次第に病状が悪化していくなかでも、母は自分のことより私の体調を気遣ってくれた。久し振りに父と暮らすことになった千葉・行徳から地下鉄を乗り継ぎ、銀座まで通うのも大変だったに違いない。それでも私に弁当を届けた後、客が少ないのを見ると心配して、…
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