, 2024
こちらも今宵はかけがえのないものになりました🙏おかげさまです。
せっかくなので、備忘録。近内さんが、漫画『ゴールデンカムイ』に出てくる「出産で臼を転がす男」のエピソードを例に「能力ではないもので貢献できる役割が必要」といい、勅使川原さんが「それはすでにあるはず」と返していたやり取りが印象に残りました。出産で臼を転がす男については、以下の田内学さんの note をご覧ください。対談の最後に、著書『お金のむこうに人がいる』で知られる田内さんが登場し、鼎談になったんですよね。嬉しいサプライズでした。
それはすでにあるはず。
勅使川原さんはそう話していました。「すでにあるものに目を向けましょう」という、組織開発のプロフェッショナルとしての勅使川原さんの見方・考え方は、次のような文章にもよく表れています。
組織開発とは、聞き慣れない横文字の、ナウそうな(死語ですね)標語を掲げ、それっぽく旗を振ることではありません。
「パーパス」だ「ティール」だ「ウェルビーイング」だなんだが、戦略人事の必須ワードではありません。
何か、新しいことを推進するのが敏腕なのではなくて、
今起きていることを、決めつけずに議論の俎上に載せること。
――これこそが、意外かもしれませんが、組織運営の屋台骨なのです。
「キャリアパスポート」だ「キャリアカウンセリング」だ「ウエルビーイング」だなんだが、授業改善の必須ワードではありません。何か、新しいことを推進するのが敏腕なのではなくて、今起きていることに、別言すれば「すでにあるもの」に目を向けることが学校運営の屋台骨なのです。福島の小学校で働くO先生は「子どもたちが学校に来てくれているというその事実だけで、もう十分」と話していました。震災を機に、すでにあるものに目を向けるようになったということでしょう。第3章と第4章には、そういった話が書かれています。詳しくは、ぜひ購入して読んでみてください。勅使川原さんの本は、3冊ともお勧めです!!!
言えたから、癒えた。
おやすみなさい。